2001年わんちょのクラコフ日記 (1月)

 

わんちょ



(雪のヴァヴェル城 撮影: わんちょ 2001.01.01)

 



《 はじめに 》

私はクラコフに住んでおります、ハンドルネーム『わんちょ』です。
クラコフからの便りをお届けいたしますのでよろしくお願いいたします。

ご意見ご感想をわんちょにお送りくださいませ!
wancio@priv6.onet.pl




2001年1月30日 《バイバイ》

 私が触れたくない事、バイバイと言いたい事について、考えてみようと思います。私はこの日記を書き始めて、いろいろなメールを頂いたのは、学校についてです。私自身とても、考えさせられるメールあり、また、「どうして???」と理解できない意見有り、また、怒られるようなご意見も頂きました…。このようなご意見を頂いて見ると、私は学校と言う話に、公共の場(不特定多数の方に対しての場所で)で触れたくないな(!)とその時思いました…。でも、私はメールを下さった、たくさんの方を覚えています…。現在、教育の現場でいろいろな問題をかかえて、戦うたくさんの人を知りました…。戦う相手は、同じ先生である事実…。子供に対して、戦うと言う表現は悪いですけど、戦うと言うくらいの心構えで、本気で、同僚の先生ではなく、また、管理者の上司ではなく、本当は一番中心にいるはずの、教え子をみてあげて欲しいと思います…。

 今日は、娘の学校で、各クラスの人数を見てきました…1クラスの人数は20人から27人…。娘のクラスは25人ですから、学校全体からみて、多い方にあたります。今の5年生、6年生の学年は大体20人が1クラスの人員数でした。この位の人数だと、先生も子供を良く見られるのではないでしょうか?

 私が、これまでに、バイバイと言った、一番印象的だったのは、日本かもしれない…。私はいつでも、帰るとしたら、その国は日本だと思っている。でも、私は日本に帰って、本当に私の理想とする、日本なのだろうか? 私は、このポーランドにいて、今、日本に帰る予定は、この先無い…。いつかは、短い期間でも帰ろうと思うけど、今その予定は、私には無い…。祖国とか、そんなことを別にして、私の住める国として、日本は最適だとは思っている。帰ってみたいと思う気持ちもある。でも、行動を(!)と思うと、今、私に日本に行く力はどうしても無い…。きっかけが無いと言う事だけかもしれないけど…。




2001年1月26日 《悪いところ》

 クラコフと言うこの街の街中にいると、空気の汚い事に、本当に嫌になる事がある…。旧市街内は一応一般車両が入る事を禁止しているので、空気の汚れを感じるのはそれほどでもないけれど、でも、タクシーや許可車両は入る事を認められているので、空気の汚さよりも、このタクシーの走り方が悪く(細い道を凄いスピードで走るから…)危ない思いをする…。悪いところ…。

 旧市街を出た辺りの道路は、日中はどこでも渋滞しているような所ばかり…。ここには整備の悪い車が多く、まして有鉛ガソリンを使用している車がいまだに多く、私が感じるだけでも空気の悪さを実感できる…。有鉛ガソリンでも無鉛ガソリンでも、同じ価格と言うのはおかしいと私は思う! 有鉛ガソリンを使用すると、空気中に鉛を放出するとの事だから、絶対に健康に悪いはず…。健康に悪いと言う事は、将来健康を害する可能性が高くなり、健康を害すると健康保険料がかかる事になるのだから、悪い有鉛ガソリンには、高税率で税金がかかるべきではないだろうか??? それが、有鉛でも無鉛でも同額というのは、私には納得できない…。おかしい…。

 欧州ではディーゼル車の比率が日本より格段に高く、結果的には、軽油を燃やすディーゼル車の方が環境にやさしいと言う。話をこのまえどこかで読んだけど、そう聞いても、私はディーゼル車が嫌い! ちゃんと整備されているならまだしも、ここのディーゼル車は、バスでも、トラックでも、乗用車でも、マフラーが付いているのか(???)と思うくらい、黒煙をだして空気を汚している…。テレビで、マフラー不良の車が多く、摘発を強化したと伝えていたけど、どこまで本当の事だろう?

 黒煙をだして、街を一番汚しているのは、バスだと私は思う…。クラコフのMPK(市内交通)が使用しているバスは、比較的年式も新しく、黒煙をもくもく出して走っている所を見かけない…。環境にやさしいと一応言える…。しかし田舎からクラコフに来るバスは、古くて、古くて、黒煙をだして走っている…。こんなひどい不良バスが街の中心まで乗り入れている事自体問題…。田舎からの重要な交通手段とは言えるのだろうけど、でも、走って空気を平気で汚して走るこのバスは、早く何とかしてもらいたい。こんなバスだから、途中で壊れて運行中止と言う事も時々あり、道路の上で止まっているのを見かける事も、たびたびある…。また、古いバスは出発時間までの時間待ちの時を利用して、盛んに修理している姿を見られる。こんな修理の姿は出発待ちバスの駐車場に行けば、マイナス気温の日でも見かけられるし、気候が良くなると、何台も並んで修理していたりする…。すごいと私が思ったのは、バベル城の下の駐車場! ここに駐車していたバスで、エンジンからたくさんの部品をはずして修理していた運転手さんがいた…。私はグループが帰るまでにちゃんと直るのだろうか(???)と人事ながら心配になったほど、本格的に修理していた…。こんな感じだから、どこでも修 理する。そうすると運転手仲間が集まって、何人かで修理したりしている…。日本では見られない光景だと、私は変に感心している。

 また感心するのは、アルコール(ウオッカでもビールでも)をすごくよく飲む事(観光バスの運転手さんだって、運転前に飲んで凄い事になる事もなる!)…。飲みすぎてアルコール中毒と言う人も多い…。普通に仕事している人でも、近くに来るとアルコール臭い(!)と言う人がいる…。アル中でもちゃんと仕事している所に、私は感心する…。もっと感心するニュースがテレビで10日くらい前にあった…。工場から工業用アルコール(メチルアルコール)が大量になくなったと言うものだった…。メチルアルコールって飲むと視力を失うって言うやつでしょ。それを飲んでも今のところ、視力には問題無いようだから、ポーランド人は強い!? だってもし飲んだ人で、視力低下があって働けなくなったら、誰がそのメチルアルコールを持ち出したか、証明しているようなものだもんね! それにしても、メチルアルコールでも、アルコールだ(!)と言って(思って?)飲んでしまう感覚がすごい! 怖いくらい…。だって、こんなメチルアルコールを飲んでしまう人だと、アルコールのためなら何でもしそうで怖いよ!

 アルコールのお話でもうひとつ、前にも書いたのだけど、ここではデナツゥーラットといわれる、普通の消毒用アルコール(エチルアルコール)に色とすごく気分が悪くなうような匂いまでつけて、それを工業用として販売されている、これは、メチルアルコールでも平気で(?!)飲むポーランド人なので、飲んだときに健康を少しでも害しないようにと言う事らしい。こんな紫色のすごく臭い液体を私は飲みたいなんて、絶対に思わない…。もし、このアルコールで何か拭く(使用する…使用しないといけない事)というような事があったら、私は迷わず高アルコールのスピリツス(お酒やさんで飲用として売られている…れっきとした飲用のアルコール)を買う! 値段的には何倍か高いけど、私は一度このデナツゥーラットの臭いをかいだだけで気分が悪くなって吐きそうになってから、もうこりごりと思っている。そんなデナツゥーラットを飲むポーランド人がいる…。ポーランド人なんて表現は、正しくない…。デナツゥーラットを飲むような人は、だいたい浮浪者のようなアル中が多いから…。私の住む通りの少し離れたところに、良く見かけるチンピラがいる。このチンピラ私がここに住んでもう5年になるけど、この間よく見かけた…。はじめ(5年前)はすこし悪という感じだったのが、だんだんすすん(荒れてと言うか、すさんでと言うか…)で、今ではチンピラと言うより、チンピラ以下の浮浪者一歩手前と言う感じにまでなってしまった…。それが、今日は横を通るとデナツゥーラットの臭いがしていた…。仕事でこのデナツゥーラットを使った(仕事をしているようには見えないので!?)のでは無いと思うので、まず間違いなくデナツゥーラットを飲んでいる…。飲むようになったのだと思う。思い出してみると、最近と言ってもこの1、2年はよくビール買うから金(小銭)くれ…なんて言っていた…。私は何回言われてもあげた事は無い。それでもこりずによく小銭をくれと言っていた…。お金が無くて、とうとうデナツゥーラットを飲むまでに落ちたようだけど、デナツゥーラットを飲むようになると、アル中でも最低最悪の部類だと私は思う…。これから何か悪さをしないでくれることを願おう…。それもそうだけど、デナツゥーラットを飲むようになると長生きしないようだ…。この昔チンピラも、若いのにもう歯が何本も無い…。けんかをして歯を無くすほど根性があるようには、到底見えないけど!?

 ここで気持ち悪い事は、いい歳の大人が何人も集まって公園のベンチや、公園のすみなのでウオッカなどを飲んでいる所を毎日どこかで見かけると言う事もある…。まあこれもデナツゥーラットを飲んでいる人から見ると、まだ許せる範囲だと思うが、それでも屋台でも何でもない公園なんかで、毎日アルコールを飲む人は何が楽しいのだろう???

 公園などでアルコールを飲んでいる人は酒場に行くお金は無いが、酒屋でウオッカを買うくらいのお金はあるので、公園で飲むと聞いた事がある…。公園で飲む人はただアルコールを量飲めば気が済むのかも知れない…。アルコールも質より量になって、安けりゃ何でもいいとなると、デナツゥーラットまで落ちる…。

 もしかすると、屋台と言うのは、日本の貧しい頃の名残の代名詞みたいなものかもしれない…。酒場に行くお金は無いけど、屋台なら安いからと言う事があるのではないか! それにしても、屋台でお酒を飲むと言う習慣のない先進国の国の人からみると、日本の屋台も私がここで、公園でお酒を毎日飲んでいる人を見ている感覚と同じような感覚で見ているのかも知れないと、ふと思った。

 タバコ…。ここの人は誰でも(!?)と思うくらいタバコを吸う…。吸わない人が少ないくらいに…。こんなだから(?)街を歩いていると、タバコをくれと、時間を聞かれるより多く言われる。この国では、お金がない事は恥ずかしい事ではないのだと言う。この事自体は悪い事では無い。だって学校で生活保護を受けるような家庭の子でも、大きな家で豊かに暮らす子でも、対等にと言うのは変だけど、日本より分け隔てなく学校生活をおくれるから…。でもお金が無いからと、他の人にたかりを平気ですると言う感覚は、私は嫌い…。お金が無い事ははずかしことでは無い⇒お金が無いからタバコが買えない⇒お金が無くタバコが買えない事が恥ずかしい事ではないので、タバコがある人からもらうと言う感覚…。どこかおかしい(!)と私は思う。確かにお金が無い事は恥ずかしい事ではないと言う考え方は悪いとは思わない。でも、無いなら、無いなりにしろ(!)と言いたい。お金が無いのにタバコが欲しいなんて言うな! お金が無いのにビール代に小銭をくれなんて言うな! 私はタバコは吸わないからあげない。小銭をくれと言うにも私はあげない…。あげる人がいるから癖になる…。小銭でも、お金をもらえるから働かない…。こうして悪い循環に入り込むのではないだろうか?

 今日は朝日新聞(2001年1月26日)の天声人語でも、おかしいと思った。先日機密費疑惑で告発された外務省の松尾克俊元要人外国訪問支援室長は、初級職職員を対象とした研修用の冊子を書いたのだと言う。この冊子中で早朝に登庁し、昼休みもつぶしてワープロを習得した女性や、家族の分を含む帰国旅費はいくらか(?)との突然の質問に、よどみなく答えた若手職員。常に上司を立て、げきりんに触れぬよう努める課長補佐、そうした気配り(!)努力(!)工夫が(!)生きた教訓として並ぶのだと言う。これを読んで、おかしいと思わないですか! ワープロを習得した女性は自己啓発としてはがんばったと思う。でも、家族の分を含む帰国旅費はいくらか(?)なんて質問に答えられるように、考える時間があったら、もっと有意義に使う事が出来ると思うし、もしこれを仕事中に考えたと言うなら、もっと仕事しろ(!)と言いたい。上司のげきりんに触れぬよう努める課長補佐…。こう言う人は私の一番嫌いなタイプ! 最低だと思う。自分の失敗も、部下に押し付けそうだしね! 上司のげきりんに触れぬよう努めて、何も言わず上司の言う通り! 上司の言う通り! こんな人私なら役立たずだと思う! でも、外務省では良い話(良い役人)なんだぞ! 理解できる?! こんな話が、気配り、努力、工夫の、生きた教訓として並ぶのだと言うが、こんな最悪の冊子をよくも恥ずかしくもなく、室長は話の他でも、外務省はよくも作れたものだと思う。こんな省でこんな室長だから機密費を使いこんだりするのだ! また、この天声人語で伝えるところで、冊子には外務大臣が訪米した時、ワシントンまでの飛行機で、ファーストクラスの外相の隣の席が予約でふさがっていたのだと言う。この時本省からは「空けるべし」と訓令電が届いたのだと言う。領事館員の懸命の交渉にも、航空会社は冷たく、それでも懇願し、ついに「YES」。当然、彼の活躍は幹部の耳に入ることになり、中級に採用されたと言う。このYESと言うのは空席にしたと言う事と私は思う。おかしいと思うのは、このファーストクラスの席がキャンセルになったのなら良いのだけど、わざわざオーバーブッキングだなんて言って、一般(ファーストクラスを使う人が一般とは思わないけど)乗客を搭乗拒否したのだとしたら、航空会社は何をしているのか(?)と聞きたい。まして、この事が幹部の耳に入ることになって、中級に採用された(!)とはなんと言う事だ!!! 大臣の隣の席を空けさせるのが役人(領事館員)の仕事?! そして大臣の隣の席を空けると中級採用だって! 外務省ってなんてのんきな役所なんだろうとあきれる…。大臣の隣の席を空けさせるのが、領事館員の出世の早道とは…。すごすぎるよ…。こんなあきれるような事が平然と行われ、その事が平然と冊子にまでなる役所だから、こんなあきれる事件も起きるのだと思う…。きっとこの役所の変な常識はまだまだあるだろう…。ちゃんと仕事をしている人がかわいそう?!




2001年1月22日 《最適な答えってどうしたらわかるのだろう》

 何が必要で、何が不必要か? どうしたらわかるだろうか? いろいろな機会(日本国内での引越しのたびや、大掃除の時など…)ごとに私はたくさんの物を捨てたりあげたりして来ました…。捨てたものの中で、あの本は今あったら良かったな(!)と思うものはあります。でも、その他の物で、あれがあったら良かったとか、あれやっぱりあげなかったら(捨てなかったら)良かったと思うのもは不思議なほどひとつもありません…。物って、失ってもまた買い足せたりすると、それほどこの物でなくちゃ(!)とかこれじゃないとだめなんだ(!)と言う事は、私には無いようです…。考えてみてください…。洗濯をする時の洗濯機、どうしても私は日立製作所製造の青空(なんて製品があっ たような???)2000年8月期製造で製造番号99999999じゃないときれいに洗濯できない…、他の洗濯機だとあきらかに汚れが落ちていない…、なんて事はまずないと思います。私にはありません! …洗濯機なら洗濯槽に色々な形状があっても、洗濯機は洗濯機で性能に大きな違いは無いと私は思うのです(洗濯機専門家の方で、洗い上がりの違いで機種の違いがわかると言う方がいるかも知れませんが、私はそこまで繊細では無いので、全然わかりません…)。…だから、洗濯機でも、冷蔵庫でも、掃除機でも、一定の許せる範囲の性能を有していれば、どれでも良いと言う事ではないでしょうか?

 私はここクラコフに来てすぐの頃、古い掃除機をもらいました…。製造は1969年製なんて書かれている金属プレートの付いた年代物の(!?)掃除機でした…。形や古さを気にしない私ですけど、この掃除機だけはちょっと許せなかった…。その掃除機のごみが溜まる所が布製で吸い込まれたごみを捨てるときにごみだらけになるからなんてそんな事ではなく…、本体にタイヤが付いていなくて、そりのように床をずるずると引きずるからと言うものでもありませんでした…。私はこの1点だけちゃんと私の希望をかなえてくれていたら、この掃除機を今でも使っていたと思うのですが、その掃除機は、どうしても掃除機として私のただひとつ希望をかなえてはくれませんでした…。それと言うのは、ごみを吸い込まない、吸引力が極端に弱いと言うものでした…。はじめ私は掃除機内のプロペラに埃やごみが絡まっていて、それで吸引力が弱いものと考えてプロペラを見たりしたのですが、きれいなプロペラで、ごみが付いていて吸引力が弱いなんて事ではありませんでした…。もちろん、吸引ホース内にごみがつまっていないか(?)なんて事まで調べたのですけど、それが原因でもありませんでした…。知り合いに聞いたところ、この種類の(年代の?)掃除機はどれも吸引力が弱くごみを良く吸い取らないと言う事が判明…。ごみをきれいに(私の基準ですけど!)吸い込まない掃除機なんて、どう考えても、私には役立たずと思いました…。それでも、一応もらった物だから…と数年間アパートの片隅に置かれていましたが、少し前に思い切って捨てました…。捨ててほっとしたと言うのはこの掃除機が初めてでしたけど、でも、掃除機と言う名前を持っていて、まして、掃除機としての吸い込むと言う性能を有している(壊れていない…一応ちゃんと動く!)にもかかわらず、役立たずと言うのはこの掃除機がはじめてでした…。この事から、私はその物が、私の許せる範囲の最低限の性能を有している必要があると思うようになりました。それでも、私がその製品に期待する性能とは、何も無理難題と言うのではなく、一応ちゃんと動いてくれて、そして、掃除機なら部屋の隅に落ちた米粒くらい吸い取れる事(この私の古い掃除機は部屋の隅に落ちた米粒を吸い取る事は出来ませんでした!)、その位です…。今私の使用している掃除機はポーランド製ですけど、よく吸い取ります。1300Wの力で220Vですから、すごく強力に吸い取ります。モーター関係の製品なら、電圧の関係から日本と同じワット数の物で比べると、すごく強い…と誰でも思うのではないでしょうか…。洗濯機や掃除機の話を書こうと始めたのではなかったのですけど、ながながと掃除 機について書いてしまいまった…。

 私はどうしたら、その時に一番良い答えを見つけられるか(?)と言う事を考えたかったのです。洗濯機や掃除機ならどんな物を選んでも、最低限の性能を有していれば許せると言う事を言いたかった…。選ぶ中には何を選択するかと言う事で、全く違った答えや結果をもたらすものも多い…。私の友人の一人は悲しい事実だけど友達も選ぶ必要があると私に言った事がある…。私は友達を選ぶほどもっていないので選んだと言う記憶は無いけど、友達をも選ぶ必要があると言う考えは、今でも強く私の心の中に残っている…。友達って選ぶものだろうか??? 友達だと思うようになった時にはもう、選んだ後なのかも知れないとも思う…。無意識のうちに選んでいるのだと思う…。本当に一番良い答えを選んでいるのだろうか? 毎日通り道を選んで、食べ物を選んで、何かしら選びながら生活している…。無意識に選んでいる事もすごく多い…。どこを歩くか(?)なんて考えないで選んでいる…。その反面、すごく悩んで選ぶ事もある…。考えて、考えて選ぶ事もある…。無意識で選ぶ事と、考えて、考えて選ぶ事の違いって何だろう???

 ポーランドに来る(旅行でも…)と言うときに、考えて考えてスケジュールを組んで、情報を収集して…と言う人がいる反面、いいかげんに「行って見ようかな!」、「行けば何とかなる!」と、何も考えず、来る方もいる…。私は「まあいいか!」と言う感じで来てしまったけど、来るまでにいろいろと準備して来る人もいる…。価値観の違い…。準備していないと落ち着かない人もいるし、「まあいい、何とかなる」、「面倒!」と考え、何もしないと言う人もいる…。そんなもんだ…。どちらが良い旅行をしたか(?)なんて正確に比べる事は誰にも出来ない…。何が最適か、それは一人一人違うと言う事! 何を選んでも、もしかしたら結果は同じという事もあるかもしれない…。それでも、選ぶんだね…。

 選んだ後で、最適では無かった…と思う事も確かにある…。でも、別の選択をして、その選択は正しかったと誰が言えるだろう。選んだ後だからいろいろな事が言えるのだと思う。勝てば誉められ、負ければけなされ…でも、勝った事が本当に良い事かどうかわからない…。負けたことが、悪い事ばかりとは言えない…。最悪と思うときの中にも良い事は隠されていると私は思っている…。最高(!)と思えるときに悪い事が始まっている事だってあるじゃないか…。何が幸せで、何が不幸かなんて、時間が過ぎてみないとわからない事、多いのではないだろうか。

 時が解決するって事どう思う? 私は、時が解決する事ってたくさんあると思う…。でも、現実にどうしよう(!!!)と言う時には、時間はすごく長く感じられ、問題ばかりが大きく私には感じられた、時が解決する、時間が、時間の経過で、時が過ぎたら…と考えていた頃が私にはあった…。私の問題を解決するのには、確かに時間と言う薬しかなかったと思う。でも、それにしても、その時間、10年と言う時間は今では長くも、短くも感じられる…。それでも、私の思い悩んだ、すごく大きく私に感じられた問題は、確かに10年と言う時間が解決してくれた。

 時は、問題を解決する大きな力を持っている。でも、その歩みは感じられず、感じたときには、遠く過ぎ去り、大きな物を失ったり、昔の思い出にしたりしている…。時とは、心の最終兵器…。そして、体への最終兵器でもあると思う。

 時間の経過の他に解決できない問題も多い…。でも、もしかしたら、それは時間が解決したのではなく、自分自身との長い時間との戦いを過ぎた結果と言えるのかも知れない…。それが相手の心の変化であったとしても、その長い時間で相手も自分自身と戦っていたのではないだろうか。そう考えると、私は私のまわりのたくさんの人に戦いを強いたと言う事になるのかも知れないと思う…。時が解決するなんて簡単に言うけど、相手があっておこった問題は、自分だけの時間の経過では解決する事は出来ない…。絶対に相手も、その時間の中で考え、何かを感じ変化したのだと思う。これが、時が解決したと言う事の本当のところでは無いかとも思う。

 でも、自分自身でだけで解決できる事も確かにある。自分自身で解決できる事は、心の中を整理するなんて、言葉に置き換える事も出来るのではないでしょうか? 時間の経過が、すべてを押し流し解決してしまうと言う事は、すべての方策を試してみて、それでも、どうする事も出来ないときの、最後の解決策なのかも知れません…。




2001年1月22日 《パソコン》

 知り合いのパソコンデータのバックアップのために、私のデスクトップパソコンからCD−R機を取り外した。パソコン本体から、いくつかのケーブルを取り外して、本体を取り出すと汚いこと、汚いこと…。パソコン本体のあった場所はほこりだらけ…。そう言えば、ケーブルをはずすときに黒いケーブルは白くほこりが積もっていたのだったなあと思い出す。しかたがないので掃除機を取り出してきて、パソコン本体のあった場所やキーボードなどを掃除した…。これで、パソコン本体のカバーをはずす事が出来る! このパソコン本体のカバーをはずしてみると、思いのほか汚れていない…。ように見える…。でも、せっかく出した掃除機…。パソコン本体内部も、きれいにしようと、基盤の間などを吸い込んでみた…。それでも、きれいになったようには見えなかった…。しかし、さわってみるとやっぱり、基盤は掃除機で吸い込まれないような、細かいほこりが皮膜のように、しっかりとくっ付いていました…。これをきれいにするには、私の性格では出来そうに無いので、あきらめることにして主要部分を見る…。メモリーはと見ると、汚れてるわ! はずして、拭いて…出来あがり…。メモリーを付け直して、次にCPU(プロセッサー)の冷却ファンの近くは黒くほこりが付いているのが見えるから、掃除機のノズルをちかずけて見ると、やはりきれいにならない…。考えられる掃除方法はこれもはずすしかないだろう(!)と言うことで、CPUを外してみる…。私のパソコンのCPUソケットは旧式だからソケット7形式、ソケット7は横のレバーを持ち上げると簡単にCPUが取り外せるので、このレバーを動かしてマザーボードから冷却ファンごとCPUはずすと、まるでサンドイッチのような感じで冷却ファン付きのCPUが取り外せる。次にこの冷却ファン付きCPUから冷却ファンのレバーを押してCPUから冷却ファンのみを取り外す…。こうすると、CPU にはCPUの冷却のための放熱板だけがファンの下にストーンヘンジのように立っているはずだったのだけど、私のCPUは、購入からはや3年1度も、こんなCPUの掃除なんてしたことが無かったので、ほこりがこの放熱板を埋め、ストーンヘンジのような放熱板の板の列は、黒いドーナッツと化していた…。良くこれで動いていてくれたもんだ(!)と関心するくらいに、私のCPUの放熱板はほこりに埋もれていた…。どうしたものだろうとしばし考えたのだけど、掃除方法で思いついたのは、この汚れを掃除機で吸い取ろう(!)と言う事。でも、細かい放熱板の間に詰まったほこりをどうしたら良いものか? こう言うところの掃除には、歯ブラシでしょと、こんな時のためにととっておいた古ブラシを取り出し、掃除機のスイッチを入れ、ノズルの近くにCPUを持っていって汚れを吸い込みながら、このほこりのかたまりを取り除いた…。きれいにしながら、掃除中の静電気でCPUに異常が起こらないことを念じてしまった…。

 掃除して、組み立ててみて、スイッチオン! すると(!)、画面がぶるぶるしてて…、1度目はモニターの差込みプラグを入れなおしてみたら直ったのだけど、また1度OFFにして、もう1度ONにしてみると、またモニターの表示はぷるぷる震えてしまった…。今度はモニターの差込みを良くさしても、入れなおしても直らなかった…。スイッチをOFFにしてから、もしかしてと思ったのだけど、グラフィックカードの差込みを抜いて入れなおしてみて、ONにすると、今度は大丈夫だった…。でもCD−ROMの具合がいまいち悪い…。読み込まない事がある。そして、ソフトによっては認識しない? なんで??? まあ、2台接続されてるから、1台悪くても良いのだけど、その具合の悪い1台のテーブルを開けると、パソコンがリセットされたりしちゃう!? どうして??? もう、わからない…。




2001年1月20日 《外の世界…遠いところ》

 いつからだろう…。ここしばらくの間、私は外からの刺激を制限していたところがあったのでは無いかと思うようになった…。それは、メールマガジン等で、私に遠い外から届けられる。これらのメディアをどうしてか自然と避けていた(故意に新しく読むと言う事をしなかった)ように自分で思うようになったからなのであるけど、私が読んでいたメールマガジンの多くが、この数ヶ月で廃刊なったり、休刊になったりした事も、私の理由の一つではある…。一時は私のアドレスに、毎日十数通のメールマガジンが届いていたけど、最近では1日に1通か2通になってしまった…。それも、どれも、企業発行のような物…。個人からの情報や話が私のまわりのマガジンからすごく無くなって来てしまったように感じた…。そうは言っても、個人的なメールはいろいろと書いていただいているし、返事も出来るだけ早く書くようにしている…。これだけでも充分だな…と思うこともあったのだけど、でも、自分で外からの刺激が無いと、考えが広がらない…ように思う…。もともと考えが浅くて、狭いのに、まして小さな所をぐるぐるして来たのではないだろうか? 私はまたすこしだけ、外の世界へとアンテナを伸ばしてみようと思い立った。

 手始めに9つのメールマガジンに登録してみた…。どれも、なんとなく選んだメールマガジン、フリーソフトの評価マガジンや、日記など多彩なマガジンを選んだ…。でも、これまでよく読んだり、この日記にも書いた学校関係や先生関係のマガジンはひとつも選ばれなかった…。特別に意識したのではなくて、読んでみたいと思える学校関係のマガジンが無かったと言うことは本当だし、それ以上に日本の学校が嫌いになったと言う事はあるかもしれない…。

 もしかしたら、自分自身が少しだけ元気になって来たと言う事かもしれない…と思う。今の私は何か(?)を考える事が出来るだけの、強さがあるのかも知れないと思う…。どうしたら(?)と言う事…考える力が弱くなると自分のほんの目先しか考えられなくなるし、少しその力が回復すると、自分以外の関係の薄い事でも、考える余裕が出てくるのだと思う…。そうしたら、自分から離れた遠い世界ものぞいてみたいと思うようになったのかも知れない…。




2001年1月20日 《白菜》

 寒さが一段と増した。この今の季節になると、白菜がスーパーの野菜売り場などで大きな顔をして売られますね…。私は日本にいた頃には、白菜になんて見向きもしなかったのですけど、ここに来てからは、この冬の季節に店先に並ぶ白菜が楽しみになりました…。白菜はなべに入れても良いし、いろいろに使われますけど、こちらではスープの材料とされる事が多いようです。でも、私はこの白菜を漬物にして食べることがほとんどです。白菜の漬物なんて、日本にいた頃は、スーパーの漬物コーナーで1年中いつでも買える物だったし、価格だって200円くらいだったから、自分で白菜を買ってきて漬物にしよう(!)なんて考えもしませんでした…。それが、ここでは、漬物として白菜が売られているなんて事はいまだに見たことが無い所ですから、白菜の漬物が食べたいと思ったら、自分で生の白菜を買ってきて、それを漬物にしないと食べられないのです。そんな事情から、私はこの冬の白菜の季節になると食べる分を漬物にするようになりました…。白菜の漬物は究極を極めようとするとか、こだわりをもって白菜漬けを作るので無かったら、簡単に出来ます。こんな事から、私は一応漬物だ…と自分で我慢できる(!?)白菜漬けをこの時期になると作るのです…。

 白菜漬けが食べごろに出来たら、おいしいご飯と白菜の漬物(!)と私は考えて、ご飯と白菜の漬物を用意して、まず白菜の漬物…そして、その次に、あったかご飯…。でも、現実は…、確かに白菜はいつも通りに白菜漬けになっていたのですけど、ご飯が…まずい…。どうまずいかと言えば、ご飯がくさいの…。あの、どぶくさいような、最悪のご飯でした…。いつも同じメーカーの米を買うのですけど、時々、今日のようにくさい最悪の米にあたることがあるのです…。細長いインディカ種のお米が、すべてまずいと言う事は無くて、結構おいしく食べられる細長いインディカ種のお米もあるのですが、時々運搬時に船のそこで、泥水にでも浸っていたのでは(???)と思えるような、ひどいにおいのお米に当たることがあるのです。それが、このご飯でした…。どんなところで買うとおいしい(?!)(なんとか食べられるお米)お米かと言うと…、私がこれまでに購入した中で言えることは、不思議と特売の安いお米ほどおいしい(なんとか食べられる(!)と言うご意見もありますが…)と言うことです…。大きなスーパーマーケットに行くと、輸送用のパレットにそのまま乗せられて特売されているようなお米があります。私が見た範囲では、いつも小袋は1キログラムで、それが10袋くらいがひと包みになって陳列されています。このお米…、1キロの小袋から買うことが出来ますので、重いものを持ちたくないけど、お米買わないと…と言う時便利ですが、1袋が少ないのでちょっとするとお米が無い…と言う事にもなります。さて、このお米の包装ですけど、紙の袋に入っていたり、ビニールの袋に入っていたりします。私は包装はあまり気にしないのですけど、それでも、紙袋で中が見えないと言うのは、買うときに少し抵抗感があります…。ただ、この中が見えないと言うのは、袋をあけてみた時のお楽しみ度(!)と言うことから言うと、楽しみは絶対にあると私は思います。お米ですけど、これまでに買って見た所では、安いお米ほど嫌なにおいがしないと言うことは確かで、いくら包装の袋が貧弱で値段もものすごく安くても、特売品が私のお勧めです! そうは言っても、ジャポニカ種のお米を好んで食べているような方には、どうしてもこの細長いインディカ種のお米は合わないと思います…。値段から言うと、4倍から6倍くらいは違います。もちろん細長いインディカ種のお米の方が安いのですけど、クラコフで普通にスーパーでジャポニカ種のお米は買えませんから、特別にジャポニカ種のお米が欲しいとなると、また特別に購入する必要があります。私はわざわざ特別に購入する必要性を感じていないので、今のところ臭くないならと言う条件がありますけど、細長いインディカ種のお米でもよいと思っています…。でもね…ぽろぽろだし、硬いし…とジャポニカ種との違いをあげると違いは大きいのが確かです。

 しょうゆ…。私はおいしいとは思わないけど、安い(600mlで200円)中国しょうゆを使用しています…。日本のキッコーマンしょうゆもあるのですけど、200mlくらいの小ビンで700円くらいしていましたから…、私の所の経済状況から考えると、この中国しょうゆで充分というか、この位が適当と言うことになります。それに、このしょうゆでお刺身を食べるとかと言うことは無くて、目玉焼きに使ったりするくらいだから、日本の感覚で言うとおしょうゆと言われれば確かにお醤油だけど…と言う感じの、この中国しょうゆでも我慢できるのだと思います。それでも、ここで入手できる中国しょうゆは数種類あり、おいしい(!?)ものと、ただしょっぱいと感じられるものもあります。私は食べ比べて自分に合うしょうゆを見つけたので、それを購入するようにしています。

 酢…。ここで買える普通の酢は、工業原料のようにすごく強くすっぱくて、おいしさ(!)なんて、感じられる物ではありません…。ただ、ひたすらすっぱいのです…。これで料理なんてすると、すっぱさばかり強くて食べられた物では無くなります…。水で薄めたら(???)とか、少しにしてみたら(???)と試したのですけど、うまく行きませんでした…。私の感覚では、このただすっぱい酢には、おいしさのかけらも無いからだと思うのです、酢と言うと、こんな酢しか買えないここなのですけど、酢のコーナーにワイン添加の酢があります…。サラダなどに使うためなのですけど、このワイン酢は程よい酸味で、いろいろなお料理に使えます。私は酢というと、このワイン酢しか使用していません…。酢のコーナーには、ワイン酢の他にもいろいろな添加酢が売られていまして、レモン風味酢とかにんにく風味酢なんて言うものまであります。私はいろいろな酢を試してみましたけど、この中で一番どんな料理にもあって、便利に使えるのはワイン酢だという結論に達したのです…。酢なんて、日本でなら考えもしないで買える物なんですけどね…。

 食べ物の話になると、いろいろと書く事があるもので、ひとつずつあげるとまだまだ出てきますけど、また思い出したときに、少しずつ食べ物の話を書いていきますね!




2001年1月19日 《冷え冷え》

 朝の気温マイナス8度…マイナス8度になると、冷え込んでる(!)と思える寒さになります。それでも、マイナス8度位では、キーンと張り詰めた冷え込みと言うには、少し寒さが足りないように私は感じる…。マイナス10度より冷え込んで、キーンと張り詰めた冷え込みと言えると思う…。こんな寒さは、この冬になってから、まだ1日も私は知らない…。去年だって、何日あったろう??? ほんの1日か2日だったのではなかったか???




2001年1月16日 《風邪》

 また、風邪をひいてしまった…。先週はこの風邪のための発熱で1週間静かにする事になったのです。事の始まりは、8日の月曜日午後でした…。朝から、確かに少しだるくて、いつもより寒さが身にしみる(!)と言う感じはあったのですけど、いつものように月曜日の朝が始まりました…。午前中には食料品の買い物などに行ったりして、昼過ぎになってなんかだるいので、熱を測ると37.8度…。すぐに布団に入ったのですけど、寒いこと、寒いこと…。布団の中でこごえていました…。それから、数時間して夕方に熱を測ると39.2度と今回の風邪の最高値を記録したのです…。体はだるいし、肺の辺りは痛いし、頭はぐるぐると感じられるし、早く下がってくれ(!)と思ったので すけど、こんな熱はそう簡単には下がってくれない…。熱が下がらないから眠れない…と言うことで、この月曜日の夜は、すこしうとうとすると、頭痛くておきる、おきると熱を測るのですけど、測ると38.7度から39度の間で一向に下がる様子も無い…。仕方がないので、また寝ようとするけど、熱のせいで寝られるものではない…。こう言う状態が明け方まで続いた…。でも、朝4時半…、どうしても限界に達した感があり…、24時間営業の薬屋で薬を買いに行こうと決心すれど、買いに行ける状態ではなかった…。こうなると、あとちょっと(7時には近くの薬屋が開くので…)それまで、我慢(!)と決め込んだけれど…、我慢の限界に来ていた私はそれから1時間ほど何とかもうろうとしながら我慢したのだけど、どうしても頭痛と体の痛みがひどく、5時半にはこりゃいかん…と思える感じとなりました…。これで、どうしようもなく仕方がないので、タクシーで薬を買ってきてもらう方法にしようと、電話でいつもの風邪薬を買ってきてもらったのですけど、やはりすごく高く付きました…。それでも、高い(!)と言う元気もその時の私には無く、すぐにその薬を飲んで寝ました…。寝たってすぐに薬が効くものではなく(効いてきたかな!と感じるまでに、飲んでから1時間くらいかかるのです)、1時間くらいもうろうとした後、記憶が無くなりました…。気が付くと…と言うより、朝起きてみると、発熱はそれでも38度でいくらも下がってはいませんでした…。この火曜日から木曜日までは熱が出る薬を飲む、薬を飲んで1時間くらい頭が痛く、大変な思いをして、それから5時間は穏やかな気分が続き、また発熱がきっちり始まると言うことの繰り返しでした。それが、木曜日の夕方からは発熱自体が我慢できる位までしか上がらなくなり、金曜日には、36.5度位で安定しました…。こうして私の大変だった発熱は終わりを迎えたと思うのですけど…、火曜日の今日でも、確かに少しのどが悪くて、声が変わっているから、いつ熱がまた出てもおかしくは無いのですけど…。




2001年1月8日 《雪の便り》

 日本や中国での大雪のニュースをこちらのテレビで今日伝えていました…。日本のどこの高速道路か判りませんでしたけど、すごい大雪の模様を映し出していました。日本や中国のアジアの地域では冷え込んだり大雪が降ったりしているそうですけど、ここクラコフは、日中はプラス5度くらいの気温で、今日なんか、1月のはじめだと言うのに朝から雨が降ったりやんだりの天気になっています。3月とか4月のようです…。

 そして、この他に今日は知り合い2人の急な帰国のお話を聞きました。春までには日本に帰国されるのだそうです。私はここクラコフにいて色々な人と知り合う事が出来るのはとても良い事なんですけど、ただ知り合った方がまず間違いなく数年の内に帰国されていくと言う事実は、こんな帰国のご連絡をいただいた時につくずく感じます。日本でだと転勤などで引っ越すと言うときでも、ここ(異国)でお別れすると言うときと何か心理的に違いがあるように私には感じられます。日本国内でだとまたどこかでお会いする事が出来るようにも思えるのですけど、日本に帰ることになりましたと言われると、もうこれですごく遠くに離れてしまうように私には思えるのです。ポーランド国内でもメールでのやり取りばかりで数回しかお会いした事が無くても、私は『帰国』と言う言葉を聞くとすごく距離を感じてしまうのです…。現実問題とすれば、日本とでもポーランド国内ででもメール交換から言えば距離なんて全く問題とならないと言う事をわかっているはずなのですけど、それでも、どうしても日本と聞くと遠くに私は感じてしまいます。

 夕方小雨の中散歩に出かけました…。私自身の事でちょっと考えたい事があったからなんです。でも、この散歩で出来た事は考えるなんて言う事ではなく、学生時代の出来事を思い出す事でした…。このきっかけになった事は昨日の友人との会話の中での言葉でした。昨日私は話しながら、もうだいぶ昔に過ぎ去った学生のころの事を、はっきりと昨日の事のように思い出したのです…。いつもだと学生時代の話をしてもこれほどまでに、克明に思い出すなんて事はありませんでした…。これまでは、遠い所に、時の流れに流されておぼろげに見えていると言う感じで、私の心の中に学生時代の思い出がありました。それが、今日はすごくしっかりと思い出す事が出来たのです…。私がその頃に住んでいた所の近くの事、友人の住んでいた所の事、学校の研究室、そしてその研究室のドア、ゼミを選んだ時の事…。私は一度ゼミの希望を決めてその用紙を提出し…、締め切り後に事務局にお願いして(!!!)変更した事がありました。この時の事を思い出したのです…。ささいな事と言えばささいな事です。でももし私があの時ゼミの変更をしていなかったら、ポーランドに来ていなかった可能性は大きい…。




2001年1月4日 《山から下りて見たもの…》

 昨年(2000年)の終わりからこの2001年の始まりを、私はこのクラコフを離れて、山あいの小さな田舎の家で過ごしたことはこの前に書きましたが、その田舎の家からの帰りについてや、クラコフに着いて感じた事など書いていませんでしたので、これから書きたいと思います。

 2日から娘の学校が普通どうり始まるので、1日の午後に山の家を後にしました…。天気は快晴でしたので、1日の午前中には、すぐ近くの山に散歩に行く事が出来ました。散歩と言っても、山道は20センチから30センチの積雪があり簡単に歩けると 言う状態ではありませんでしたが、それでも、気持ちの良い天気でしたので、結構高さのあるところまで登る事が出来ました。この時、サンキと呼ばれる橇(そり)を持っていきましたので、帰りを楽しみにしたのですが、この山あんがい急斜面で、そりで下るのは覚悟が要りました。こんな所なので、娘は一人で乗るのが怖いと言うので私と乗ったのですが、スピードも凄く早いし、注意しないと木にぶつかりそうになるし…また、そりが滑ると新雪が舞い上がり、ちょうど顔のところに飛んできて目に入り前が見えないと言う事になりちょっとスリルがありましたよ!

 こんな事をして遊んだのですから、帰り道は真っ白でクラコフまで普通なら1時間半位なのですが、雪で道が真っ白ですから、何時間もかかるかな(?!)と覚悟はしたのですけれど…、帰り道を走り出してみると、その山を少し下るともう道には雪が少しあると言うだけで、ずいぶんと溶けた感じの雪しか残っていませんでした…。そのままクラコフまで道が真っ白になっているところが何個所かありましたが、それでも雪はシャーベット状で、それほど滑るという感覚はありませんでした…。それが…、クラコフも近くになると、遠くクラコフの方角の色が変って見えてきました…。街のある辺りがなんと言うか、空気が薄茶色に変色しているのです…。これだけクラコフの街の空気が汚れているのだな(!!)と見るからに再確認しました…。

 帰る道はずっと幹線道路を離れて細い田舎道を走ってクラコフに戻ったのですけど、クラコフに入る辺りから道路が凍りついている事に気がつきました。クラコフに入って少ししたら、完全に道路は凍っていて、私の前に走って滑った車のあとが凍った道路に残されているのです…。あっちふらふら、こっちふらふらと言う感じに…。そこは、速度を落として無事通過したのですけど、次にちょうど通り道だからと、菜園を見ようと言う事で裏道から菜園を目指したら、その途中の細い曲がり角の坂道が完全に凍りついていてぜんぜん前に進まなくなってしまいました…。こうなると仕方がありませんから、静かに下がって来た道を戻り、いつもの道で菜園へと向かいました。菜園は予想通り一面の雪に白く覆われていまして、秋に置いた(放置した?!)スコップを探したのですが、雪に埋もれてどこにあるものか発見する事はできませんでした…。

 クラコフの街中に戻ってみると、空気の汚さもさることながら、建物の汚さが眼につきました…。この建物の汚さの大部分は空気の汚さから来ていると思うのです。クラコフではいまだに、まだまだ暖房やキッチンの熱源として石炭を使用している家庭がたくさんあります。ここから出るすすは、天窓の外を汚くすると言うだけではなく、天窓の上で風に流されたすすがダンスを踊る事もあるくらいに空気を汚くしているのです…。

 確かに、私のところでも空気を汚すまきのストーブを設置しましたけど、私はこの燃料であるまきや石炭に環境税的な負担が付加される事が必要だと考えています。あくまで個人的な意見ですけど、排出する排気ガス(煙)の浄化程度によって税金分の割戻しは必要ですが、空気をひどく汚す施設(機器に使用する)の燃料費に100パーセントの環境税の導入が必要ではないでしょうか…。現在は石炭が安いと言う事もあって、何の浄化装置もないストーブでこの石炭が燃やされ空気を汚染し、環境を破壊していると思うのです。石炭はこの国の主要な専業である事は確かで、そのために石炭産業が保護されている事も事実でしょう…。しかし、しっかりとした施設が無い所で燃やしているために、現在も、そしてこれからも発生する経費(建物の改修費や健康維持のための医療費など)の負担を考えると、今の石炭はすごく高いものと私は感じてなりません…。

 汚い街、クラコフ、確かに歴史的な古い街並みが残された所だけど、それだけに古い施設がそのまま使われていて、今の人口では自然の浄化力をはるかに超える廃棄物を放出しつづけている街…。クラコフの街を遠く離れた数日間で私はそうつくずく思った…。




2001年1月3日 《ヒンチク》

 街を歩いていて、中国人と間違われてバカにされる事が時々ある…。特にここ最近(この1年くらい)その回数が増えて来たように私は感じる。これまでは「ヒンチク! ヒンチク!」とか「チン! チョン! チャン!」なんて言われる位だったのが、最近では明らかにこちらが怖いと感じるような言葉を発したり、行動に出ると言うことまでするようになった…。どうしてだろう? 決して日本人と言われてバカにされる事はこれまでに一度として無かったのに…。なぜ中国人だけはこれほど皆からバカにされる対象なのだろうか??? それだけ、中国人が怖い存在であると言う事なのだろうか? …怖いと言うよりは、経済的な侵略者として映るのかも知れないと思うことがある。…数年前に聞いたことだけど、中国人はとても安い賃金でよく働くのだそうで、建設現場などでは、ポーランド人を雇うより、よほど中国人の方が良いと聞いたことがある…。こんな所から、単純作業をポーランド人から取り上げる中国人としてポーランド人から見られているように私は感じます。でも、そらだけで、これだけ中国人差別と言うか、バカにするような事がこれほど行われるのでしょうか??? 日本で、白人の人を見て、小学生などが「外人! 外人!」とかどこの国の人でも「アメリカ人! アメリカ人!」言う事はありますね。でもそんな事を、中学生や高校生が言う事はまず無いと私は思います。でも、ここでは中国人を馬鹿にするのは、中学生から大学生くらいの男子に特に見られる行動のように私には感じられます。結構いい年をした体のでかい(!)ポーランド男性が、体の小さい(?!)東洋人を中国人と言ってバカにしたり、からんで来たりするのですから、身の危険を感じずにはいられません…。

 日本とは差別と言う考え方が違うという事が大きく関係しているのでは無いかと私は考えました。今の日本でも確かに韓国人の方や朝鮮人の方、そして部落と言われる地域出身の方が差別されていると言われていますが、ここポーランドほどには差別されなかったのでは無いかとさえ私には思えます。それと言うのも、第二時世界大戦後ナチスドイツによる虐殺を逃れた数少ないユダヤ人が、ポーランド人による暴行をうけたり虐殺されたりした事実、そしてその後、国策のようにしてポーランドを追われ、イスラエル建国とともに、イスラエルに移住させられたユダヤ人の事実…。この国は第二時世界大戦では被害者と言う立場ですが、その反面、ここの人も迫害と言えるような事をしているのだと私は思います…。幸いになどと言うと、読者の方からお叱りを頂くかも知れませんが…、日本は第二時世界大戦では加害者と言う立場で負けました。この事から日本国…日本人は日本と言う国が第二時大戦前…そして第二次世界大戦中に行った事実を認識する事が出来た(?!)(少しは…)のだと私は思います。でも、被害者と言う立場のこのポーランドと言う国では、自分たちは悪くないのにナチスに侵略されてじゅうりんされたと言う認識だと思います。事実としてポーランド人でもユダヤ人を差別した事実があっても、それを見ないで通り過ぎているのではないでしょうか…。私はどこの国の人だからとか、何人だからとか、信じる宗教が何だからとか、そんな事を問題にして言いたいのではなく、ただ事実としてここの国に住んでいるポーランド人の多くは差別と言うことに対してあまりに無関心と言うか、 どんかんなのだと私は思います。きっとアメリカやカナダなどに移住したポーランド人はこの差別と言うことに対して、ここポーランドに住んでいるポーランド人よりも敏感だと思います…。ここの人はあまりにひとつの文化の中しか見ようとしないのでは無いでしょうか?

 「いいえ!」と言う答えが聞こえて来そうに思えるのですけど、それと言うのも、確かに今のポーランドには、いろいろな国からの外国人がたくさん住み、そしてアメリカや外国からの映画やドラマ、そして音楽と数限りない外国からの刺激に包まれています…。でも、映画やドラマ、音楽は受ける側好きに操作する事が出来ます…。また、ここに住んでいる外国人は、無用な問題は出来るだけ避けようとするでしょう。それに、絶対数が少ないです…。ですから、ここのポーランド人は知っているようで自分の文化以外知らないと言う事が言えるのだと私は思います。私の友人が西側の大都市を見て「ポーランドはヨーロッパの田舎町」と評した事がありましたが、建物や歴史以上に、もしかしたら…いいえ、確かにポーランド人は、田舎の民族なのだと思います。

 田舎の民族でも、絶対に良いところはあるのです! でも、現在は急速に西側からの物質文明にさらされて、今のこのポーランドは「物」以外の大切さを忘れてしまっているのではないでしょうか? 大切さなんて、言うよりもいろいろな事を受け入れる心の余裕を若い人ほど失っているのではないでしょうか? 車が欲しい、コンピュータが欲しい、大型テレビが欲しい、衛星放送受信機が欲しい、ビデオデッキが欲しい、ステレオが欲しい…。平均的賃金で働いてこの中からどれだけの物を買う事が出来るでしょうか??? いくつも無いと思います…。この国で普通に働いて、日本で買えるものが普通に買えないんです。これだけの賃金格差が事実としてあって、それでも、そこに日本と変らない物が売られているのですから…。若い人ほど悲観的になり、差別的な行動に出ると言うのもわかる気がします…。ただ単なる、弱いものいじめ…目の前を通り過ぎる中国人に暴言を言って見たくもなるでしょう…。その時に、相手に何か言えたら良いのに、あなたが言う事は正しくないとか…あなたはどうしてそう思うかとか、話をしたり注意できない弱い自分自身もなさけなく悲しい存在になんだか感じます…。現実問題として今、この現状を私は大きく変える事は出来ないけど、でも、少しでも考えるきっかけになればと思います…。

 日本の部落問題と言う言葉を、私がはじめて聞いたのは、20歳を過ぎてからでした。その後今日まで、私は部落出身と言う方とお会いした事はありません(自分が部落出身ですと自己紹介した方がいなかったと言う事です)。ですから、もしかしたら、どこかで私はお会いしているとか、一緒に仕事したとかあるかもしれません…。大阪で仕事をした時お客様からのクレームで、朝鮮人とか部落差別だと言う事が時々あると聞きました…。ですけど、私が知る限り私の働いていた会社で部落とか住んでいる地域とか、本籍、名前などで差別されるような事は一切行われていませんでした…。これが事実です。確かに現実に日本で今でも差別はあると思います。日本の差別は深く根深いところでいまだに残っているのだと私は思います…。歴史的な問題で残念ですけど、近い将来に解決できる問題では無いと思います。しかし、ここポーランドの中国人差別問題は今始まったような問題で、今、上手に交流が進めばこれ以上悪くならずに解決できるのでは無いかと、少しの希望をもってこの話を終わりにします。




2001年1月1日 《001年始まりの日》

 私は2001年始まりの日をクラコフを離れて、田舎の山の中の知人宅の留守番と言うことでこの日を迎えた。ここへ来たのは2000年の12月28日。それから今日まで、この山間の集落のはずれの家で過ごしています。ここに来た12月28日は、雪もほんの少ししかなく、薄っすら白くなったと言う程度だったのですが、毎日、粉雪がぱらぱらと少しずつ降り積もり今では20センチくらい積もりました…。今居るこの家は、細い林道から100メートル以上離れていて、この間は私道で自力で除雪しないといけないのです。この除雪がキツクテ! はじめは楽しんで除雪したのですけど、翌日も、そのまた翌日も同じように、雪に降られると体力が持ちません…。もう体中が痛いのに、昨日の夕方にも雪が降り、その雪が5センチくらい積もっているので、林道まではこの日記を書き終えたら除雪です!

 この家の暖房はまきのストーブです。私はクラコフででもまきストーブを燃やしてましたから、簡単に行くか(!?)と思いきや、これがこれが…。ここのストーブは旧式で燃え方の調整がすごく難しい…。まして、火がついたらよく燃える事、燃えること…。私のところのストーブと比べて倍くらい早くまきを消費しているように感じます。ですから、今まきを入れたと思ったのに、もう入れなくちゃ(!?)って感じになっています。それでも部屋のストーブは燃えてくれるから良いのですが、キッチンのストーブは火が付いても、少し燃えて消えてしまうんです…。これはこまりもので、何回か火をつけてみたのですがどうしてもだめでした…。クラコフの私のストーブには、火力を調節するために空気取り入れ口にシャッターがあって、このシャッターを調節してストーブ内に入る空気の量を調節して燃え方をコントロールするのですが、ここのストーブは、このシャッターの他に、煙突に入る排気の量をコントロールして燃え方を加減すると言うレバーもあるのです。このレバーの調節が難しいこと…。燃えてきたら全閉めの状態でも、隙間があって大丈夫なのですが、火を点ける時は、少し開き気味が良いのです…。私はこの排気調節なんて使ったこと無いし、まして、ストーブが熱くなるとこのレバーも早々と熱くなって、調節ができなくなるのです。ですから、この排気調節は、火が点いたら早々に調節してしまって、その後はそのまま触らない(!!!)という事がコツのようです。

 朝8時ごろにこの日記を書き始めて、中断したり休止したりして、今、10時少し前になったところなのですけど、今日はとても良い天気で、窓の外は青い空が広がり(!?)(正しくは、ここは谷間なので、山と山の間に見え…)新雪が太陽に照らされてきらきら輝いています…。ここに来てからと言うもの、太陽が出た日は無く、毎日曇りの小雪まじりと言う天気でした。それが、帰る日には良い天気になるのですから…。まあ、そう言っても、雪無しでただ寒いだけと言う天気と言うこともあるのですから、それから考えると雪があったのですから、充分に楽しめたと言えない事はない(雪では充分楽しんだから!)ので悪くは無かったと思います。

わんちょ・クラクフ在住

 



「エッセー」の目次に戻る。