


ポーランドに音楽留学生として来ようとしていて、もし、何らかの予備知識を得ておきたいと考えている人には、まず何はさておき、宮島直機編『もっと知りたいポーランド』(弘文堂、3,000円)がお薦め。ポーランド音楽全般の概要がわかりやすくコンパクトにまとめてあるのみならず、様々な分野についての概要が章ごとにバランスよく並んでいる為、ざっと目を通すだけでもポーランドを理解する上できっと役に立ちます。
ポーランド音楽史をきちんと押さえておきたい人には、ズバリ田村進著『ポーランド音楽史』(雄山閣出版、2,950円)がお薦め。特にポーランド現代音楽の現状を理解する上では良い手引きとなることでしょう。
シマノフスキを演奏しようなどと言う人ならば、日本シマノフスキ協会編『シマノフスキ 人と作品』(春秋社、3,400円)に目を通しておいて損はないはず。
読み物としては、J・ヴァルドルフ著(足達和子訳)『ものがたりショパンコンクール』(音楽之友社、1,850円)、佐藤允彦著『ショパンとピアノと作品と』(東京音楽社、2,060円)が面白い。特に『ショパンとピアノと作品と』は形としてはエッセイ風だが、著者の長年のショパン研究に基づく幅広い見識の上に書かれたもので、その内容は一級の研究書とも言うべき充実度がある。
中村紘子著『チャイコフスキーコンクール』(中央公論社、1,030円)、スラニスラフ・ブーニン著(松野明子訳)『カーテンコールのあとで』(主婦と生活社、1,500円)にもそれぞれワルシャワやショパンコンクールにまつわる話が登場し興味深いエピソードを披露している。
年に1回発行される雑誌『ポロニカ』(恒文社、2,500円)もポーランド文化を広く紹介しており、特に'93年の第4号にはショパン音楽院の卒業生である高岡美保さんの留学体験記が載っている。これから留学生活を始めようとしている人には、参考になることも多いのでは?
同誌に連載中の佐藤允彦著『ポーランドのピアニストたち』は、日本ではなじみの薄い音楽家の名前が多数登場し、最初はチンプンカンプンかもしれないが、ポーランドでは著名な人物である場合が多く、こちらでしばらく生活してから読むと「おお、そうだったのか!」と感激することしきりです。
(井上康夫・ショパン音楽院留学 1994.07)

(2000.09.15)

ポーランド語辞典の整備状況
現在一番基本となるポーランド語辞典は、体制転換後にPWNが組織した編集委員会によって改訂された全3巻のシムチャク編『ポーランド語辞典』新版(文献[32])である。これは全3巻の旧版(文献[31])の改訂版で、第 章でもふれたように、社会科学関連用語全体の約20%について定義の改訂が行われ、さらに124ページの増補版が添付されている。社会科学を学ぶものにとっては、専門領域の事典とあわせて利用すれば、実用上不便はほとんどない。しかしながら、あいかわらず大半の見出し語の定義は全11巻のドロシェフスキ編『ポーランド語辞典』(文献[6])に依拠している。さらにドロシェフスキ版は、19世紀に編纂されたリンデ『ポーランド語辞典』(文献[13])を基礎としている。したがって、現代ポーランド語への理解を主軸に考えた場合、大幅な定義・用例の見直しが望まれる。
こうした要求に対応するため、現在PWEの編纂委員会を中心に改訂作業が進められているが、本格的に議論を始めるとなかなか作業は進まないようである。一方、言語について比較的保守的なワルシャワに対して、リベラルな地方都市を中心に様々な意欲的試みが行われている。そのひとつがポズナンの出版社から出されたズグウコーヴァ編『実用現代ポーランド語辞典』である。この辞書は、アダム・ミツキェヴィチ大学のスタッフを編纂委員とし1993年から準備が開始され、1995年から出版が始められた辞書である。この辞書の特徴は、まずなんと言ってもその規模の大きさである。各巻約300〜350ページのボリュームがあり、既刊の第6巻でようやくchlorytyzacjaまでである。出版社では全30巻程度を計画ししているが、このペースでいくと全100巻程度に膨らんでしまうだろう。第2の特徴は、内容の新しさである。現代使われていない用語はできるだけ排除し、現代用語に基礎をおいた編集が試みられている。語彙の選択は、1954〜1993年の出版物等から行い、ドロシェフスキ編『ポーランド語辞典』も、わずかに第11巻(補遺)を参考にしただけである。また、新語を意欲的に取り込んでおり、用例は古典ではなく現代の用法が基本になっている。第3の特徴は、出版の速さである。1993年に編纂委員会が設置されてから2年後に出版が始まるというのは、ポーランドにとっては異例の速さである。これを可能としたのは、出版社の努力もさることながら、編纂にコンピュータを利用したことである。第4の特徴は、品詞分類や用法指示の略語・記号類を極力排除し、初めての利用者が凡例を見なくても利用できるように編集してあることである。指示記号は、“”(“”内は定義)、[]([]内は発音)など5つだけである。また、品詞などの表示でも略記は使われておらず、誰でもすぐに理解できるように工夫してある。
ズグウコーヴァ編『実用現代ポーランド語辞典』は、こうした意欲的試みであるが、現在のところ必ずしも良い評価を得ているとはいい難い。代表的な批判は、まずボリュームが大きすぎることである。現在のペースで発行していっても、今世紀中には完結しない。大きく時代が動いている現代、刊行の終了まで10年かかった場合、AからZまでの全体の統一性は保てるかどうかが大きな問題である。また、実用性を重視し現代語の用例を多く挿入していること自体は良いが、用例は編集者自身が作ったものがほとんどで、その用法には疑問のあるものも少なくない。
次に注目できるのは、マルコフスキ編『実用ポーランド語正用法辞典』(文献[13])である。この辞書は、主に12〜16才向けに編集された辞書であるが、これまでの辞書にない新しい試みが見られ興味深い。ところで、正用法辞典としては、定番の『ポーランド語正用法辞典』(文献[23])がある。しかし、増補・改訂が行われているとはいえ、ドロシェフスキらによる最初の編纂作業が終了したのは1960年代末である。マルコフスキの正用法辞典では、見出し語の定義を実用的な用法に重点をおいて書き換え、簡潔・明瞭にしている。また、広く話し言葉で使われているが好ましくない用法として従来辞書に掲載されなかった地方、社会グループ、世代の差による用法の違いも、必要に応じて掲載している。さらに、他の辞書では完全に無視されているが、若者の間でよく聞かれる表現(cuker → 正しくはcukier、poszlem → 正しくはposzedlem)も、誤りとした上で掲載している。こうしたところに、マルコフスキの言語に対する柔軟性と寛容性をうかがい知ることができる。また、マルコフスキ『こんなに多くの難語』(文献[14])は、新聞、雑誌、テレビ、ラジオに頻繁に登場する用語を集めた現代用語辞典で、発音や用例、誤用を丁寧に掲示している。この2つの辞書は、現代用語を扱う上で良い参考になる。
外来語辞典では、定番の『外来語辞典』(文献[27])、およびコパリンスキ『外来語・外国語成句辞典 アルマナック付き』(文献[11])が充実している。最新の『外来語辞典』では、体制転換前と比べて約7,000語増補されている。このことだけからも、外来語が急増していることがうかがえる。
こうした新しい辞書編纂の試みは、社会主義時代に停滞していたポーランド語の発達を促進するという点で、重要な役割を担っている。しかし、新しく生まれる新語を辞書に掲載するということは、その語を社会的に認知するということでもあり、取り扱いの慎重さも要求される。さらに、急速な情報化に伴って、近い将来辞書には新たな役割が要求されることになるであろう。従来の辞書は人間が利用することを前提とした編纂がなされていた。しかし、機械翻訳の発達や、技術、規格、統計、財務などの領域で国際化が進行すると、人間と機械の双方が理解できる明解な用語や文法の確定が不可欠となる。とりわけ、EU加盟に伴う様々な用語・概念の国際基準への統一や、経済のグローバル化に伴う取引文書等作成・翻訳の自動化は、実務上避けて通れない。現在計画中の『ポーランド語辞典 CD−ROM版』や1996年秋発売を目途に準備中の『新版百科事典 CD−ROM版』(PWN)をきっかけに、こうした言語の「規格化」はますます促進されることになるであろう。
社会科学分野での専門辞典・事典の整備状況
社会科学分野での言語をめぐる大きな問題は、急速に発展しつつある各分野の専門用語の多くが、ごく一部の専門家にしか正確に理解されていないことである。例えば、現在のスタンダートな経済学教科書は、そのほとんどが1993年以降に初版が発行されており、これらの教科書を使って経済学を学んだ学生は、ようやくこれから社会に出ようという段階である。つまり、現在新聞紙上やテレビ・ラジオで登場するジャーナリスト、アナリストらは、一部の西側留学組を除いて、すべて独学か短期のビジネススクールや経営コースで即席に理論を学んだ人たちである。当然ながら、同じ用語でもそれを使う人によって微妙にニュアンスが違ってくる。したがって、社会科学分野での専門辞典・事典の整備は緊急の課題であるといえる。
経済の市場化に対応して新たに編纂された経済事典としては、『ビジネス事典』(文献[20])をまずあげることができる。この事典にはポーランドを代表する約100人が執筆しており、ある意味では新しいポーランドの経済学・経営学の水準を示しているともいえる。ポ英・英ポ経済用語辞典では決定版はないが、『マネージャーのための英ポ・ポ英中辞典』(文献[35])がコンパクトで比較的信頼できる。英ポ経済用語辞典では『英ポビジネス辞典』(文献[34])が63、000語を収録している。ポ英法律用語辞典では『ポ英法律辞典』(文献[35])の信頼が高いが、1986年に発行されて以来、まだ改正されていないのが残念である。英ポ法律用語辞典では、70,000語を収録した『英ポ法律・経済用語辞典』(文献[10])がある。
また、体制変革で新しく生まれた分野に対応した専門用語辞典が目を引く。ブジェスキ『不動産専門用語英ポ辞典』(文献[4])、『金融・銀行事典』(文献[12])、ヴルブレフスカ『英ポ・ポ英金融・銀行業辞典』(文献[36])、ハリス、コヴァルチク『英ポ広告用語事典』(文献[8])、などである。このうち、広告業界の専門用語は、辞書によって用語や訳語が異なったり、用語が英語の不器用な翻訳で、とても業界内で使われている言葉とは思えないものであったりし、業界用語が成熟していない現状がうかがえる。また、広告業自体が生成過程にあり、成熟した組織、戦略、広告倫理基準、広告効果測定方法などが確立していないことも、広告業専門用語が成熟していない原因である。その点、金融業界の用語においては、多くの用語・概念が法律によって規定さえていることもあり、こうした混乱は見られない。『英ポ・ポ英金融・銀行業辞典』(文献[36])も、信頼性の高い辞書である。
貿易の分野では、1986年に初版が出て以来改訂が重ねられているビャウェツキ、ドロシ、ヤヌシキェヴィチ『外国貿易事典』(文献[2])に加えて、『多言語貿易文例辞典』(文献[32])をはじめとする多くの実用辞典・マニアルが発行されており、この分野での専門用語はかなり成熟しているといえる。
企業の財務諸表などを読む場合は、『ポ独英会計・銀行業務中辞典』(文献[9])は必携だが、財務諸表の様式が年々少しずつ変わるので注意が必要である。また、現在国営企業が民営化プロセスにあるため、財務諸表の中にわかりづらい過渡期的な項目がいくつかある。こうした項目の定義は、官報からひとつひとつ拾っていくしか手がない。
ポーランドは、自由化によって急速に国際社会との関係を緊密化しており、この分野での用語の整備も急がれる。『ポ英仏独国際関係・国際法専門用語集』(文献[19])、『国際会議参加者のための辞典』(文献[21])、『仏独英ポ欧州条約用語辞典』(文献[25])などは、こうした要請に応えるものだが、とりわけ、『仏独英ポ欧州条約用語辞典』をはじめとするEU関連辞書の緊急の整備が望まれる。EU加盟が実現すれば、膨大な公式文書、議事録等をポーランド語に、またはポーランド語を少なくとも仏語、英語、独語に翻訳しなければならなくなる。訳語統一化と同時に、EU専門の通訳・翻訳者を大量に要請する必要も生じるであろう。
経済学教科書の整備状況
上述したとおり、経済学の新しい教科書のほとんどは1993年以降発行されている。現在、ポーランド人によって執筆された教科書は、例えば社会主義期ポーランドの代表的社会主義政治経済学教科書の著者ナシウォフスキが執筆した『市場システム ミクロ・マクロ経済学の基礎』(文献[43])などがあるが、その他の代表的教科書のほとんどは翻訳である。
現在ポーランドで一番よく使われているのは、筆者の見たところベッグ、フィッシャー、ドーンブッシュ『経済学』(文献[39])、およびバーダ、ウィプロシ『マクロ経済学 ヨーロッパ標準教科書』(文献[40])である。『経済学』の翻訳は、中央計画統計大学(現在のワルシャワ経済大学)外国貿易学部経済学大講座(現在の第2経済学大講座)のスタッフが体制変革前から計画していた。余談ではあるが、当時からポーランド人にとっては、サムエルソンの経済学よりドーンブッシュの経済学の方がはるかにポーランド人の問題関心に近く、また新しい議論にすぐ飛びつくポーランド人にとってはより新鮮であったようである。この教科書の翻訳にあたり、訳語は用意周到に準備されている。同書の「ポーランド語版への序文」では、次のように述べられている。「(...)世界の経済学は、理論の急速な発展や、最近の20年間における工業諸国経済に生まれた新しい制度、用具、用語と結びついているが、ポーランドの経済学とその周辺の学問(例えば財政学)が世界の経済学から長く隔離されていたため、我々の技術的・経済的遅れはさらにもう一つの遅れ−−すなわち言語的遅れをもたらした。これまでポーランド経済学が使ってきた言語は、現代の市場経済を描くのに充分正確な用具ではないことが明らかになっている。いくつかの概念はポーランド語には全く存在せず、またいくつかは異なった概念の範囲を持ち、多くの経済現象について−−明確化するかわりに−−混乱を招き理解を妨げかねない。(...)」。そう述べた上で同書では、できるだけ用語の直接的「輸入」は退け、ポーランド語の「精神と伝統」にもっとも近い言葉に置き換える努力を試みている。これに対し、ポーランド語にない概念は、無理に翻訳するより原語をそのまま使った方が概念上混乱がないとするグループもあり、教科書によって訳語は様々である。こうした中で、訳語統一の動きもみられる。例えば、バーダ、ウィプロシ『マクロ経済学 ヨーロッパ標準教科書』の訳者グループ(U・グジェロンスカら)は、ベッグ、フィッシャー、ドーンブッシュ『経済学』の訳者グループ(R・ラパツキら)と協議し、ある程度の訳語統一を行っている。この2つの教科書で使われている用語は、これらの教科書が現在標準的教科書として広く使われていることを考えると、将来定訳になっていく可能性が強い。
ベッグ、フィッシャー、ドーンブッシュ『経済学』と並んで人気のあるバーダ、ウィプロシ『マクロ経済学 ヨーロッパ標準教科書』(原書タイトル: Macroeconomics A European Text. Oxford UP, 1993)は、西欧や中・東欧の経済諸問題、EUへの統合を念頭に置いて執筆された教科書で、ポーランド人の問題意識には一番近い教科書であろう。
1989年の体制変革が始まった当時のポーランドでは、まるで新古典派以外は経済学ではないような雰囲気があったが、現在使われているテキストをみると状況はかなり落ち着いてきているようである。当面は時代に追いつくため翻訳されたテキストが標準的教科書として使われていくだろうが、ポーランドの経済学の蓄積とポーランド人のオリジナリティーを求める精神を考慮すると、ポーランド独自の教科書が次々に編纂され、新たなオリジナリティーに満ちた経済学が生まれるのもそう遠い将来の話ではないだろう。
(田口雅弘「ポーランドにおける体制転換と専門用語をめぐる諸問題」、『岡山大学経済学雑誌』第28巻、第1号、1996年より一部抜粋)
文献
1.辞書関係
2.経済学テキスト関係

(2000.09.15)
