ポーランド、NATOに正式加盟



 1999年3月12日、米国ミズーリ州のトルーマン図書館で、ポーランド、ハンガリー、チェコの北大西洋条約機構(NATO)への正式加盟式が開かれ、批准文書の寄託が行われた。このトルーマン図書館は、1949年に当時のトルーマン米大統領がNATO創設を発表した場所でもある。ポーランドからは、ゲレメク外務大臣が出席し、オルブライト米国務長官に批准文書を寄託した。一方、ポーランドでは、19時から無名戦士の墓があるピウスツキ広場で、NATO旗とポーランド国旗を掲揚する式典が行われた。この3国の加盟によって、NATO加盟国は19カ国となる。また、ポーランドの加盟で、NATOは初めてロシア(カリーニングラード)と直接国境を接することになる。ポーランドにとっては、NATO傘下で安全保障が確保されるだけでなく、念願の欧州復帰であり、EU加盟への大きなステップとなった。

 トルーマン図書館の式典でオルブライト米国務長官は、「3国の運命がポーカーのチップのように取り引き材料として翻弄されることは二度とないだろう。あなた達は真の同盟国だ」と力説した。また、NATOは今後も拡大させていくことを表明した。ポーランド外務省は、「ポーランドのNATO加盟は、ヤルタ会談によって押しつけられたヨーロッパの分断に終止符を打つものだ」との声明を発表した。また、ブゼック首相は式典前日の11日、1989年以降の7人の全ての首相を首相官邸に招待し、NATO加盟を記念したメダルを授与した。一方ロシアは、「NATOの拡大は国際関係における信頼と安定を強化するものではなく、逆にヨーロッパに新しい分断線を生み出すことになるかもしれない」(イワショフ・ロシア国防省対外協力局長公式声明)と、強い警戒感を示した。

 「NATO加盟はポーランドの悲願」とよく言われるが、CBOS(ポーランド)とTARKI(ハンガリー)が行った世論調査によると、ポーランド・ハンガリーのいずれの国においても、NATOへの加盟を支持する国民は6割程度にとどまり、国民の雰囲気は必ずしも歓迎一色ではないことを示している。また、「NATO軍が自分の国に駐留するべきだと思いますか?」との問いには、否定的な回答がいずれの国でも56%にのぼった(Dziennik Internetowy PAP, 1999.03.12号)。しかしながら、CBOSが行った正式加盟直前の調査では、ポーランド人の67%がNATO加盟を支持するという結果も出ており、国民の不安も次第に薄らいできている様子がうかがえる(Dziennik Internetowy PAP, 1999.03.16号)。

 なお、別の世論調査機関(OBOP)が2月行った調査では、「加盟賛成」67%、「加盟反対」9%、「どちらでもよい」16%、「わからない」8%という結果が出ている。この調査では、学歴別、および年齢別の調査に興味深い結果があらわれた。学歴別では、NATO正式加盟への賛成が最も多かったのは、大学卒のグループで(賛成88%)、一方、最も低かったのは小学卒のグループであった(賛成53%)。年齢別では、19歳未満で最も高く(賛成76%)、60歳以上で最も低かった(賛成55%)(Dziennik Internetowy PAP, 1999.03.13-14号)。また、マーケティング・センター(CBM)が1998年夏に行っている調査では、農民の間で支持が低いことが明らかになっている。この調査では、農民の半数が加盟反対で、賛成は4人に1人にとどまっている(Rzeczpospolita, 1998.05.30号)。

 1989年の体制転換直後、国民の圧倒的多数は、ポーランドは中立国になるべきだとの見解を示していた。しかし、その後ロシア情勢が不安定になり、ドイツでも排外主義が強まる中で、中立で本当に国家の安全が保障されるのかという不安が国民の間に高まっていった。こうした状況にいち早く反応したのは、当時のワレサ大統領であった。大統領は、機会があるごとに、ポーランドの早期NATO加盟を説いた。しかし、そうした活動を議会の頭ごなしに行ったため、議会や国民の不必要な反発を招いていた。

 NATOは今年50周年を迎える。1999年4月にはワシントンで記念式典が開かれるが、そこで米国は「新戦略構想」を発表する見通しである。冷戦後もヨーロッパの安定化で指導的役割を果たしたい米国にとって、米国の強い後押しを受けた3カ国の今回の加盟は重要な意義がある。ポーランドにも、そうした米国の新戦略に沿った役割が期待されることになろう。また、今後はさらにバルト諸国等の加盟が議題にあがってくると予想されるが、ロシアの強い抵抗は避けられない。さらに、旧東欧諸国の中で、政治的に安定し経済的に成長軌道にのれた国とそうでない国との格差が拡大することも予想される。これらのことは、NATOの拡大が、規模の拡大による安定要因ばかりではなく、多くの不安定要因を抱えていることを示しており、ポーランドの研ぎ澄まされた国際的バランス感覚が問われることになるだろう。

(1999.03.16)



(追記)
 国防省(MON)スポークスマンのエウゲニウシュ・ムレチャック(Eugeniusz Mleczak)は、1999年3月22日、ポーランド通信社(PAP)のインタビューに答え、「(NATO司令部の決定があれば)ポーランドはコソボにおけるNATOの作戦に参加する用意がある」と表明した。スポークスマンは加えて、「ポーランドの兵士は、ボスニアの時と同じ原則でNATOの派遣部隊に参加するが、(今回は)国連の旗のもとではなく、国連の承認を受けたうえでNATOの枠内で参加する」、と述べた(Dziennik Internetowy PAP, 1999.03.23号)。

 クファシニェフスキ大統領は、1999年3月24日、「ユーゴにおけるNATO軍の行動は正当なものである」と表明した。また、NATOの作戦に参加する準備はできているとしたうえで、「現時点でNATO軍への参加は予定していない」と言明した(Dziennik Internetowy PAP, 1999.03.25号)。

 ブロニスワフ・ゲレメク(Bronislaw Geremek)外相は、コソボ難民を1000人まで受け入れる用意があると表明した。住居は内務・行政省が準備するが、保養施設等が使われると思われる(Dziennik Internetowy PAP, 1999.04.02号)。


NATOの拡大とポーランド



1949年4月 西欧10カ国と米国、カナダによりNATO発足。
1952年5月 ギリシャ、トルコ加盟。
1955年5月 ワルシャワ条約機構発足。
1955年5月 西ドイツ加盟。
1982年5月 スペイン加盟。
1989年6月 ポーランドの総選挙の自由選挙枠で「連帯」圧勝。
1989年8月 ポーランドに東欧で戦後初の非共産党政権誕生。
1989年11月 ベルリンの壁崩壊。
1989年12月 米ソが冷戦終結を宣言。
1990年10月 東西ドイツ統一。
1991年7月 ワルシャワ条約機構解体。
1991年12月 ソ連解体。
1994年1月 「平和のためのパートナーシップ」発足。
1994年7月 ポ・NATO間で個別の「平和のためのパートナーシップ」調印
1997年5月 NATO・ロシア間で「基本議定書」調印。
1997年7月 NATO首脳会議、ポーランド、ハンガリー、チェコの新規加盟で合意。
1999年3月 ポーランド、ハンガリー、チェコ、NATO正式加盟。







 (注) この調査は、ポーランドのCBOS(世論調査センター)とハンガリーのTARKI(情報処理・世論調査センター)によって、1999年2月24日から3月1日の間に、成人合計1058人を対象に行われた(Dziennik Internetowy PAP, 1999.03.12号)。




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