ポーランド大統領選(第一回報告)



梅田芳穂

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候補者の選挙用看板(撮影: 2000年9月)




 ポーランドの大統領選挙が後一月と迫ってきた。当初、大統領候補者の数は21名であったが、8月26日午前0時までに、国家選挙委員会に登録をすましたのは13人。8名の候補者は立候補の条件である10万の署名を集めることができなかった。10月8日の投票日まで熱いキャンペーンが繰り広げられるが、前回の大統領選挙(1995年)と比べると、かなりおとなしい選挙戦となると思われる。一つは現職のクファシニェフスキ大統領(SLD)の人気がかなり高く、世論調査でも60%以上の票を取る事が今の段階で予想されていることと、三番手のクシャクレフスキAWS委員長の支持率が伸び悩んでおり、このままでは10%の得票率さえあやぶまられているからだ。独自の組織を持たない元外務、大蔵大臣のオレホフスキ氏は以前軍部防諜に在籍していた事実を公表し(大統領候補は全員共産主義時代に秘密警察、諜報、防諜などに関係していたか、いなかを公表する義務がある)、虚偽審査裁判でも「うそ」を述べていないとの判決を受け、現在二番手人気。背が高くハンサムな押し出しなので、女性票を独り占めするのではないかと他の陣営からうらやましがられている。農民党のカリノフスキ候補も善戦している。農村に大基盤を持つPSLは他の農民組織からの支持を得ることにも成功し、国道閉鎖デモなどで名を挙げたレッペル候補をかなり引き離している。因みにレッペル候補は輸入穀物破棄事件の主犯として告訴され、裁判所の呼び出しに応じなかった事から現在刑務所内より選挙運動を指揮している。世論調査におけるワレサ元大統領の支持率は2-3%だが、8月末のグダンスクのレーニン造船所ストライキ並びに政労合意20周年記念の式典への出席し、理性的な発言も数多くあった事から、かなり支持率は上がったはずと側近筋は期待している。
 これからの大統領選の焦点は下記にあると思われる:

  1. クファシニェフスキ大統領が現在の支持率を維持し、第一回選で過半数を獲得できるかどうか。
  2. クシャクレフスキAWS委員長は組織総動員をかける事ができるかどうか。
  3. 候補の中で最も頭が切れ、かつ一般的にマイナス要素が少ないと評価されているオレホフスキ候補が討論などでどこまで票を伸ばす事ができるか。
  4. 農村票がどこまでカリノフスキ候補に集中するか。
  5. ワレサ元大統領がどこまで謙虚になり、また国民はどこまでそれを評価するか。


 今日に至るまで、第三共和国大統領選は二回あったが、二回とも波乱万丈であった。1990年の選挙では、ポーランドでは誰も知らなかった外国在住のビジネスマン - ティミンスキ候補が25%を第一回選で得票し、ワレサの当選が危ぶまれた事があったし、二回目の大統領選では、勝ち目は無いはずと言われていた、元統一労働者党幹部のクファシニェフスキが数パーセントの差でワレサに勝ち当選した。今回の大統領選についても一見、クファシニェフスキ大統領の当選が間違いないように見えるが、とにかくポーランドの国民はびっくりするような決断を下す前科が二回あるゆえ、蓋が開くまでじっくり注目すべきかと思われる。




候補者の横顔:(OBOP世論調査支持率順)


Aleksander Kwasniewski (アレクサンデル・クファシニェフスキ)
46才、現大統領。グダンスク大学にて運送経済を学ぶ。大学中退。1973-76年、「社会主義学生連盟」グダンスク大学評議会議長。1977-79年、同連盟県評議会副議長。1979-80 同連盟中央執行委員会文化部長。1980-1981同連盟最高評議会執行委員会委員。1981年よりITD誌 編集長。1984年より日刊紙「青年旗」(Sztandar Mlodych)編集長。1985年より青年担当大臣。1987-1990年、青年体育大臣。1988-1989年、ポーランドオリンピック委員会委員長。1989年の円卓会議ではマゾヴェツキ氏と共に労働組合多元化委員会を主催する。1977-1990年、統一労働者党員。統一労働者党解党後「ポーランド共和国社会民社」(SdRP)を組織し同委員長。1995年、大統領選当選後党籍を返上。1991-1997年、下院議員。「社会民主同盟」議会クラブ委員長。国会憲法委員会委員長。

Andrzej Olechowski (アンジェイ・オレホフスキ)
53才。経済博士。無所属。1973年、ワルシャワ計画統計大学(SGPiS)卒業。1979年、経済博士号取得。ジュネーブのGraduate Institute of International Studiesに学ぶ。1973-78年、1982-85年、ジュネーブの貿易開発国連委員会書記局勤務。1978-82年、「景気-価格調査研究所」勤務。1980年、「連帯」単組副議長。1985-1987ワシントン世銀勤務。1987-1988年、中央銀行(NBP)総裁顧問。1988-1989外国貿易省局長。1989年の円卓会議では経済社会政策委員会の政府側委員として出席。1989-91年、中央銀行第一副頭取。1991-1992年、対外経済協力省次官。1992年3月-6月大蔵大臣。1992-1993年、ワレサ大統領経済担当顧問。1993-1995年、外務大臣。1995年、「100人運動」(Ruch Stu)に入党、1997年に脱党。現在無所属。

Marian Krzaklewski(マリアン・クシャクレフスキ)
50才、工学博士。独立自治労組「連帯」委員長。「連帯選挙行動」(AWS)指導者。 シロンスク工科大学卒業。専攻は情報自動化技術。グリヴィツェ学術アカデミー勤務。1980年、ブゼック現首相と共に職場で「連帯」を組織。1984年逮捕、三ヶ月間拘留され同時に解雇処分を受ける。1989年より「連帯」シロンスク地方副議長。1991年の第三回「連帯」大会にて独立自治労組「連帯」議長に選出される。、1996年より現在与党の「連帯選挙行動」(AWS)委員長。1997年より下院議員。「連帯選挙行動」国会クラブ委員長。1997年より1999年まで政党「社会運動-連帯選挙行動」(RS-AWS)委員長。1998年より欧州議会人民党連合副議長。

Jaroslaw Kalinowski (ヤロスワフ・カリノフスキ)
38才、ワルシャワ農業大学卒。ポーランド学術アカデミーにてUE農業関連の法律を学ぶ。「ポーランド農民党」(PSL)。1993年より下院議員。1997年4月より7月まで副首相兼農業大臣。1997年10月より「農民党」総裁。農場所有。

Jan Olszewski (ヤン・オルシェフスキ)
70才、元首相。弁護士。下院議員。「ポーランド再生運動」(ROP)委員長。 戦時中レジスタンスに参加。 1953年ワルシャワ大学法律卒。1957年「Po Prostu」誌編集委員。1962年弁護士資格取得。クロン・モゼレフスキ裁判にて弁護。1968年の3月事件の際逮捕され、2年間弁護士資格を剥奪される。「労働者自衛委員会」(KOR)並びに「人権擁護運動」(ROBCIO)の協力者。「連帯」規約起草者。円卓会議法律部門「連帯」側代表。1990「中央合意」(PC)設立。1992年より「ポーランド再生運動」(ROP)指導者。 1995年の大統領選では6.86%の票を獲得する。

Lech Walesa(レフ・ワレサ)
57才、電気工。元大統領。第三共和国キリスト教民主党党首。ノーベル平和賞受賞者。世界各国の大学より多数の名誉博士号を受理している。 1967年、グダンスク・レーニン造船所に電気工として勤務。1970年12月事件の指導者の一人。拘留後解雇処分を受ける。数ヶ月後に復職するが1976年の6月事件の際再び逮捕され解雇処分を受ける。グダンスク自由労組発起人のひとり。その後幾つかの職場にて働くが数回拘留と解雇を繰り返される。1980年グダンスク造船所にてストライキ委員会を組織。政労合意後9月に工場間独立自治労組委員長。1981年10月の「連帯」大会にて委員長に選出される。戒厳令布告後、逮捕長期間拘留される。1983年より造船所の職場に復帰。同年ノーベル平和賞を受賞。1986「連帯暫定評議会」委員長。円卓会議を成功させた後、第二回「連帯」大会にて再選される。1990年の大統領選挙では第二回選でティミンスキ候補と一騎討ちし、得票率74%で当選。1997年に第三共和国キリスト教民主党を設立する。他党からの支持は無い。

Janusz Korwin-Mikke (ヤヌシュ・コルヴィン=ミケ)
58才、ワルシャワ大学数学部に学ぶ。修士論文は同大学哲学部。 1968年三月事件の際逮捕される。1979年、「右派、保守、リベラリズム」と題するセミナーを主催。1962-1982 「民主党」(SD)党員。1980年シュチェチンのストに参加。手工業者「連帯」顧問。戒厳令布告後拘留される。1987年より「現実的政策運動」総裁。1989年組織名を「現実的政策連合」(UPR)に変名。1991年 -1993年下院議員。1995年の大統領選に出馬。2.4%得票。 「小さな政府」の賛美者。

Andrzej Lepper (アンジェイ・レッペル)
46才、「自衛」(Samoobrona)指導者。 農業専門中学卒。 1978-1980年、統一労働者党党員。1991年ハイパーインフレで急激に高利となった金利を返済できないとしてハンガーストライキを打った農民等の指導者となる。1992年、「自衛」(Samoobrona)委員長。その後、数多くの農民デモを企画し自ら参加する。1995年の大統領選挙に立候補。13人の候補者の内得票率では9位であった。

Dariusz Grabowski (ダリウシュ・グラボフスキ)
50才, 経済博士, 国会議員、「ポーランド連合」指導者。 元「ポーランド再生運動」(ROP)の幹部。オルシェフスキ首相顧問。一般的に右派と認識されているが、経済思想はかなり社会正義を重んじるケインジアンである。

Piotr Ikonowicz (ピョートル・イコノヴィッチ)
44才、法学修士、国会議員、「ポーランド社会党」(PPS)。 1980-81年、「連帯-マゾフシェ」勤務、1987-1993年、「ポーランド社会党」委員長。 1993年総選挙では「左翼民主同盟」(SLD)より出馬、当選。

Jan Lopuszanski (ヤン・ウォプシャンスキ)
45才、法律家。 ワルシャワ大学法律卒。戒厳令布告後地下運動に参加。シロンスク地区「工場間連帯設立委員会(地下)」(MKZ)顧問。1989-1993年、下院議員。憲法委員会副議長。1989年、クリスチャン民族党(ZChN)を設立、同党最高評議会委員長。1997年、再度下院に当選。1998年、AWSより追放される。「我等のサークル」(Nasze Kolo)を組織する。1999年、ZChNを脱党。同時に「ポーランドのための協定」(Porozumienie Polskie)総裁に任命される。 EU、NATO加盟反対派。

Bogdan Pawlowski (ボグダン・パヴォフスキ)
55才。体育教師。無所属。自営業を営む。 1995年の大統領選には立候補はしたが、途中でキャンペーンを打ちきった。 民族主義者にて反ユダヤ主義者。

Tadeusz Wilecki (タデウシュ・ヴィレツキ)
55才。大学卒。将軍。元国防大臣 愛国主義と原則主義の混合。

候補者の横顔(ポ語・『ジェチポスポリタ』紙)





世論調査(OBOP 8月19日-21日)


クファシニェフスキ大統領66%
オレホフスキ11%
クシャクレフスキ9%
カリノフスキ5%
オルシェフスキ3%
ワレサ2%
その他の候補者1%未満


(うめだ よしほ 2000.09.07)