ポーランド郵趣の楽しみ


山本勉




 去る5月3日、大阪港停泊中のポーランド帆船ダル・ムウォジェジ号の船上において、ポーランド大使館を通じてポーランド郵便総裁から感謝状をいただきました。これは、私が発行している「ポーランド郵趣」を通じて、ささやかながらポーランドのことを紹介しているからだそうです。当日は雨の予報に反して、時折晴れ間ものぞく天候で、ポーランド協会の皆様方の拍手もいただき感謝いたしております。

 さて「郵趣」とは何でしょうか。耳慣れない言葉だと思いますので少し説明させていただきます。「郵趣」とは、簡単に言うと「郵便に関する趣味」のことです。切手収集と言えば分かりやすいのですが、「郵趣」は、もっと範囲が広く、切手だけにとどまりません。ハガキ頼や各種の郵便印、また切手を貼ったままの手紙類や切手を貼っていない軍事郵便や切手発行以前の手紙類、書留ラベルや航空ラベル、などなど郵便に関するものを総合的に収集・分類・研究する趣味を「郵趣」(英語ではphilately/フイラテリー)と言っています。

 従来から、コレクションの方法にはいくつかのパターンがあります。伝統郵趣は、ある国が発行した切手を発行順・カタログ順に集める方法で、ときには、あるシリーズだけを専門に集めることもあります。そこで、国別コレクションとも呼ばれます。しかし、種類が膨大となったため、テーマチック収集という方法が戦後考え 出されました。これは、あるテーマを決めて、それに関連する郵趣マテリアル(切手、消印、ハガキ頼など)を、そのテーマに沿って集めていく方法で、現在もっとも人気のある収集方法です。また、最近人気のある収集方法の一つに、郵便史コレクションというのがあります。これは、ある時期の郵便制度、郵便ルート、郵便料金などを中心に研究する方法です。この他にも、航空関係の郵趣材料を収集する航空郵趣、切手・消印・ハガキ図案の三要素間に最大限の一致性を求めるマキシマムカードを収集するマキシマフィリー、などいろいろあります。

 私は、特に郵便史的な手法に興味を持っているのですが、これはポーランドの影響が大きいのです。例えば、次の三枚の切手をご覧ください。これらは1860年代から1910年代にかけて発行された切手です。

   


 左から、ドイツ切手、オーストリア切手、ロシア切手なので、従来の収集法である伝統郵趣では、それぞれの国に分類されます。ところが、消印を見ると、Danzig,Krakau/Krakow,BAP#ABAとなっています。いずれも現在はポーランドで、それぞれGdansk(グダニスク),Krakow(クラクフ),Warszawa(ワルシャワ)なのです。このように、第1次大戦後独立するまでのポーランドは、ドイツ、オーストリア、ロシアの領土であったことが分かります。

 切手力タログ上のポーランド最初の切手は、1860年にロシア領ポーランドで発行された10kの切手ですが、1865年に使用が停止されると、1918年11月の独立で独自の切手を発行するまで、”ポーランド切手”というものは存在しないのです。それでは、1865年から1918年までの間、その地に郵便がなかったのかというと、そうではありません。上の三枚の切手が語るように、それぞれの国の切手が使われたのです。このように、カタログ上の空白を埋める作業が、ポーランドという国に興味をおぼえたきっかけとなっています。

 いろいろ調べるうちに、もっと複雑であることが分かると同時に、ほとんど日本語で書かれた文献がないことも分かりました。一般的な収集方法や関連文献についての情報など、たくさんのことを先輩たちに教えていただきました。未だに分からないことばかりですが、日本人の私にとっては一生かかっても解明できることではありません。そこで、これまでのご恩返しの意味も込めて、自分の知っていることだけでも同好の志に伝えようと思い立ち、1992年に「ポーランド郵趣」という会報(年6回)を発行することにいたしました。郵趣という趣味を通じて、少しでもポーランドのことを日本の収集家に紹介したい。ポーランド郵趣の奥深さと面白さを知っていただきたい。それが私の願いです。

 「ポーランド郵趣の奥深さ」と申しましたが、理由の一つに、その版図の変遷が大変複雑であることが挙げられます。近代郵便が始まる17世紀以降のことを考えてみますと、18世紀末の三分割以前のポーランドは現在のリトアニアやラトビアの一部にも独自の郵便局を持っていました。例えば、現在ラトビアのJelgawaにはポーランドの郵便局があり、Mitauと呼ばれていました。ここは、ポーランド→ロシア→ラトビア→ソ連→ラトビアという変遷を経ています。



 三分割後は、基本的にはそれぞれの国の郵便制度が導入されますが、ナポレオンによって「ワルシャワ公国」が設立されたり、彼の没落後「クラクフ自由市」がポーランドの地に出現します。やっと第1次大戦後独立したものの、その領土は1922年頃まで確定しませんでした。上シレジア、クフィジン、オルシュティンなどの住民投票地区、ポーランド・ロシア戦争による東部国境の争奪戦、中央リトアニアの占領、グダニスク自由市の創設などを経てやっと領土が確定したのです。それぞれの地域では独自の切手が使われ、これらはポーランド関連として興味深い収集対象となっています。

 第1次大戦後のポーランドの版図は、現在とは大きく異なります。おおざっぱに言えば、現在より随分ロシア寄りになっています。従って、1919-1939年の間に使われたポーランド切手の中には、その後のソ連、現在のリトアニアやウクライナに属する局のものが少なくありません。例えば、Lwow(ルヴフ)やStanislawow(スタニスワヴフ)は現在ウクライナですし、Wilno(ヴィルノ)は現在リトアニアです。これらは、主権主義で考えるとポーランドの収集家にとって必要なものですし、属地主義で考えれば、ウクライナやリトアニアの収集家にとって必要なものとなります。つまり、両方の収集家にとって必要なものとなるわけで、ポーランドの収集家がドイツ、オーストリア、ロシアの各切手の使用例が必要になることと同じ理屈です。

Lwow(ルヴフ)
(現在ウクライナ)
Stanislawow(スタニスワヴフ)
(現在ウクライナ)
Wilno(ヴィルノ)
(現在リトアニア)


 その後、1938年にドイツのチェコ併合の画策に便乗し、チェコの一部ザオルジェ地方をポーランド領とした以外は、たいした領土的変更はありませんでした。この地域は第2次大戦後、結局チェコに戻されることになりますが、1年余りのポーランド領ザオルジェは、郵趣家にとっては大変興味深い地域となり、現在でも一定の人気があります。1939年9月l日に勃発した第2次大戦は、ポーランド郵趣に非常に多くのテーマを提供してくれることとなりました。総督府の郵便、ポーランド亡命政府の郵便、国内外の軍事郵便、ワルシャワ蜂起の郵便、捕虜収容所や強制収容所の郵便などなど、枚挙に暇がありません。非常時の郵便であり、今日では大変入手が困難となっているものも少なくありません。

グダニスク自由市の切手ドイツ占領下ポーランド(総督府)の切手




 戦後は共産圏に組み込まれ、戦後まもなくの間は、政治的スローガンの切手も多種発行されていますが、次第にその傾向が弱くなります。他の共産圏諸国同様、多くのトビカル図案の切手を発行しています。これらの国に共通の現象として、シリーズの一部の切手を極端に発行数を少なくするいわゆる制限切手も発行されましたが、他の諸国と比べてポーランドの場合は比較的穏健です。また、切手は財貨と見なされ、ごく最近まで個人による切手の交換には制限がありました。戦後の切手をいくつかご紹介します。

   
  


 2度の大戦で資料が焼失したためと共産国家の秘密主義のためでしょうか、ポーランドの郵趣にはまだまだ未解明な分野がたくさんあります。例えば、戦前の郵便料金については未だわからない部分があります。戦後の料金でも、航空料金がいくらだったのかは未だ発表されておりません。切手そのものについても、未解明な部分が多く、例えば最初の切手については、未だに新発見の版欠点が発見されたり、1919-20年代の切手については製造に関する研究がそれほど進んではおりません。また、Wycofacというポーランド語の曖昧さゆえに、切手の使用期限が定かでない場合すら数多くあります。

 最近、ポーランド郵政は郵便の自動化を目指して、切手を蛍光紙に印刷したり、電子彫刻による印刷を始めたりと、いろいろと試みており、今はちょうどこの過渡期に当たります。これらの組み合わせによって、同じようにみえる切手でも細かく見れば数種類に分類できます。今のうちに集めておかないと将来入手の難しい切手が出てくるでしょう。また、ここ10年位は頻繁に料金が改正されています。それらの使用例を一通り集めることはほとんど不可能なくらいヴァラエティに富みます。さらに、95年1月1日の通貨改革で旧通貨の切手が96年末で使えなくなっています。

 つまり、1995-96年の2年間は新・旧通貨の切手を混ぜて貼ることが可能でしたので、これを混貼カバーと呼び、人気のある使用例の一つとなっています。

 

旧3000zl (新30gr)+新1zlの合計1.30zlを
貼った料金適正航空書状
(1996年8月7日 Brwinow局差立て)


 ポーランドは永く他国の支配下にあったため、幾多の蜂起を経験しています。その結果、世界各地に多数のポーランド人が亡命しております。この人たちがポーランド以外で町をつくったり、切手製造に携わることも多々あります。また、他国の切手にポーランドの国旗などポーランドと関係のある図案が描かれることもあります。このように、ポーランド以外で見られるポーランドと関係のある切手や消印は郵趣の世界ではポロニカ(polonica)と呼ばれ、これも人気のある分野の一つです。次にいくつか例を挙げましょう。

  
ヨハネ・パウロ2世の切手
(1985年アフリカのトーゴ発行)
エスペラント会議の記念印
(1938年イギリス)
ポーランドじん切手彫刻家
Czeslaw Slaniaの作品
(1981年スウェーデン発行)


 郵趣研究には、大きく分けて製造面使用面の2つの側面があります。切手製造上のバラツキ(ヴァラエティなど)を追求するのが前者で、押された消印・郵便印や料金・あて先などの使用例を追求するのが後者です。ポーランドに関する郵趣は、各時代を通じてこれらの要素が絡み合い、非常に複雑な様相を見せます。私にとっては、この複雑さがとても面白いのです。

 ポーランド以外の国でも、ポーランドの郵趣について研究し、機関誌を発行している団体がいくつかあります。もっとも古いのは1942年発刊のアメリカ。私が知っているその他の国はイギリス、ドイツ、オーストラリア、そして日本。もっとも熱心なのはドイツで、多数の資料を掲載し、大いに参考となります。私はドイツを手本にしていますが、ポーランド語をほとんど知らないという語学の壁があり、又、一人で制作しているので、残念ながら余り体系的な記事を掲載することができません。なるべく日本人に分かりやすくと思い、出来る限り地図などの図版を入れたり、言葉の解説をしたりするように心がけています。この会報が、今後とも日波両国の親善と相互理解に少しでもお役に立つことが出来れば、これに優る喜びはありません。

1997年5月記

(『WISLA』第17号、1997年9月3日発行)