自由同盟(UW)、連立政権から離脱
2000年5月末、ワルシャワ市中央区(Gmina Centrum)区長ヘンリック・スクロプカ(Henryk Skrobka−「連帯」選挙行動)に対する自由同盟(UW)の解任要求を「連帯」選挙行動(AWS)が拒否したことをきっかけに、UWが連立離脱をほのめかし、AWS-UW連立政権は危機に陥った。6月6日、AWSは最終的に現在のブゼク首相を退陣させ、替わりにAWS代表のマリアン・クシャクレフスキを首相候補としてUWに提示したが、UWがこれを拒否してバルツェロヴィチ副首相兼蔵相(UW党首)、スホツカ法相、シリイチク運輸・海洋経済相らを引き上げることを決定した。新しい大臣は、法相にレフ・カチンスキ(Lech Kaczynski)、蔵相にヤロスワフ・バウツ(Jaroslaw Bauc)、地域振興・住宅建設相(新設)にイェジィ・クロピブニツキ(Jerzy Kropiwnicki)、副首相兼経済相にヤヌシ・シタインホフ(Janusz Steinhoff)、運輸相にイェジィ・ヴィジク(Janusz Widzyk)が就任する予定(6月12日)。ゲレメク外相と、オニシキエヴィチ国防相は、当面留任する。「連帯」選挙行動は当面少数与党政権を維持することになるが、2001年国家予算を単独で国会通過させるのは難しく、大統領が来年春に国会議員の任期短縮を要求し、総選挙になる可能性が高まった。
1989年の体制転換以降、急激な自由化と強力な金融引き締め政策(ショック療法)などの影響で、経済が一時大きく落ち込み、国民の間に不安が高まった。しかし、中道が何とか政権を維持していわゆる「転換不況」を切り抜けてきたが、1993年、民主同盟(現在の自由同盟)所属のスホツカ政権の時期に「連帯」が首相不信任にまわり、1票差で不信任案が可決した。その後の総選挙で左翼が圧勝し、「連帯」系は4年間にわたって政権から遠ざかることになる。1997年の選挙では、元「連帯」系の政党が協力して「連帯」選挙行動(AWS)を組織し、何とか第1党の座を奪回したものの、単独で過半数が握れず、UWと連立を組んで政権を維持してきた(年表参照)。しかし、労働組合などを支持基盤とするAWSと、EU加盟に向けて自由化と体制改革を促進しようとするUWとは政策が大きく異なり、連立政権発足当時から両者の摩擦は絶えなかった。またAWS代表のクシャクレフスキが大統領選出馬をにらみ首相にならず、側近のブゼクを首相に据えたことから、UWは公式には首相と、実質的にはクシャクレフスキと政策調整をしなければならず、UW側の不満は鬱積していた。
UWは、体制転換を早期に実現し、2002-2003年のEU加盟を実現するためリストラを一層進め、経済自由化をさらに推進したいと考えているが、一方のAWSは元々寄り合い所帯で、内部調整にもたつき改革にあまり熱心ではないため、いらだちを募らせていた。またAWSは、UWが1999年から開始された四大改革を強行し、国民の政権に対する不満が高まって来たことから、国民に人気のない改革派のバルツェロヴィチを早く政権から追い出したいと考えていた。今回の人事を巡る対立をきっかけに、こうした対立は頂点に達したといえる。UW側は元々、クシャクレフスキが首相になることを要求していたが、双方が今回の問題で話し合いを持つ中で溝はかえって深まり、AWSが最終的にクシャクレフスキを首相候補としたにも関わらず、自由同盟は大臣、および高官を政権から引き揚げることを決定し、ここに連立は崩壊した。AWSとUWの主な対立点は、(1)課税制度改革、(2)所有自由化(外国資本等による土地取得自由化など)、(3)財政(赤字幅をどうするか)、(4)汚職(ロビー活動についてなど)、(5)EU加盟に対するスタンス(2003年加盟を目指すのか?)、(6)2001年度国家予算案、(7)改革への取り組み(意欲、スピード)、などであった。
AWSはUWとの連立はなんとか維持したいと考えていたが、結果的には最悪の事態になってしまった。クシャクレフスキは「(自由)同盟はAWSが用意した連立を救うためのチャンスを利用しなかった」と批判したが、今後もUWとの和解は模索していく構えである。現在、国会下院(Sejm)は460議席で、過半数は230議席である。そのうち、「連帯」選挙行動(AWS)は186議席を占め、以下、民主左派連合(SLD)−161議席、自由同盟(UW)−59議席、ポーランド農民党(PSL)−26議席、PP−7議席、KPN−5議席、ROP−4議席、PPS−3議席、PRS−3議席、無所属−6議席、となっている。連立の可能性は、AWS-UW(245議席)、AWS-PSL(212議席)、SLD-UW(220議席)などであるが、過半数を維持するにはAWS-UW連立しかない。今回、AWSが単独少数与党政権を選択したことで、一気に政情が不安定化することはないが、2001年度国家予算案を単独で成立させることは極めて難しい状況にある。もし来年に入っても予算案が成立しない場合は、大統領が国会議員の任期短縮を要求し(ポーランド共和国憲法 第98条4、5項)、総選挙になる可能性が高い。
最近の世論調査センター(OBOP)の政党支持率調査では、民主左派連合(SLD)-43%、「連帯」選挙行動(AWS)-16%、自由同盟(UW)-13%、ポーランド農民党(PSL)-7%、となっており、今総選挙を行えば、左翼の圧勝となる。また、OBOPの大統領選人気調査では、クファシニェフスキ70%、オレホフスキ10%、クシャクレフスキ4%、ワレサ4%、レッペル4%となっており、今年秋の大統領選でも左翼の圧勝は確実の情勢である。また、同じくUWの政権離脱を問う調査では、40%の国民が「UWの決断は正しい」と答えており、「間違っていた」(24%)を大きく上回った。
現在のところEU側は、今回の政情不安が即在にポーランドのEU加盟延期につながるとは判断していない。しかし、EU加盟まで国会を通過させなければならない法案が山積みされており、またEU側が政情不安を抱えた国の参加に懸念を示すのは大いに予想されることである。バルツェロヴィチ退陣を望んでいたAWSが、バルツェロヴィチ抜きでどこまで国民の支持を回復できるのか、これからAWSの粘りが問われることになる。
(2000.06.09 田口雅弘(c))
梅田芳穂氏(ポーランド国会上院顧問)コメント
- UWの狙い
- 失業率、経済成長率などが予算成立段階で定められた数値を大きく下回った。
- バルツェロヴィチ副首相にとっては、緊急かつ抜本的経済政策見直しに迫られた状況にあったにもかかわらず、AWSの一部が同副首相に非協力的であるがゆえに、緊急法案(まだ日の目を見ていない)を通す事が不可能との判断を下し、連立から脱する決定を行った(危機以前)。
- たまたまワルシャワを巡る問題が発生し、UW−AWS間に大きな亀裂が生じた。ブゼク首相は候補の中から対UWとの折衝にて最も摩擦が起こる可能性が高い人物を区長(Komisarz)に選んだ。計画的か? 一般的にはこの段階から危機が発生した事になっている。
- AWSの狙い
- AWS内の大部分が反バルツェロヴィチ副首相派であり、バルツェロヴィチ副首相退陣は最大の悲願であった。
- 危機発生当初より、上記一点が最大の狙いであったものの、連立維持も重要なポイントであり、首相辞表声明までなされた。
- 連立維持のために数多くの首相候補が議論され、コモウォスキ副首相の線で合意がほぼなされたものの、バルツェロヴィチ副首相退陣につき何の進展も見られなかったゆえ、最終段階にてUWが承認できない首相候補、すなわちクシャクレフスキ委員長を候補に打ち出した。この段階でAWSは少数政権になる事を決定していた。
- 今後の見通し
- 少数政権成立直後の下院は意外と整然としており、1年以上合意が不可能だったInstytut Pamieci Narodowy総裁選出も成功した。
- 少数政権のシナリオが通ったことからブゼク続投となり、閣僚評議会の作業がかなりスピードアップされることが予想される。
- かなりの数のUW出身の役人(次官も含む)が政府内に居残させる合意がある。
- EU加盟関連、国防、等の法案は連立当時のようにUWも政府案に従う合意がある。
- 経済諸政策については、来年の選挙を狙い、かなり財布の緒が緩まる方向に走る(バルツェロヴィッチ副首相では不可能)。
- 従って、失業率は下がる方向に行くと予想されるが、財政赤字等は相当悪化する方向に行くと考えられる。
- しかしながら、経済全体は依然としてかなり良好である。AWS最大の課題は将来長期間にわたり今年の危機が生んだ可能性を出来る限りうまく利用し、かつ、将来長期間経済に影響を及ぼすような政策を行わないように努力する事である。
- 少数政権は早くとも来年度予算不成立の時点(2月)まで、あるいは予算が成立すれば満期まで続く見通しである。
- UW−SLD、AWS―PSL政権の可能性はほぼない。
(2000.06.09 梅田芳穂(c)2000)
小森田秋夫氏(東京大学社会科学研究所教授)コメント
連帯選挙行動(AWS)と自由同盟(UW)との連立は、もともと次のような構造的問題を抱えていた。
- 両党の政策およびスタイルの相違。
もっとも重要な相違は経済政策で、最大の争点である税制改革をはじめ、炭
坑、農業など構造的問題を抱えた部門にたいする政策、AWSの一部が追求し
ているポピュリスト的な「普遍的所有者化」などが継続的に連立内紛争の対象
となっていた。
そのほか、AWSの高度に党派的な人事政策もUW側の強い批判の対象と
なっていた(UWも党派的人事の埒外にあったわけではないが、AWSの人事
はしばしば能力=適格性を問われるようなものであるという意味で、党派色が
剥き出しとなった)。
- このような対立は、単にAWS-UW間の対立であっただけでなく、AW
S自身が、『連帯』労組を基盤とし、形式的にはブゼク首相、実質的にはク
シャクレフスキ『連帯』労組議長をリーダーとするRS AWSの両翼に、一
方には高度に反バルツェロヴィチ的な「左派」ないし「国民カトリック」派、
他方には元民主同盟系議員が中心に坐り、したがってUWとの連立維持を重視
する「リベラル」なSKL(保守人民党)とを抱えていることから、いっそう
複雑になっている。前者の一部はすでにAWSを離脱して反EU派を形成して
おり、閣内ではZChN(キリスト教国民連合)のクロピヴニツキ戦略研究セ
ンター長が中心となっている。
このような構図のもとで、AWSを束ねるべきクシャクレフスキのリーダー
シップが動揺し、大統領候補選びの過程では、UWが受け入れないクシャクレ
フスキに対抗して、SKLがAWS−UWの統一候補となりうる人物として国
会議長のプウァジンスキ(RS AWS)を担ごうとするまでになっている
(結局、AWSの候補はクシャクレフスキに落ち着く気配となり、UWは与党
統一候補も独自候補も見送るという態度を決めていた)。
- ブゼク政府は、当初から、UW側は党首のバルツェロヴィチが副首相兼
財務相として閣内に入っているのにたいして、AWS側ではクシャクレフスキ
という実質的なリーダーが閣外からコントロールするという「政治局政治」の
構造になっていた。新憲法下で、制度的には首相のリーダーシップが高められ
ているにもかかわらず、ブゼクは自律的意思決定のできない立場にあった(一
方、UW側では、バルツェロヴィチの政策はUWのそれというよりも、何より
財務省の政策であり、このことが、98年秋の地方選挙前に累進税制の段階的
廃止構想が打ち出され、選挙でUWに打撃となったと見られたときに、党内に
バルツェロヴィチ批判を生んだこともあった)。
しかも、そのようなクシャクレフスキがAWS全体を統率することができな
いリーダーシップの不足という弱点を抱えていた。クシャクレフスキは、政府
の外から議員クラブ会長としてリーダーシップを確保しつつ大統領に上昇する
という、現大統領クファシニェフスキが成功裏に歩んだ道を狙ったと見られる
が、クファシニェフスキの場合は、内部対立がないではないSLDの結束を
保っただけではなく、憲法委員会委員長という公職にあって、対立を克服する
協調的政治家としてのイメージを作ることにある程度成功した。クシャクレフ
スキには、国会議員以外の公職はなく、そのリーダーシップは完全に「内向
き」のものになっている。
以上のことを背景に、政府の法案が与党(AWS)の一部によって支持され
ず、むしろ野党(とくに民主左翼同盟SLD)と結びついて政府の方針が覆さ
れるという事態がしばしば現われるようになっていた(最近の事例として、農
業生産物にたいする3%のVATという政府案が国会で覆され、0%にされた
という出来事がある。ただし、UWの連立離脱後、上院がこれを3%に戻した
ため、最終的決定は、改めて国会の態度に委ねられている)。その意味で、政
府=与党という等式が崩れ、ブゼク政府はすでに論点によっては少数内閣に転
落していた。財務相と外相(および国防相)というEU加盟にとって鍵となる
要職を抑えたUWから見ると、このような事態は危機的なものであった。しか
も、国内的には、来年の議会選挙を控えてSLDの支持率が40%台に達し、
AWSとUWの支持率を合わせても及ばないという状況が定着していた。
このような事情を背景に、バルツェロヴィチは、3月末、クシャクレフスキ
とブゼクにメモランダムの形で実現すべき政策・法案と撤回すべき法案のリス
トを突きつけ、AWS内の規律を再確立することを求めた。が、これにたいす
る応答はなかった。この種のやり取りはこれが初めてではなく、いつもUWが
振り上げた拳を曖昧に下して収まるという経緯をたどってきた。AWS側に
は、少数派のUWから指図されるいわれはないという思いとともに、「国家に
たいする責任感」をもったUWが政権を投げ出すことはないと、高をくくった
態度があったと見られる。しかし、5月半ばのワルシャワの事件が、UW側の
決断を迫ることになった。
ワルシャワの事件とは、次のようなものである。
AWS‐UWの中央指導部間で合意していた首都ワルシャワの市長候補(U
W)を現地のAWSの一部が支持しなかったため、AWS−UW連立に代わる
SLD−UWのローカルな連立が成立し、UW候補を選出した。AWSはこれ
にたいする報復として、「ワルシャワ中央」(中心部の行政単位)の議会をボ
イコットし、AWS執行部の更迭を阻止しようとした。しかし、SLD−UW
がボイコットしたAWSの議長・副議長ぬきに会議を開き、SLDの議員をワ
ルシャワ中央の行政の長に選出した。これにたいし、マゾフシェ県知事(AW
S)は評議会の活動を違法とし、ブゼク首相に評議会の活動停止と「コミサー
ル管理」の導入を提案した。ブゼク首相の周辺ではこの提案に懐疑的であり、
ブゼクもすぐに「コミサール管理」を敷くことはないと言っていたにもかかわ
らず、その日の晩にクシャクレフスキを含むAWS幹部が介入した結果、ブゼ
クは「コミサール管理」をただちに導入した。コミサールは、警察の力をかり
て庁舎を制圧するなど乱暴な振る舞いを見せた。
この事件は、ローカルな問題ではあるが、UWから見ると、(1)もともと、
AWSの指導部が内部をまとめきれない(いくら指導部同士のレベルで合意を
成立させても、実行される保障がない)ところから生まれた問題である、(2)
にもかかわらず、ワルシャワのAWSは、乱暴なやり方で権力にしがみつこう
とした、(3)しかも、ブゼク首相は、AWS幹部の圧力に屈して態度を翻し
た、(4)攻撃されたのは、UWが深くコミットしてきた「地方自治」の理念で
ある、という点で、従来からUWが問題にしてきたAWSの問題点を凝縮した
ものであった。
ここに至って、UWの大勢は、AWSとの連立の見なおしという方向に大き
く舵を切ることになった。AWSは、連立維持を模索したが、後継首相をめぐ
る駆け引きの末、AWSが今やUWには呑むことのできないクシャクレフスキ
を首相候補に推した段階で、UWは最終的に連立を離脱する決断をした。ただ
し、UWは「閣僚の引き揚げ」という言い方を前面に出し、議会内ではケース
バイケースで政府法案を支持することもある(とくにEU加盟に必要なものに
ついては)という態度を示しており、ただちに文字どおりの野党に転ずるとい
うわけではない。
ブゼク首相は、予想外の早さで後任閣僚の人選を進めた。経済関係では、炭
坑リストラの責任者であるシタインホフ経済相を経済担当副首相に、財務相に
は財務次官のバウツを昇格させ、新設の地域開発=住宅相にバルツェロヴィチ
の論敵クロピヴニツキを据える方針が示されている。
この方針どおりに決定されるとすれば、党派的にはシタインホフはPPCh
D(キリスト教民主主義者連合。AWS内の一派)、クロピヴニツキはZCh
N(同じくAWSの一派)であるから、後任運輸相のヴィヂク(RS AWS)
と合わせ、UWに近いSKLを除くAWS各派のバランスをとったと解釈する
ことができる。
政策的観点から見ると、マクロ経済の専門家として政策的にはバルツェロ
ヴィチに近いと見なされてはいるが政治的には軽量なバウツが財務相になり、
しかも副首相から外れたことで、クロピヴニツキに代表される積極財政路線に
傾斜してゆく可能性がある。この点で、炭坑リストラ問題で労組の圧力と財務
省(バルツェロヴィチ)の圧力との狭間にあったシタインホフの、今後の姿勢
が問われよう。
ブゼク首相は、後任人事では早い決断を見せたが、UWが連立を離れたこと
によって政策決定がやりやすくなったと単純に言えるわけではない(AWS自
身が大きな内部問題をかかえているのだから)。今度の事件が、クシャクレフ
スキとブゼクの力関係を後者に有利に変えることになるのかどうか、クシャク
レフスキが大統領候補としてどのように振舞うことになるか、が問題になろ
う。
ブゼク少数内閣の行方を占う鍵が、来年度予算法(関連して税法)の成否で
あることは、大方の予想するところである。UWを政府から切り離して「身
軽」になったAWSも、予算法をめぐってはUWの支持を得なければならない
から、政策問題は一向に片がついていない。ここで、クシャクレフスキとブゼ
クのリーダーシップが問われることになる。UWとの関係では、今のところ、
政府関係のポストからUW系の人物をパージすることはないという方針が採ら
れている。ポスト漁りの傾向のあるAWSの圧力を、ブゼクらが今後もかわせ
るかどうかも問われよう。
仮に予算法が成立しなければ、半年早く、来春に議会選挙となる可能性が高
い。この時期の選挙は、新政府のもとで予算編成をおこなうことができるとい
う観点から、SLDが以前から主張していたところでもある。
(2000.06.12 小森田秋夫(c)2000)
