2000年わんちょのクラコフ日記 (2月)


わんちょ



(「クラコフ2000」のオープニング 撮影: わんちょ 2000.01.15)




《 はじめに 》

私はクラコフに住んでおります、ハンドルネーム『わんちょ』です。
クラコフからの便りをお届けいたしますのでよろしくお願いいたします。

ご意見ご感想をわんちょにお送りくださいませ!
wancio@priv6.onet.pl



2000年2月28日 《28日…》

 今日の日中は上着が要らないほど暖かでした。早い春が来たような暖かさでしたよ! まして、空は青空でとても、とても綺麗な1日でした…。明日も、こんな1日だといいのにと思います…。でも、今日の天気予報では、木曜日から雪との事でした…。当たらないと思うけど…。




2000年2月27日 《日曜日》

 今日の日曜日は、天候に恵まれた日曜日でした…。ここ最近のグズグズ天気は何だったんだろう(?)と思えるほどの良い天気でしたけど、でも、外はいたる所に水たまりがあって、きのうまでの悪い天気を思い出させましたけどね…。今日は2月の終わりだと言うのに、暖かな気温でプラス4度くらいの気温で、もう、冬が終わってしまったのかな(?)と思えるような暖かさでした。私の住むアパートの南側の部屋では、日中、太陽が出ているときはその陽射しだけで暑いくらいでした。もちろん日中は暖房のスイッチは切っていて、そして、窓を開けていても気持良いくらいの暖かさでした…。これから寒の戻りがあったとしても、それでも、それほど寒くなる事無く、春になるのだと思うのですけど…。




2000年2月25日 《25日…》

 日記を書くのがここの所、空いてしまった…。この間に気温は下がってマイナス6度くらいの朝もあったけど、今日なんか、暖かなようで雨がぱらついているんです。私は今になって、少しカゼをひいたようで体調充分とは言えない状況です…。こうして、書いていても鼻が出たりして…、中断を余儀なくされています。

 クラコフの街ですけど、フロリアンスカ門の周辺に夜のライトアップ用のライトが設置されました。これまでに付いていたバルバカンの照明と合わせて、このあたり(バルバカンとがフロリアンスカ門のところ)はだいぶ明るくなりました…。でも、私が見たところ、ライト自体が少し弱い感じで、もう少し強いライトだと、きれいなのに…、と思ってしまいました。まあ、それでも、夜はライトアップされていると言う事です! 見てみてくださいな…、と言われても、日本に住んでいて、クラコフに来る予定の無い人だと見る事は出来無いのですけどね…。

 私は何しているか(?)と言うと、今年になってから、なんかあれも作りたい、これも作りたいと言う事で、いつも毎日、何かしらのアクセサリーを作っています…。散歩している時でも、どんなデザインにしようか(?)とか考えながら歩いたりしていますから…。まあ、それでも、大体はテストで作っても、私が考えていたようにならないと言う事で不合格で本製作しないのがほとんどだし…、作っても、そのまま箱の中と言うものがほとんどですね…。人に使って頂けているのなんて、ほんの少しです…。残念ですけけど…。

 それと、昨日は知り合いが日本から、クラコフのポーランド語の語学学校に留学して来ました…。その知り合いを昨日は飛行場に迎えに行ってあげて、その語学学校まで送ってあげたんです。私は、そこの語学学校の寮(学校の寮と校舎も同じ建物)にはじめて行ったんですけど、聞いていたより綺麗で驚きました! でも、授業料も寮費も高いように私は感じましたけどね…。

 それに、昨日は日本のソースが入手出来たんですよ。これも、知り合いにいただいたんですけど、このソースでたこ無したこ焼きを作って、食べようと考えています。ソースが無くなってから、たこ焼きにたこは無くても、ソースは一番重要だと私は感じましたね! たこが無くても、たこ焼きは成立しますよ…。でも、ソースが違うと(マヨネーズとかケチャップなど)たこ焼きとは感じませんからね!

 今日も雑文と言うか、メモ書きのような文を書いているんだけど、その総量は今月2月で、大体60キロバイトくらいになると思うんです…。これで多いよと言うメールを、これまでに2通(だいぶ前とつい最近、別の差出人様でした…)頂きましたけど、確かに、1度に全部読もうと思うと量があると思うけど、暇な時にぽつぽつ読むのには良いのではないかと、自分では思っているのですけど…。どうですか? 1度に読んでも、何回かに分けて読んでも良いと私は思います。だって、私の書いている話しは続いていると言う事は無くて、その項目毎に…、下手をすると、項目の中でいくつかの小さな項目にわかれている事もあるしね。だから、ちょっとずつ読むにも最適(?!)だと思うんですけど…。

 それにしても、今日はここにしては、強い雨が長い事降っています。クラコフの雨は、いつも雨音がしないくらい静かに、しとしとと降って、短い時間でやんではまたいつのまにか降っていると言うのがいつもなんですけど、今日は朝から雨音がするくらい大粒の雨がぱらぱらぱらぱら降っています。日本の感じで言うと、まあ一般的な雨と言うか、もしかしたら弱い雨と言うんでしょうね。今は、風がふいているのではないし、上空の雲も暗くひくく垂れこめていると言う感じではないんです。まあ、少し暗い雲が空一面を覆っていて少しも雲の切れ目も見えないと言う感じではあるのですけどね…。それにしても、いつまで降るのだろう???




2000年2月22日 《いつもの街を散歩してみました…》

 今日の朝は、昨夜降ったほんの少しの雪が残ってうっすら白くなった状態でした。私はいつもと変わらなく見えるクラコフ旧市街の街を散歩して来ました。バルバカンの横で今掘られているほりは、19世紀には埋められていて、20世紀になって作られた当時のように再度掘り出されたものなんだそうです。

 私はこの前本屋さんで、"KRAKOW dawnej i dzis"と言う本を買いました。この本は写真集で、大体100年ほど前のクラコフと現在のクラコフとを比較した写真集なんです。私はすごく興味を持って、この写真集を見る事が出来ました…。この本で、バルバカンの事も知りました…。クラコフの街は、変わらずに中世からそのままと思いがちですけど、本当はそんな事は無くて、いろいろなところで、改築されたりしているんです。まして、100年前には今と比べ物にならないくらいバベル城なども荒れていた事がわかります…。よく、こんな汚い所に、オーストリアの軍隊が駐屯していたものだと思うくらい、ひどいものです…。ただ、100年前の街の遠景などを見ると、まだまだ旧市街の近くに広場…、それに、また、カジミエッシュもに大きな広場…、そして、ビスワ川にはたくさんの舟があったり、馬が水を飲んでいたり…、のんびりとした光景を見る事が出来ます。今では想像も出来ないですけど、たった100年くらい前まで見られた光景だと思うと、この先100年後にはどうなっているのか。なんか、想像もつかない感じがしますよ…。100年後にはきっと街が拡大していて、今、草原や森の所が、街になっていたりするんでしょうね…。でも、もしかして、人口が増える事が無いとしたら…。街は今のまま、大きくなる事無くこのままなのかも知れません…。どう変わるか、見てみたいものです…。




2000年2月17日 《学校》

 読者の方の中に、学校の先生が結構多いのには驚かされています。今日はこの学校について、またいつも通り、批判的に書いてみます。

 この所、私の読むホームページのいくつかで、何度も学校と子供についての記事があったので、私も考えて見ました、あるページでは、高校の先生が今の学校には、生徒がわくわく、どきどきする事が無い(わくわく、どきどきを提供出来ない)と書いていました。あるページでは、ありがとうと言えない子供の事が書かれていた…。どちらも、子供が変わったとの事なんですけど、私は子供だけが、変わったのではないと思うんです。確かに、ありがとうと言えない小学生はいるでしょう。ありがとうと子供が言えないのは、ありがたいと思わないからでは無いでしょうか。してもらって、やってもらって当然。ただでくれるもの、そんなふうに思っているから、ありがとうと言えないんだと思います。日本では、駅などでポケットテッシュを配っていますね。大人で、どれだけの人が、ポケットテッシュをもらって、ありがとう、とか、ご苦労さまと言えますか? もらってあげてると考えると、ありがとうなんて、言えないですよね。子供もポケットテッシュをもらうのと同じように感じていて、なにをしてもらっても、それは当然だからありがたくない。だから、お礼の気持なんて持てないんだと思うんです。それなのに大人は、どうして今の子供はありがとうと言えないと言ったって、朝には、自分でも、駅でありがとうとも言わずポケットテッシュをもらってかばんに突っ込んでいるのに、よく言えたものだと、私は思うんです…。みんなが、なんでも、くれる社会…に日本をしたんです。スーパーやデパートの食料品売り場で試食して、ありがとうとどれだけのお母さんが言えるでしょう。そう、一緒に子供を連れて買い物をしているのにです! そんな、母親のお礼も言わないでもらう姿をみて、子供だってありがとうなんて言わないで当然だと無意識の内に理解すると思いますよ! 日本にはもらって当然と言う事が、多すぎます。母親は買い物の後、レジでお金を払って、買い物したものを袋にいてれ、どれだけの人が、自分の使ったかごを所定の場所に戻すでしょうか。そのままにしてしまう人が案外多いのではないでしょうか。子供のおもちゃと同じだと思うんです。必要な時は使うけど、必要無くなると、片付けもせず、次に移る…。誰かが、お店に人が片付けてくれるから…と思って、そのままにしてくるでしょう。子供だって、「遊んだおもちゃを親が片付けてくれるさ!」と覚えるのでは無いでしょうか…。自分で使ったものを片付け出来ない親が、子供に片づけしろなんて言う事自体、おかしな事です…。そんな、何でもしてもらえるシステムの中で育った子供が、どうしてありがとうなんて言えると思いますか。ありがたくない事に…。

 さて、学校ですけど、今の学校には昔のようにわくわく、どきどきが無くなったと言うのですけど、確かにその通りでしょう。私が高校生の頃、少しでもテストで良い点数を取っておけば、進学するなり就職する時に有利になると言われ続けました…。私は、そんな話しを聞いてバカらしいと思った。今のテスト次第で、この先の一生が変わるの? 今、この時にしか出来ない事って、あるでしょう。わくわく、どきどきを感じる事…ってやつ。そんなわくわく、どきどきする事をしないで、いくらかのテストの点数が上がっても、何になると思うの? 大きく大勢に影響しないでしょ…と私は思っていた。高校ではアルバイトしないで勉強しなさいと言われたけど、でも学校では出来ない教育を、アルバイト先だから出来ると言う事もあると私は思う。学校で味わえない、達成感、出来た時の喜びを感じさせてくれる事もあると思う…。アルバイトにもわくわく、ドキドキがあると私は思うんです。でも、残念な事にアルバイトを熱心にしたり、携帯電話を学校に持ちこんだり、いろいろな学校の授業と関係の無いものを持ちこむ生徒は、明らかに、学校にわくわく、どきどきを感じないのだと思う。学校の中、机の上、教科書の上だけが学習でない事をまず認めないと、生徒は学校から、どんどん離れて行くだろう…。心の中から…。

 私が通学していた学校の先生は、何でも禁止とか規則と言ってたけど、禁止する事がそれほど大事だったのだろうか? 学校の規則を絶対に守らせる事が、それほど重要だったのだろうか。私は禁止も学校の規則も大嫌い…。どうして、先生が勝手に何は禁止とか、決めれるのだろう??? 私が高校生の頃、バイク(スクーターでも)禁止だった。危ないからと言う理由だったけど、危ないのは自転車だって、危ないでしょと私は思ったのだけど、私は当時おとなしく学校の規則を守っていたから、何も言わなかった。でも、そんな規則に反発して先生と殴り合いをするような、生徒がいた時は、私は生徒の方を応援していた。心の中ではそんな規則に反発していたのだと思う…。高校生の時には、私は冬になると、白い色のフェルト地のコートを着て通学していた…。学校の規則ではコートは紺、もしくはベージュなどの単色で派手でないものと書かれていたと記憶している。この規則では白はダメとは、言えないでしょ。でも、もちろん私は生徒指導の先生に呼ばれた…。白いコートは派手だと言うものだった。私は落ちついて、静かに質問した。「白色のパンツは派手ですか?」、「白色のシャツは派手ですか?」、と。先生は、うなって考え込んで、「白はいいだろう!」と言う事になった。私は3年間、冬はその白のコートで通学したけど、白と言っても淡いクリーム色の白はすぐ汚れるから、いつもその淡いクリーム色の白を維持するのは、大変だった…。この白いコートは私の学校に対する、わずかな反発だった。そして、私は冬が来るのが、楽しみだった…。懐かしい、高校生の頃の思い出…。遠く昔の事になると、校則も許せる気がするから不思議…。私が絶対に、戻る事の無い、時間だから許せるのかも知れないけど…

 まあ、私は、学校は嫌いじゃないけど、先生は嫌いだと思う…。特に中学校と高校かな…。高校の頃は規則、規則って言われたからね…。先生って、怒るばかりだと思う。面白く無い授業して、面白くない話をして、何でも検査(持ち物に服装…)していたいた…。特に中学校はそうだった。夢を話してくれるような先生はいなかったな。みんな現実的で、目先の事しか、頭に無いと言う感じだった…。高校受験があったしね。それでかもしれないけど、でも、中学生や高校生の頃って、夢を持つ時期じゃないかと思う。大きな可能性へ挑戦できる時期では無いかと思う。先生はもっと、夢を話すべきじゃないかな? 「定年まで教師してます!」なんて30歳くらいの先生が言っていて、自分が退職の頃の年金の話しなんか、生徒が聞いたら、そりゃ現実的になるよね。そして、夢なんか持てるかって思うだろう。先生になる人は、チャレンジ精神があって、今度負けても、次がある、だから、がんばれ!と自分自身から言えるような、生き方をしてこそ、先生と呼ばれる資格があるのではないかと思うよ…。何でも良いから夢を持ちつづけてる先生って良いと思う…。私は、そんな夢をもった先生に学生の頃、会えなかった…。でも、今になって、私とメール交換している先生から、夢を感じるメールを頂いた。この先生の生徒は、そんな先生の夢を知っているのだろうか? ただ、何となくだけど知らないのでは無いかと思う…。もしかしたら、私も先生のそんな夢を知らずに、通りすぎて来たのかもしれないと思うこともある…。そうなら、すごく残念だと思う…。




2000年2月16日 《車検》

 車検が通りました! 費用はまず新しいナンバープレート代66zlと車の整備料60zl、それに車検の検査費用大体70zlでした…。

 今日の朝に、車を車検場に私のパートナーが乗って行ったのです。そして、車検を通して来たのですけど、特別に問題は無かったそうですが、問題があると言われた。左のライトは右と比べて、ひどく下向きで、さっき(夜10時ごろに)走ってきたのですけど、先の方はひどく暗いんです、右は上向きだから、明るいのですけど、どうして、左だけ問題になったのか、不思議でしょうがないです…。まあ、それでも、思いの他簡単に車検が通ったので、よしとしましょう!




2000年2月16日 《タバコ》

 この前、ネット上の新聞で日本のタバコの箱に書かれている、健康に関する警告(健康のために、すいすぎに注意しましょう…と言うやつ)が、先進国の中で、最下位の点数だったという記事を読んだのですけど、高得点をねらうなら、箱の表面積の30パーセント以上を警告記載の場所にして、なおかつ文句には、タバコの吸いすぎは、あなたの命を縮めます…とでもしたら良いのではないか(?)と私は思うのですけど、でも日本政府ではできっこないとは思いますけどね…。だって、タバコ税はこの財源不足に大事な収入源だし、まして、タバコの害で50歳台位でぽっくり行ってくれたら、国はこんないい事無いんじゃないでしょうか。そう考えてる役人はいるはずです。まあ、ポックリ死なずに長々入院でもされると、今度は健康保険で持ち出しになりますけど…。ほんと、タバコの吸いすぎとストレスで50歳台でポックリ死んでくれ(!)と、国の役人は考えているのではないでしょうか。年金は払わなくて済むし、それまでにタバコ税をたくさん納めてからだしね…。健康に悪いことして税金を払っているのですから、タバコを吸う人ってすごいよね…。まあ、タバコの警告を強化するなんて、日本の役所では無理でしょう…。

、私は思うんですけど、健康に悪い事をするのは、本人は良いですけど、まわりの人にまで煙をまいて、迷惑をかけることはやめて欲しいです! タバコを吸うなら、煙まで全部責任をもって食べてくださいと言いたい…。煙の出ないタバコの登場を期待します…。

 タバコで税収があるなら、覚せい剤も、国の財源にしたら良いではないでしょうか。使い方さえ、間違えなければと言うか、品質のしっかりした物でコントロールできれば、どちらの害も変わらないと私は思うのですけど…。覚せい剤とシンナーでは、シンナーの方が私は体に悪いと思うのですけどどうだろう? 覚せい剤も、やりたい人は違法でもやるし、やりたくない人は合法でもやらない、タバコと同じ道理だと思う…。覚せい剤は現実に違法で高値で売買されていて、その販売代金には法人税も消費税も徴収されないし、製品の品質も保証されないと思うんです…。もしかしたら製品保証している覚せい剤販売元もあるかも知れませんが…。領収書には覚せい剤1グラムとは書けないでしょうし、輸入のインボイスも覚せい剤では通関を通らないでしょ。そうなると、なんか、怪しい別の名前で通関させているのでしょう…。ここでもありましたよ。日本食品の販売をしていた店で、日本酒の販売をしていたのですけど、酒(アルコール)取り扱いの許可を持たずに販売しているとかで、領収書には、食品として書くからと言うものでした。まして、通間の問題から、調味料などといつわれる紙パック詰めの日本酒だけと言う、念のいれようでしたね…。これって、明らかに違法です! もしかしたらこんなふうに、外国産の調味料なんて事にして、1コンテナの中の1000ケースの内、奥の奥の1ケースだけラベルと違う粉(!)なんて事で輸入されているとしたら…。もう、国が覚せい剤もこの際財源にして、国もマフィア事業に先進国で初の本格進出! どうだろうか??? こうなったら、日本たばことか、製薬会社が覚せい剤の大型精製プラント(月産能力100トンなんて)を世界で初稼動なんて、新聞に出るんでしょうね…。そんな事無いって言い切れる???




2000年2月16日 《アルコール》

 朝、散歩をしていると、工事現場に向かう作業服の労働者の姿をよく見かけます。この労働者さんたちは、普通は工具箱とか工事機械、それから材料なんかを持っているのですけど、この他に、ウオッカのビンを下げていたり、ビール飲みのみ仕事に向かっていたりする事もあるんです…。ウオッカは、朝買って仕事が終わってから飲むとか、工事先の人にあげるとかあるかも知れませんし、もしかしたら、綺麗なウオッカのビンの中に、水が入っているかも知れません…。まあ、そんな事は無いと思うけど…。でも、ビールはまず間違い無く、飲みながら通勤してましたね。建設現場の労働者なんて、こんなものだと聞きますけど、ひどいものです…。




2000年2月16日 《デナツゥラット》

 デナツゥラットという液体の匂いって独特なんだけど、知っているだろうか? 普通は知らない匂いだと思う…。私は日本では嗅いだ事が無い匂いですから…。でも1度嗅いだら忘れる事の出来ないほど、強烈な匂いなんですけど、アンモニアのように刺激臭では無く、ガスのように臭いと言える匂いでもないんです。デナツゥラットの匂いと言うのは、思い出しただけでも気分が悪くなるような匂いで、私はこの匂いのする所では、吐きたくなるくらいの気分悪くなる匂いなんです。このデナツゥラットという液体は、エチルアルコールに紫色の色を付けて、まして、すごい嫌な匂いを付けたアルコールなんです。どうしてそんな、色とか匂いを付けているか? もちろん、飲まないようにと言う事なんだそうですけど、ここの人でこのデナツゥラットを飲む人もいるんですよ! 私はここに来てから、燃料用アルコール(メチルアルコールと言うやつ)を探したのですけど、見つかりませんでした。代わりにどこでもあったのが、このデナツゥラットだったんです。メチルアルコールでも、エチルアルコールでも、どうせ飲むから、メチルは販売しない事にしたという国の判断だと聞きました。このデナツゥラットはお酒ではないですから、酒税はかからずすごく安いんですけど、ここでは市場に行けば密造酒も販売されている国で、この密造酒だって、私は買った事は無いですけど、安いと聞きます。私にすると、普通の酒屋で酒税を含んだお酒を買っても安いと思うのですけどね…。まあ、このデナツゥラットを飲むような人は、もう味の感覚とか匂いの感覚って麻痺しているとしか思えないですよ…。まさに、デナツゥラットを飲むようになったら、アルコール中毒後期じゃないでしょうか…。昨日のカトビッツエの駅の1階の正面ドアの所では、すごくデナツゥラットの匂いがしていましたし、今日の朝はデナツゥラット臭い人が、私のわきを通りすぎて行きました…。私が知らないだけで、デナツゥラットは、本当は国民的なアルコール飲料なんだろうか? でも、いまだに、レストランでデナツゥラットがメニューにあったところは無い…。




2000年2月15日 《ティヒと言う街 と 車検の修理とは…》

 今日は早朝に車を修理工場に置いて、そのままクラコフ中央駅に行って電車でティヒと言う街に行く予定だったんですけど、車を修理工場に置くまでは予定通りだったんですけど、そこから駅までの時間は思いの他かからなかったし、まして、私の思い違いで、電車は20分も遅く出る事を駅で知ったんです。ですから、電車の発車時刻まで1時間ほど開いてしまったんですよ。仕方が無いから、1度自宅に戻って出直す事に決めて帰ったまでは良かったのですけど、アパートについた頃には、もう10分くらいで出ないといけない時間になっていて、サンドイッチを急いで食べて、それだけで出かけました。電車の行程を説明すると、カトビッツエまで急行列車で行って、カトビッツエからは、普通電車でティヒまで行き、今日の目的地は郊外だったので、ティヒ駅からトローリーバスの乗って行きました…。ティヒの駅から目的地までの交通機関に付いてはどうしていいか知らずに最寄りの駅まで行ったので、私は駅前でバスを待つおじさんに交通機関について、いろいろ聞いたので、おじさんは親切にどこの乗り場で乗るかとか、切符はどこで買うとか、何分に出発するから、それに乗るようにとか教えてくれて目的のトローリーバスの乗る事が出来ました。乗ってからは今度はトローリーバスの運転手さんに、行き先を言って最寄りのバス停に着いた時に教えてもらい下車しました…。

 今日ティヒに行った理由は、頼まれていたアクセサリーが出来たのでそれを届けるためだったんです。バスを降りてからは迷う事無く無事届ける事ができて、今度は帰りですけど、ここのトローリーバスは、ひと方向にしか走らないようで、帰りも来た方向と反対方向行きのトローリーバスに乗りました。それでも、ぐるぐるわからない所を走って…ちゃんと目的の朝着いた駅前で降りる事が出来たんです。ただひとつ問題だったのは、このトローリーバスの切符でした。切符には、乗車できる時間が記載されていて、乗車したら、乗車時間を自分で印字するのですけど、私は目的地までの所要時間なんて知らないし、時刻表に書いてあったのですけど、注意して見ませんでした(おじさんにもうすこししっかり聞けば良かったのですけど、発車の時間が間近だった事もあり、料金の事をよく聞かなかった)。…で、私は朝に駅前のキオスクで20分切符を4枚買っておいたんです(1枚は1.8zl、50円くらい)…。目的の停留所まで、行きが30分強くらいで帰りが30分弱くらいでした、ですから、途中適当な時間でもう1枚の切符を行く時は切ったのですけど、帰りにはまず乗車の時に運転者さんに聞いたんです。「ティヒまでの切符は何枚切るようか?」って。運転者さんは「1枚でいいよ!」と言ったので、私は切符を1枚切って乗車しました。乗車してから20分間近になって隣のオバさんにも聞いてみたんです。「私はティヒの駅まで行きたいのですけど、もうすぐ乗車してから20分になるんです。切符は1枚でいいのですか、それとも2枚切るようなんですか?」って、そのオバさんは、私の切符の乗車時間を見て、「大丈夫これだけで」、と言うんですけど、「この20分というのはどう言う事なんですか?」と重ねて聞いたら、正しくは時間で料金が決まっているとの事でした。だから切符は20分、30分、40分と言う切符が売られているようで、20分が1.8zl、30分で2.3zlだったか、乗車時間が長くなっても、それほど高くはならない料金体系になっているのですけど、私は知らなくて、20分の切符を買ったようです。確かに思い出して見ると、キオスクのオバさんは、私が「切符下さい」と言った後に、何か聞いたんですけど、私はよく聞こえなくて、聞き返した時に、「20分でいい?」と聞くから、私は急いでいた事もあって(だって、目的地に向かうバスは、すぐ横に今にも出発と言う感じで駐車していたんですから…)、「それを4枚」といったんですね、これで、私は20分の切符を4枚手にしたんですけど、間違いの元でした…。まあ、この私が聞いたおばさんは「正しくはもう1枚切るんだけど、駅はもうすぐだし1枚で大丈夫だよ!」とは言うんですけど、まあ、私は切符はもう1枚買ってあるしと言う事で切りました…。どうせ、次にいつ来るかわからない街の乗車切符を持っていても、次に来る時には、値上げされて、使えないなんてなりますからね…。私が聞いたおばさんは、親切にも、私が降りる停留所が近くなったら、教えてくれて、「駅はあの建物だからね!」と念を押して私に教えてくれました…。とても親切でした!

 このティヒと言う街には、日系の自動車メーカーが進出しているのですけど、ここで働く日本人は、遠く80キロメートルくらい離れたクラコフに大豪邸(社宅)を高級住宅街に日系建設会社が建てて住んでいるんです。考え方だと思うんですけど、どうして、働く日本人を工場の近くに住まわせないんでしょうか? 日本人は高給でポーランド人は薄給だから、そんな日本企業で働く日本人の金持ち暮しを自分のところの工場労働者に見られないように、遠くの街に住むようにしているのでしょうか? まあ、私が住むなら、わざわざ遠くの街でなく、工場の地元の街に住みたいと思いますね。私の感覚で言うなら、クラコフより外国人が少ない分ティヒは外国人に対して親切だと感じました。珍しいから、見られる事も多いですけど、みんな親切ですよ…。住みやすい街だと私は思います…。地元を大事にしない日本企業は日本国内にもいっぱいありますけどね…。いくら何かを寄付したとか、何人に職場を提供したとか、それだけじゃ無いと思うんです。私の働いていた日本の会社がそうでしたけど、地元密着、地元優先とか言っても、働く人には、どこにでも転勤が出きるかと言う事がすごく大事になるし、業務が優先で地元採用の人が地元の行事だからと言っても簡単には休みをもらえませんでした…。お祭りとかで、どうしても田舎の地元の人は出ないといけない事があるようでした。私は転勤が多かったから、そこの街の行事に自発的に参加するなんて無かったです。会社の命令でと言う事はありましたけどね…。会社で働いていると、会社の本音と建前って大きく違う事に驚く事ありますよね。公式見解と現実が違うってやつです。それでも、会社はうまい事、公式見解を正当化するような行事をやったりして、何処でもうまい事やるんですよ。どこかの会社の木を植えてますみたいにね!

 …参考までに、電車の運賃を書いておきます。行きはクラコフからカトビッツエまで急行、カトビッツエからティヒまでは普通電車で17zl16gr(…大体420円)。帰りは、ティヒからクラコフまで普通電車で11zl40gr(…大体300円くらい)。所要時間的には2時間から2時間10分くらいで急行を使っても20分と早くなりません。それよりも、遅れる事の少ない運行距離の短い普通電車の方が、前の遅れを引きずる事が無いので、時間どおりに発車して、時間どおりに到着する事が多いです。その点急行は運行距離が長いのであちこちで、少しずつ遅れると、積もり積もって1時間遅れなんてなるんですよ…。100キロメートルくらいの電車での移動なら、普通電車と急行電車の所要時間を調べてから切符を買った方が良いと私は思います。

 車検ですけど、自動車整備工場に朝出して、私はこのように出掛けてしまったので、あとの車の事は、私のパートナーにお願いしたのです。まあ、私が帰ったら、もう車は整備済みと言う事で帰って来ていたのですけど、当日の11時にはもう整備が完了していたと言うんです! それに、整備費は60zl(1500円くらい…)。「こんなでブレーキとかなおったって言うの?」と聞き返したんですけど、調整だけですんだからと言う事で、この値段だったようです。そして、車検の検査には、「ここの検査場に行きなさい!」と指定された所があって、そこで、…で整備してきたと言うと、「便宜をはかってくれるから!」と言う事なんだそうです。




2000年2月14日 《車検》

 去年99年の夏に買った、中古の車の車検がもうすぐ今月の18日(あと4日)で期限切れとなるので、今日は車検場に検査に行ってきたのですけど、結論から言うと1回では検査に合格しないで整備してからまた来なさいと言う事だったんだけど、どこが悪いかと言うと後の右側のブレーキと左側の前のライトそれと、一番問題なのがナンバープレートだと言うんですよ! ナンバープレートが問題ってなんだと思うでしょ! 暴走族ののように、まげてもいないし、ちゃんとねじで固定されていたのですから…。このナンバーは、中古で買った時、県外のナンバーだったから、ここクラコフのナンバーに付けなおした物なんです。それが悪いと言うんですね。まあ、私の所の車のナンバープレートと言うのは、これまでは、前後とも横に長い形でKXX1234と言う感じだったのです(買った時からこの形のナンバープレートが付いていました)。うしろはその横長ではだめで、四角い形で記号のKXXは上でその下に数字1234と言うように書かれているナンバープレートに変えて来いと言うんです。そんなナンバープレートを替えるなんて言う事どうやったら、18日までに出きるの(?)と不安になりながら、ナンバープレートの交付事務所に行ったんです。事務所に着くまでに仮ナンバーをもらって、何とか早い事修理して、なんとか車検を取ってから、正式ナンバーを取得しないといけないだろうと考えていたのですけど、今回は制度が変わっていてナンバープレートの交換は、費用の66zl(1600円位)を払って申請用紙を書きこむと、1時間半の後にその場で新しいナンバープレートを交付すると言うものでした…。これは早くて良かった。このナンバープレート交付までの空き時間に、自動車整備工場へ行って明日15日の朝から整備の予約をして、軽い食事をして指定時間にナンバープレートの交付事務所に行って新しいナンバープレートをもらいました(ここでは、日本のように役人がナンバープレートを専門で取りつけるなんて事はありません。ただ板のままでナンバープレートをくれるんです、これを自分で車に持ちかえって、自分でねじを締めて取りつけるんです)。これまでは良かったのですけど、車に取り付ける時になって大事なことが判明したんです! 今回もらったナンバーに決まった位置に穴か空いていて、そのナンバーに合う位置に穴が無い(前のナンバーには穴が無く自分であけて取り付けたんですけど)…。まあ、取り付ける車の方の材質はプラスチックと言うのかポリウレタンと言うのか、まあ、そのような科学合成素材ですから、穴が無ければあければ良い事なんですよね。でも車検だけを考えて家を出てきたので、穴をあける道具なんて、持っては出ないでしょ。困った…。ナンバー無しでは車では帰れないから、近くに何とか穴をあけられるような物は無いかと考えた。まず近くの店でアイスピックか何か売っている店は無いかと考えたんですけど思い出せない…。次ドライバーを売っている店は無いかと考えたら思い出した! 隣の通りにあったんですよ。遠くない所に自動車修理用品の店が。で、そこで、穴をあけられそうな、細身のマイナスドライバーを購入(大体5zl、120円くらい)して、車に帰り穴をあけてナンバープレートを取り付けました! この穴あけでドライバーは壊れたんですけど…。さあでは、路上駐車の許可が前のナンバーのままだと行けないんで、これを書き換えに行こうと、エンジンをスタートさせようとしたら、カチカチカチ………と悲しく鳴るばかり…。あら、バッテリーがいかれるにしては、さっきまでは問題無くライトも点いていたのに…。それに、ライトの消し忘れなら、アラームが鳴るはずなんだからおかしいと思って、ボンネットを開けて、バッテリーのコードを触ったら、ビリビリ…とはならなかったのですけど、ぐにゃぐにゃ…と言う感じで、バッテリーとコードをつなぐ銅で出来た接続金具が腐食していたんです。バッテリーの硫酸の影響だと思うんですけど、簡単にぼろぼろになっていました…。普通日本で売られている車だと、「いかにもがんじょう!」と言う感じの金具で固定されていたと記憶しているのですけど、私の車はちゃちい部品で出来ていまして、それがいかれてエンジンがかからなくなっていたようです。こう推測は出来ても、どうして直したら良いかですよね。思い出して見ると、日本では見かけないですけど、こちらの自動車修理用品の店ではいろいろなこまごまとした部品が売られていて、その中で、私はバッテリーの接続金具を見た覚えがあったんです(こんなバッテリーの接続金具なんて、どうして売っているの。誰が買うんだろう? 私は日本で古い車にも乗ってたけど、バッテリーの接続金具が壊れたなんて無かったですから…、と不思議に思ったんで覚えていたんです…。でも、私が買う事になるなんて…)。またさっきの、自動車修理用品の店に行って、まず、このバッテリーの接続金具を頼んだら、手馴れたもので、「どんな形の? プラス? それともマイナス?」聞くから、普通のマイナスと答えたのですけど、店の主人は心配になったようで、車種はと聞くから、「トヨタ、ターセル」、と答えたら、「トヨタなら、普通のでいいよ」と部品をポンとテーブルに出してくれました! 「よしこれだ!!!」 それと壊れたドライバー(先のチップがくるくる回って、ねじをあけることも締めることも出来なくなっていましたから…)を交換してくれるように頼んだら、私の方を見ながら、「これは、中国製だから悪いんだよね」と何度も、何度も楽しそうに言いながら新しいドライバーを出して、壊れたドライバーと交換してくれました…。「どんな意味だったんだろう?」と今は考えるけど、あの時はまずは車を何とかして、動けるようにする事しか考えなかったから気にもしなかった…。私は買ったこの部品を持って車に戻り、ボンネットを開けて、電源コードを引き出してこの部品に交換してきつく締めてこれでOKのはず、とエンジンをスタートさせると…。ちゃんと無事動いてくれました…。ほんとよかった、よかった。雪がたくさん降る中でこの作業をしたんです。足元は溶けてびちゃびちゃだった…。途中で屋外気温の掲示を見たらマイナス1度でした…。  こうして、路上駐車の許可事務所に行って許可車の登録を新しいナンバーでし直してこれもOK…。でも、まだ問題があって、車の保険の登録ナンバーが前のままなんです。これを変えないといけないと言う事で、保険事務所でナンバーの変更手続きをして、今日の事務処理が終わりました。本当に大変な1日でした…。でも、ナンバープレートって、ここでは簡単に料金と面倒さをいとわなければ替える事は難しい事でありません。簡単だと思います…。だって1日で替える事が出来るんですからね! でも、まだ車検の方がまだ残っているから、どうなる事か…。




2000年2月14日 《寒さが身にしみる》

 日付を書いて、今日がバレンタインデーだと言う事を思い出した…。ここでは、日本のように、大騒ぎしてチョコレートを売る店も無いから、つい忘れてしまう…。それに、ここではこの日のプレゼントは、女の子がチョコをあげるだけとは限らないそうだから、所変わればである。

 バレンタインの事を書きたかったのではなく、この所続いていた、暖かな天気が、今日は違っていた…。昨日の夜から降り出した雨は、朝方に雪に変わったようで、朝外に出てみたら、小雪がぱらついていて、ほんの少しだけど、白くなっていた…。積もったとは言えないほど、少し、少しの雪だった…。

 朝の気温はマイナス1度。午後にはきっとプラス気温に変わるだろうと言う感じなんだけど、暖かな気温の続いた後では、ほんの少しの気温の低下でもすごく寒く感じた。そんな朝だった…。

 雲は今日も、すごい早さで西から東に流れて行っている。上空は風が強く吹いているようで、時々雲が切れてそこから、太陽が出たりしている…。




2000年2月13日 《留学生と森》

 今日は午後から、バリーツア、クラコフ国際空港に日本からの留学生を迎えに行くはずだったのですけど、行かなかったので、午後から時間が空いてしまった…。空いてしまった時間を有効に使えるといいのですけど、私はこの時間をただなんとなく過ごしてしまって、夜になってしまった…。飛行場に行かなかったといっても、私が行きたく無いから行かなかったと言う事では無くて、相手がインフルエンザでフライトをキャンセルしたようで、今日朝のメールの受信で、今日はいけないと言う内容のメールが届いていたのです。ですから、私は飛行場に行くのをやめたのだけど、そうして出来た時間は、書いたように無常に過ぎてしまった…。まあ、いつでも、そんなもんだと思うけどね。

 さて、今日、日曜日の午後の気温は5度…。この1週間からすると、少し寒く感じますけど、それでも暖かです! このぶんだと今年の冬の暖房費(ガス代)も安く済みそうです。ここのガスの清算(支払い…検針も)は2ヶ月に1回なのは、前にも書きましたけど、私のところでは今月が支払い月のはずで、そろそろ請求書が来るだろうと待っているのですけど、先週は来ませんでした…。ガスの請求方法もいろいろで、請求書(と払い込み用紙)が郵送で送られて来る事もあれば、検針の時に払い込み書を機械でその場でプリントしてくれる事もあるし、検針とは別の日にプリントされた払い込み書を担当者が運んでくる事もあるんです。4年ここに住んで、請求方法は月によって違っていて、どの方法が一般的なのかわかりませんけど、考えられる方法はすべて、常時ひととおり使っていると言うのが、ガスの検針請求のし方なのかも知れません…。まあ、それでも、郵便局か銀行で支払いをすると言うのはいつも、同じですけどね…。

 それに引き換え、電気はいつも同じです。検針は半年に1回で1枚の請求書の用紙で、半年分が払えるようになっているんです。どうして、こう出来るか(?)と言うと、まず、電気器具の量や家族の人数、家の広さなどによって、毎月の基本支払い額が決まります。この基本支払い額は、夏と冬で倍くらい違いまして、夏場で20zl(550円くらい)くらい、冬場で40zl(1100円くらい)くらいです。これに、検針で判明した差額がプラスかマイナスされるのですけど、私のところではプラスばかりで、一般的な基本量より使っていると言う事なんですけど、電気使用量は私自身の感覚ではそれほどでは無いし節約している方だと思うのですけど、そうはいかなくて、毎回調整で100zl(2500円くらい)プラスされています。これを、検針の次の月、すなわち新しく来た請求書(半年分の)はじめての支払い月に払うんです…。ですから私のところでは、半年毎にひどく高い電気料金を払っているんです。まあ、それでも、半年間も1枚の請求書で払うと言う事は、ずぼらの私にはどうしても、忘れてしまうので(何回も忘れたので…)、今では請求書が来たら、半年分全部まとめて1回で払う事にしています。確かに、その月の出費は大きく増えて、苦しくなるのですけど、忘れたあとの面倒と、いつまでに払うと言う事を覚えているのなら、私は全部1回で払った方が楽でいいので、そうしています。料金の払い忘れで、一番困るのは電話でした(前に書いたので探して見てください…)。

 昨日の午後、私は娘を連れてクラコフ郊外の森に遊びに行ったんです。場所的には飛行場の近くで高速道路の横の、広々とした草原と森があるところでした。ここに行くには162のバスで終点から歩くんです。地図で確認したら終点から歩いて高速道路を越えると、目的の草原です! ここの草原は広々していて、天気の良い日に散歩に出かけるのは最適の場所です、その草原からそのまま、先に見えるのがその森で、ここの森の中には野生の鹿が住んでいるようで、見る事は出来ませんでしたけど、糞はいたる所に落ちていました…。帰りには、ピホビッツエの森に寄ってみたのですけど、ここでは夕方と言う事もあって、野ウサギが跳ねている姿を見ることが出来ました。頭が灰色でお尻が白い一般的なのウサギでした。このウサギが夏になると、茶色のウサギになるのですから不思議です…。それにしても、人口74万人と言うこのクラコフ市の郊外と言っても、まだ市内で野生の鹿や野ウサギ、そして、ハリネズミにリスなどが生息していて、自然に恵まれた街って、やはり住みやすいと思うんです。日本では、山が険しいいからなのか、それとも、餌になる木が無いからなのか、人口ではクラコフよりはるかに少ない20万人くらいの街でも、ここほど野生動物を見かける機会は、私が住んでいた街ではありませんでした…。日本では緑地の保護をする時に、そのに生えている木の事も考えて充分に保護する必要があると思うんです。森の生態系からみて、私のような素人が見ても、日本(私が住んでいた関東と東海、大阪、香川の森と(大阪では緑自体が少なかった…。森があっても、なんか、すごく人工的に感じた…)クラコフの森では、樹木の種類が明らかに違う…。ここでは、針葉樹がすごく少ない(針葉樹の多い森もある事はあるけど)だいたい広葉樹の森…ぶなとか白樺の木が多い…白樺の木など、枯れてもそのまま立っているものも多く、きつつきがそんな木に穴を掘ってすを作っている姿を見ることも出来ます。広葉樹の森って生き物の生活ををたくさん支える力があるように私には思えるのですけど…。どうなんでしょうか?

 針葉樹の小さな森へ行って、気持が落ち着くと言う感じはしないけど、広葉樹の森だと、小さな森でも落ちつく感じがするのは、私だけだろうか? 、広葉樹と言って私が一番に思い出すのは、クラコフの旧市街を取り囲む緑地帯プランティのカシュタンの木です。このカシュタンの木は、夏の終わり秋の始まりの頃に食べられない栗の実を落すんです。もし、この栗が全部食べられる栗だったらと考えると…、食いしん坊の私は何でも、食べられるものばかり考えていけませんけど…、でも、そう思うでしょ!




2000年2月10日 《クラコフの休日》

 お休みの日に何しているかって。そうだなあ。時々は1日中家の中に居る事もあるし、時々は市場にガラクタを見に言ったりもするし、時々は畑に言ったりもする。また、時々は郊外のビスワ川の河原に遊びに行ったりもする…。これと言って決まっていると言う事は無いんだけど、土曜日と日曜日はスーパーマーケットには行かないと言う事は守られている…。

 この前の日曜日は、とても暖かだったから、クラコフ市を出たところのビスワ川の河原に遊びに行ってきた。場所で言うと、丘(崖)の上に古い修道院のあるティ二ェッツのビスワ川をはさんで向かい側の所で、ここにも小高い石灰岩の丘があるんです。ここに登ったり、河原を歩いたりして過ごしてきました。日本の河川敷のように整備はされていなくて、川岸は土だし、河原には結構大きな木が生えているような所なんです。昔はここに渡し舟があって対岸と結んでいたそうですけど、今では少し下流に大きな橋ができてこの渡し舟はありません。それでも、その名残で船着場の跡は両側に残っています。

 ここは川をはさんで対岸の丘(崖)の上に古い修道院があったり、石灰岩の崖があったり、遠くにはビェラーニの修道院まで見る事が出来て、大変気持のよい場所です。街中のようにごみごみした感じは無くて、空気もすがすがしく感じるくらいです! ここに行くためには、交通は少し不便(と降りる所がわかりづらい)ですが、対岸の修道院側ならまだクラコフ市内ですし、バスの終点で降りればいいのでわかりやすいです。バスなら、バベル城近くのグルンバルツキ橋の所でティ二ェッツ行きの(112?だったと思う)バスに乗り、終点で降ります。ここから少し歩いて昔の船着場まで来ると、もう修道院の下ですから、ここから上流に向かって散歩すると、石灰岩の崖の下を通りすぎてからは堤防の上をのんびり散歩する事が出来ます。後ろには崖の上に建てられた修道院を見ることができるというわけです。天気のいい日にこんな散歩をすると、街中に住んでいる事が嫌に感じるくらいですよ!!!

 さて、今日の天気ですけど、曇りで時々雨がぱらついています。気温的にはここ数日より低い感じですけど、雪ではありません。5度を少し下回るくらいです。天気予報でも、西の風で冷え込む事は無いという予報でしたが、本当にそうなっていて寒くはないです。また雨がぱらついてきたようで、雨音がして来ました。強い降り方ではなくてぱらぱらぱらと言う感じです。パソコンの近くでは、ファンの音で雨音が聞こえないくらい雨音は優しく聞こえます…。雨音は優しく聞こえるけど、パソコンのファンの音って、なんか攻撃的な音に私には感じます。自然の音って、川の音でも、風の音でも、雨の音でも、虫の音でも、いかくするようには聞こえないでしょう。すごく強い風の音とかで無いかぎり、自然の音って優しさがあると私は思うのです…。その反面、人工的な音、機械的な音と言うものは、なんか攻撃的というか、人をいかくするような音に聞こえませんか!? 優しさとは対照的に存在する音だと私は思います。

 匂いでもそうではないでしょうか。エンジンオイルとかガソリン、灯油などの匂いって、その匂いがあるところで安心はしないでしょう。でも、それが自然の森の匂いだったら、安心して落ちつく事が出来るのではないでしょうか? 牧草地の草原で寝転んでみたら、気持ちのよい感触と草の匂いが心地よいものだと感じられると思うんです。私は、人が生活できる環境と言うのは、近くに木や草が豊富にあって安心して落ちつける事の出来る環境がある事が大事だと思います。日本でだとそんな事わかっているけど、仕事があるところは都会だから、緑が無いのはしょうがない事と考えているように感じるのですけど、みんながそんな風に考えるから、ますます緑の無い街になっていくのでは無いでしょうか? いくら収入が多くても、疲れているといつも感じるような環境で仕事する事が必要なのでしょうか? それでも面白い仕事だからとか、やりたいプロジェクトなんだとかあるから、そう簡単には必要無いとは言えないんだろうね…。私のところに来るメールの中で、自分の今している仕事上のいろいろな問題を抱えた人が多くあります。お休みの日に気分転換できる環境があるといいと思うのですけど、そうはいかなくて、外に出たら出たで余計に疲れたなんて事になるんだと思います。私は、人には何かしら落ちつける(休める)事が必要なんだと思う。それを宗教に求める人もいるのだろうし、自然の中に求める人もあるのだろう…。人それぞれいろいろな方法があるのでしょうけど、自分に最適な何かしらの方法を見つける必要はあると思います。




2000年2月10日 《気持悪いくらい 暖か》

 木曜日の今日2月の10日は、少し天気は悪いですけど、それでも2月と思えないほど暖かです! 日中の気温は10度近くあって、春と言う感じです。この1週間はすごく暖かで、時々みぞれが降ったりしましたけど、それでも日中にマイナス気温で凍りついたような寒さと言う事はありませんでした。積もる事も無かったですからね…。今、私は部屋の暖房を切って、窓を少し開けていますけど、寒くは感じません。今は雲が厚く張りつめていて太陽は出ていませんが、ついさっきまでは太陽がさして、青空の見える気持のよい天気でした。上空は風が強いのか、雲は速く西から東に流れて行っています。この風向きは春から夏にかけての方向なんです。冬だとウクライナ上空の寒気から吹き出した冷たい風は、東から西の方向に吹くんです。この風が吹くと冬型で寒くなるんですけど、今は強い西からの風で、これでは暖かな春風という感じなのももっともな事ですね! 昨日9日の夜はここでも強い風が吹いて、大きな風の音がしていました。その風も、今日の朝にはやんでいて小雨がほんの少しぱらつく感じの天気になっていました。

 久しぶりの、クラコフの旧市街の事を書きましょう。この季節のクラコフは観光シーズンから外れている事もあって、どこに行っても夏ほどうるさい感じはしません。中央広場でもフロリアンスカ通りでも、観光地と言う感じは夏ほど強くは受けないです。まあそれでも、バルバカンやフロリアンスカ門も近くでは、旅行で来た人が写真を撮影している姿はいつでも見られる光景ですけどね。私は、この中心の辺りに住んでいるものですから、市場(スタレクレパシュ)に食料品を買いに行ったりすると、最短コースでどうしてもバルバカンとフロリアンスカ門の横を通る事になるんです。私は買い物した食料品の大きな袋を下げて、やっとの思いで運んでいる横で記念撮影している姿は対照的ですよね。この場所をこんな買い物袋を下げて通行していると、私自身なんか場違いな感じ受けますもん…。まあ、それでも、通るんですけどね。

 中央広場には夏になると、たくさんのオープンカフェが出来ますが、この冬の季節には、みんな無くなるんです。ですから、今は広々した広場があるのみです。少し暖かな日にこんな、中央広場に散歩に出ると、本当に気持が良いものです。これで、ストーブに石炭を燃やすのをやめてくれて、空気が綺麗になると、もっと良いと思っていますよ。今でも、クラコフの旧市街付近では、石炭が一番安い暖房燃料である事は間違い無いようで、古い建物では大体石炭で暖房しているんです。上のアパート部分では、中にお湯を流したラジエータ(カロリッフェル)でも、地下では石炭でボイラーを燃やしている事が珍しくありません。まして、普通の古いアパートでは、そのまま石炭を燃やすストーブが現役でまだまだがんばっておりまして、そこから出る煙が街の空気を汚しているんです。ドイツや北欧の国などでは石炭からの二酸化炭素の問題などから、使用を制限したり環境税を導入したりしているところがあると聞きますけど、ここポーランドでは、石炭は今の所産業(シロンスク地方の鉱山産業)としても、燃料としても重要な位置を残念ですけど今でもしめており、規制が無いようです。今でも石炭を使用しているアパートに住む人は、普通、年齢の高い人が多く、収入的な問題から他の燃料に簡単には変えられないと言う事もあるとは思うのです。若い人が住む場合などは、石炭ストーブ(結構大型が一般的のようで、普通サイズでも横80センチ奥行き80センチ高さ2メートルくらい。内部の燃焼室は耐火レンガで出来ていて、そのまわりを飾りタイルで囲んである。この大きな建物(ストーブ)自体が、ほのかに暖かくなって部屋全体を暖めるんです)を壊して、ガスや電気の暖房器具に変えたりはしているようですけど、それでも、まだまだ中央の古い建物では石炭が暖房用燃料の主流である事に変わりはありません。暖房のついでに、断熱の話を書いておきます。この前なんだったか古雑誌で読んだんですけど、日本では壁の中に断熱材を入れる建物の中断熱が一般的で、欧州などでは外断熱(壁の外側に断熱材を貼りつける)が一般的だと言う事でした。中断熱だと、壁と断熱材の間に結露して、そこでカビが生えて健康に悪いとの事でしたけど、私の住む古い築120年ほどのアパートでは、もちろん外側に断熱材は無く、外壁と内壁の間に、断熱材を入れているんです。だから、悪いと言う中断熱なんですけど、壁の工事の時私が見たところでは、中の断熱材にカビが生えると言う事は、無かったです。私の見たところ、よく乾燥していると言う感じでした。日本の外壁はコンクリートでそのままと言う事が多いのではないかと私は思うのですけど、私のところの古い建物では、レンガで出来ているので、湿気を吸収してカビが繁殖するのを防いでいるのではないかと推測しましたが、専門家の方に言わせると、別の正しい答えがあるかもしれないですけど…。まあ、今建てられている建物を見ると、間違いなく外側に発泡スチロールを貼りつけた断熱か、真中に発泡スチロールをいれた断熱です。これだと結露しなくて、快適に暮らせるようです、付け加えておくと、冬場でも室内で石油ストーブを燃やさない。こちらの暖房では、室内の乾燥は強く、窓に付く結露も少ないです。まして窓も2重窓や3重窓ですから、窓自体も日本の普通の窓とは構造が違うと思いますけどね…。

 暖房設備の事から言うと、日本で私が使っていたガスや石油のストーブより、ここで私が使っている、ガスでお湯を沸かして、その暖かいお湯を循環させて各部屋を暖める、ここの暖房設備の方が、すごく使いやすいし便利です! 石油のように臭い匂いは無いし、部屋を暖めている器具を触っても、やけどの心配だってありません。そのお湯を沸かしている機械でも、外側が熱くなる事なんか無くて、ほんの少し暖かくなるくらいで、ほんとに便利です。ただ、電気のポンプで沸かしたお湯を循環させているので、ガスのほかに電気もないと、使えないという事はありますけどね…。ですから、停電していると、暖房も止まると言う事です…。

 暖房といったら、私のところには「まき」用のストーブもあるんですよ! 2000年対策として、昨年1999年の12月に購入したのですけど、山ほどのまきとともにおかれています。燃やしたいまきはいっぱいあるのですけど、なんせ暖かなものですから、まきストーブを燃やすほどではないんですよ。寒くなってくれないと、次の冬まで山ほどのまきが積まれているなんて…。これを見るだけで、「2000年問題って何だったんだろう?」と考えます。19世紀終わりに世界が終わると騒いだことと変わらない出来事が、このコンピュータ2000年問題だったのではないでしょうか? この騒ぎで私の所に残った山ほどの缶詰は半分以上食べましたし、小麦粉と米も何とか少しずつ消化して行っています。責任ですから、私は毎日1個は缶詰を食べるようにしているんですけど、最近では不味い缶詰ばかりが残っていて、どれから食べるか、どれも不味いしと言う感じです。美味しいのは少なくて、不味いのはたくさん買ってあるこの現実は、あまりにも悲しすぎると思いませんか!

 2000年問題を真剣にとらえたホームページがいろいろありましたけど、私は見ていませんけど、今はどうなっているのでしょうか? まして、安全な土地に移住をした人とか、私のようにたくさんの備蓄をした人は、どうしているのだろう? まあそれでも、2000年問題のページが今は、どうやったら2000年問題で備蓄したいろいろな物資を無駄なく消費出来るかと言うホームページに変わっているのなら、効率的でいいのですけどね。この2000年問題で一番得をしたのは、非常用品(食品や資材)のメーカーくらいではないでしょうか…。でも、1度買ったら、何個も欲しいものではないですからね…。この反動がどうでるか…。私の所で一番の大荷物は、まきのストーブです。暖房としてどうしても必要と言う事なしに買った物ですから、遊びとしてのストーブで、1度使うと掃除も大変ときている…。使わないと場所取りだし、使うと掃除が面倒…。昔ながらのストーブは、便利には出来ていませんよ。ただ、このまきのストーブは、電気が無くてもガスが止まっても使えると言うのだけは、ポイントですけど。でもね、この先電気もガスも長い期間止まる事なんて、地震の無いここでは考えられないのですけどね…。




2000年2月8日 《暖か》

 この前の日曜日は、日中の気温が10度をこえて暖かだったんですけど、その後も昨日の月曜日も今日の火曜日も暖かで、10度を少し下回る気温でした。まだ2月はじめなのに、3月終わりの春の初めの気候ですごしやすいんですけど、でも2月のはじめにこの気温てなんか変ですよね。




2000年2月6日 《またまた、宗教です…統一教会》

 私が宗教の事を書くといろいろな人からメールを頂けるんで、楽しみで書いたという事もあったのも、前回の分では少しは事実なんですけど、今日は新興宗教の勧誘が問題となって、今日全国区のテレビニュースに出たクラコフの話を書きます。日本ではおなじみの統一教会ですけど、ここクラコフでも勧誘をすすめているそうで、クラコフの大学内で勧誘をしているそうです。テレビでは韓国の新興宗教と伝えていましたけど、同じアジア人で同じに見えるから、とても嫌な感じです…。結婚するなら、ソウルまでの航空券をただでくれるんだそうです。高額のお金を払うなんて言う日本人とは違いますね。ここではまだ、つぼを売ったりとかと言う事はまだ行われていないようですが、今後どうなるでしょうか?

 この件について私が意見として聞いたところでは、ここで行われている統一教会の活動は、今の所まあいいんじゃないのと言う感じで受け止められているようで、エホバに比べたらまだいいよなんて言う話でした。私が日本ではつぼを売りつけるとか言う事で、社会問題になっているんだよと言っても、お金があるから買えるんだし、何かを買ったからってエホバの輸血拒否のように命にかかわる事ではないから、いいんじゃないのなんて感じでした。まあ、まだ勧誘活動が行われている場所が限られているからこんな感じなのかも知れません…。何年か後にどうなっているか…?

 でも、それにしても社会問題を起こすような宗教家と言うのは、信者もそのようだけど、大体布教活動、勧誘に熱心だと思いませんか。熱心だから社会問題になると言う事もあると思うけど…。どうして、我が道をいくのごとく、ひとりで修業出来ないんだろう…。人を誘うと徳が上がるなんて、考えるのだろうか? 宗教団体には収入が増えるからいいだろうけど、一般会員には得なんてないと思うけど…。ウソも100回言えば本当になるなんて言うけど、宗教もそれと同じではないだろうか? オウムだって、2000年前に出来ていたら、今のカトリック教会のような組織になっていたのかもしれない?! キリスト教だって、数々の戦いをして、たくさんの人を殺して来た歴史があるんだからね。今、世界平和なんて言ったって、どこかおかしいと思う。自分たちに強固な支持基盤など(信者や教会など)が出来たからだと思うけど、今度は昔みたいに戦いはしません、なんて言ったって、戦った歴史があるんだから、なんかおかしいと思う…。所詮殺し屋集団のなれの果てではないだろうか…。




2000年2月1日 《街》

 街をどれだけ歩いても、何かしらの発見がある…。そんな街だと思う。私の生まれ育った文化ではないこの街だから、そんなふうに感じるのかもしれないけど、私はいろいろな所で私の文化との違いを感じる…。ここでは確かに経済的、収入的には現在は日本より格段に低いけど、でも生活の豊かさと言うか奥深さ(と言うか遊び心かな…)から言うと、日本の文化で育った私の感覚からすると格段に上ではないかと思う。部屋の装飾とかをとっても、遊び心のある面白い装飾をよく見かける。それは、自分で作ったものだったりお店で買ったものであったりするけど、でもその使い方がとても上手だと思う。街のお店のウインドーを見ていても、綺麗な面白い装飾がたくさんある。建築資材である水道管の保温材を使ったエッフェル塔とかは感心したし、その他にもすきまを埋めるために使う泡のボンド(ここではピアンカというけど)それを使って作った大きなフルーツパフェも力作だった…。この他にも、見ていて感心する装飾はたくさんある。私にとってとても面白い街です。

 前に少し書いたと思うけど、私の髪の毛は一般的に見て長い方だと思う…。ここ最近で私と会って「髪の毛長いね!」と言われても「髪の毛短いね!」と言われたことは無いから…。まあ、そんな長さだから、街を歩いていても「長い髪の毛!」と言われる事が何回もあるし、買い物で並んでいたりすると、後ろの人から「シャンプーは何?」なんて聞かれたりする…。まあストレートに見えるらしく(本人は少しウエーブがあると思うんだけど…)、大体ストレートだと言われる…。で、ここの人より太いから、すごく良く見えるのだそうだ…。

 私の髪の毛が長いのは、明らかに学校で短くしろ短くしろと言われた反動だと自分では思っている。まして、はさみの髪の毛を切る音が嫌いと来ているから、出来るならそのまま伸ばす事になる…。どの位の長さまで我慢出来るかと言う事になるんだけど、ここの夏は日本の夏(関東以南)に比べると湿度が低くて過ごしやすいから、夏さえ越せれば秋冬春は何の問題も無くすごせるんです。長いとシャンプーとか大変でしょと聞かれるけど、慣れると面倒でもない。急に長くなったのではないから、全然問題無く慣れた。シャンプー代かかるから短い方がいいなんて言われるけど、でも考えて見るとそうでもない。長いと良く乾かさずに少し湿ったまま眠っても(私は水がぽたぽたしていてもそのまま寝てしまう事もあるけど…)、長い髪の毛にねぐせはつかない。すごく便利! 朝にねぐせ直す手間を考えると、私は長いほうが便利だと思う。あと、「シャンプーして乾かすのたいへんでしょ!」と言われるけど、ここでは空気が乾燥しているから、それほど気にならず乾く…。私はドライヤーも嫌いな人だから、ドライヤー無しで乾かすんだけど、パソコンでメールの返信とか、この日記を書いていたりすると、結構大体乾く…。まあそれでも、タオルで良く拭かずに書き始めると、後ろにぽたぽた垂れる事もあるけどね…。短いと少し髪の毛が伸びたら切るようでしょ。1ヶ月か2ヶ月に1回はね。でも、長いと1月や2月では 見た目変わらないから、その点カットにお金はかからないから、私が総合的に判断すると長いほうが安上がりだという結論に達した…。髪の毛が長いのを弁護するようだけど、本当にそう思いませんか?!

 ここまで書いていると、髪の毛を切る音も嫌い、ドライヤーも嫌いで、私は本当にわがままだと思う…。まあ、我慢したらなんとか出来る事なんだけど、だけど嫌いは嫌いなんだ…。去年の半ばからお肉も嫌いになっているんで、私は自分からお肉を食べ様と思うことは無い。でもいろいろな所に行ってどうしてもお肉出されるでしょ。そうすると食べる事にしている。まあ、どうしても食べられないと言うものでもないし、「私は絶対にどうしてもお肉を食べません!」と言ってるものでもない。だって、相手が好意で作ってくれたお料理を食べないなんて、いくらなんでも最低でしょ。その時無理して食べてるかって? そんな時は、特別に考えないです。自分で買い物に行くと、家族の分はお肉を買うし、美味しそうなお肉だと思うこともある。でも、それはこのお肉は料理したら美味しいだろうと言うだけで、自分で食べ様とは思わなくなったのだから、自分でも不思議に思う。もう半年以上もこんな状態だけど、お肉の無い生活になんの問題も不満も無い…。でも、それまでは私にお肉の無い生活なんて考えられなかった…。毎日お肉料理を食べていたんだから…。急にお肉を拒否するようになったら、そう簡単には戻らないものののかな? どうなんだろう…。

 他に嫌いなものがあるかって? まあいっぱいある。干し人間(去年日記に書いた)もそうだけど、私は宗教的なものってみんなダメだな。おととしウイーンに言った時、オリエンタルショップでこまいぬのような石像と東南アジア辺りから来たように見える仏頭が売られていた。私は気持悪いと思ってしまった。これ、私の素直な感想なんだけど、なんかその仏頭は場違いの感じが強くしたし、わからなけど現地ではきっと現在は宗教的な物では無くても昔は宗教的使われたものを装飾とする事を、私は受け入れられなかった。でも、私が感じた気持悪さはそんな事ではないとも思う。だって、人がたくさんお参りに行くお寺や神社の石像とか木像って、どんなに怖い顔をしていても何かしらの明るさが感じられると思う。でもそれがちょっと違っていたんじゃないかと思うんだ…。私は、この干し人間の事はどこかでまた書こうと決めていました。どうしてか? それは、この干し人間に関してだけは、たくさんの方からいろいろなご意見を頂いたからです。今の私の考えから言うと 干し人間が部屋にある と言うのは 日本の家に一般的に仏壇があることと そう変わらないものだと私は思いまず、子供の頃、いくら自分の先祖が祭られているからと言っても、仏壇って怖いと思いませんでしたか? 私は威圧的で権威的で大きな仏壇が怖かった…。嫌いだったのではなくて、ただ単になんか怖かった。何が怖かったのかわからない。もしかしたら覚えていないだけかも知れないけど。でもきっと私の子供の頃に帰って、「どうして仏壇が怖いの?」と聞いても答えられないと思う。私は祖母に、私をとてもかわいがってくれた祖父がこの仏壇にいるのだから怖い事は無いと言われたけど、でも小学生(4年生くらいだと思う)だった私には、その仏壇に祖父が居るとは思えなかった…。犬小屋に犬が居る。これは子供でもすごく簡単に認識できる。でも仏壇に…祖父が居るとは私にはどおしても理解できなかった。それよりも、私はなんか威圧的で権威的な仏壇内が怖かった…。本当なら、子供の頃からあった神棚とか仏像とか仏壇とか、そんな日本で身近にある宗教用品を私の文化の一部としているはずなんだけど、今の私にはその部分が綺麗に全部抜けている感じがする。もっと小さな頃、私が幼稚園に行く前には神棚しかなかった。今でも神棚は仏壇より身近に感じるし、人に宗教を聞かれると神道と答えている。でも、今私の所に神棚は無いし、この宗教関係の物は一切無い。まして、私は神社の正しいお参りの仕方も作法も知らない。「これで良いのかな?」とは思うけど、今の所そのままになっている…。こんな事を書くはずではなくて、本当に小さい頃神棚をどう思ったかと言う事なんだけど、夜、神棚のある部屋で眠った事を覚えているけど、同じようになんか怖さを感じた記憶がある…。宗教用品、神棚も仏壇も、そんな怖さと言うかなんというか神秘さを持っているから、祭られるのではないだろうか。人は怖いから悪い事が無いように祈るんだよ! 私は人を不幸にするほどの宗教は嫌い。大嫌い。当事者(熱心に活動する信者)が幸せを求めて祈ったり活動したりするのだろうけど、でもそのまわりに家族とか友人を悲しませても宗教かい? 宗教って人を幸せにすると言うか、よりどころにするというと。こんな言葉を使うとつかみにくいけど、そんな心の中で作用するものだと思うんです。それが現実に家族を悲しませるような宗教はおかしいよ。仏像とか神棚だって同じだと思う。本当に心のよりどころなら、なにも監視人(私はちゃんと祈っていますよ。見てください!!!)というように仏像を置いたりする。必要は無いと思う。神棚も同じ。心の中で祈る気持があれば、それで良いのではないかな! 干し人間でもそう。心の中で干し人間が吊るされていても良いじゃない(こんな書き方をするとまたご意見を頂くかもしてないけど…)! わざわざ部屋に、「私は熱心にですよ」と見せびらかす必要は無いと思う! 本当は熱心ではないから、と言うか、心に迷いがあるから、そんな干し人間の監視がないと暮らせないと言う事なのではないかな…。部屋に仏像を座らせておくもの同じだろう…。まあ、そうは言っても、ある程度の信仰はマイナスは無いと思う。私も何もかも宗教を否定しているものではない。ましてキリスト教は現在の文化の大きな部分に影響を与えたと思う。建物は教会の建築技法の発達でいろいろな工法が生まれたし、絵画だって宗教絵から発達した…。数え上げたらきりが無い。それが現実。現実に現在否定のしようが無いと私は思う。否定するとか肯定するとかという問題でも無いとは思う。だって、その積みかさねが今のこの文化とか構造を作り出したのだと思うから…。でも、私は毎週教会のミサに通うって、私の感覚からするとどうしても理解できない…。金曜日にお肉を食べないなんて言う事もそうだけど、続けてる人はすごく多い。守らない人の方がはるかに少ないと思う…。

 学校でのキリスト教の宗教授業だけど、これを義務化しようと言う話があるそうだ。今は一応義務では無いけど、それでも私の娘の小学校のクラスでは全員が受けているそうだ。この宗教授業は、小学校近くの教会から神父が来て授業をしているそうで、週に1回1コマ分の枠で現在はとりおこなわれているそうだ…。この宗教授業に反対する事は簡単だけど(私は学校で特定の一つの宗教を教える必要無いと思っている)、だけどどうだろうか、これが軍事教練だったら…。私がはじめてポーランドに来た頃、この軍事教練の授業は確かにあった…。国防をとるか宗教を取るか、どちらも私にはいらないけど、国防は放棄して良いものではないのだろうと思うし、宗教で民衆をあおり立てて今の「民主的な」と言われるポーランドになったわかだから、今の所大きく批判されるような悪いことを最近ここの干し人間さんの宗教団体がしているものでもないと思う。でも、民衆をコントロールするような宗教嫌い…。まあそれでも教会がバックアップしたとされるワレサ元大統領の再選選挙の時、民衆はコントロールされなかった。ぎりぎりの所で踏みとどまったと見て良いのか、それともただ単に経済的な政策の問題でNOと言われただけなのか…。軍事、そして宗教が大きく絡んだ国での暮らしっていろいろな所で問題に当たる。ここでは、軍事的には今の所何の問題も無いけど、もし息子が居てポーランド国籍を選択すると兵役がある。行きたくなくても強制される。私は「兵役が必要か?」と聞かれれば「必要無い!」と答えるけど、でもどうだろうか? 日本のサラリーマン自衛隊でいいのだろうか? 本当のところどちらが良いのかわからなけど、金銭的な問題で強い軍を作るのと(今の自衛隊ではないと思う)兵役で集めて訓練して、その後は有事の際に徴兵できるようにしておくと言う事と…。兵士の意識の問題が一番大事だと思うけど、今私が兵士として徴兵されて、「日本を守るために戦え!」と命令されて戦えるだろうか? 体力とかそんな問題ではなくて、心理的なものから言って、私には明らかに無理だ! だって、今の私に日本に守るべき物がないもの! だったら今ポーランドを守れるか? これもNO…。ポーランドと言う国自体に愛着は無いと思うから…。私はクラコフの街が好きだし、家族もいるから今の生活を維持したいと思う。でも、主権国家としてのポーランドに愛着は残念ながら感じられない…。私は、家族のためならきっと戦える。後悔しない。でも、国は守れないと思う…。まして、それが宗教的なものだったり遠く離れた地域紛争だったりしたらなおさら。私の素直な個人的意見として書くんだけど、地域紛争をやめさせるためにお金や犠牲を払って介入する必要があるのだろうか? 私は疑問に思っている。私は難民になった人には充分な援助が必要だと思う。でも、その当事者の戦闘にまで関与する必要があるとは思えない。その地域紛争地域を隔離して、物資や兵士の移動を制限する必要は認めるけど、でもハイテクノロジーのミサイルでの爆撃にお金を使うなら、難民や隔離に使うべきではないだろうか? 隔離といっても、ただ分け隔てると言う事ではなく、難民や戦闘に反対する人は自由に出る事が出来るようにしたりして、その人達の生活を保護する必要はとても大事だと思う…。でも、戦闘当事者は勝ち負けがはっきりするまで戦わせる必要があるのでは無いだろうか。中途半端で終わっても、どちらにも決まりが悪いのではないだろうか? こんな事を書くと、またご意見をもらうと思ってはいるけど、でもね、遠く異国の地で危険な目にあう兵役の若者を思うと、もし行きたく無い兵役でそんな危険な思いをしているなら、それは避けさせてあげたいと思いませんか? 非国民といわれても、国賊と言われても、嫌なものは嫌だと言う事私は必要だと思うし、懲役のように一定期間若者を拘束する徴兵制は、参加した人だけが行ける制度に変える必要はあると思う! 軍隊に強制参加させる必要は無いと思う! 今日は宗教的、思想的な事を書いたんだけど、私が批判した事でも確かに必要悪と言う事はあると思う。何でもバランスの上に成り立っているものだしね。

 ちょっと私は思うんだけど、昔のワルと言われた人は、まあヤクザになったんだと思う。でも今だとヤクザ屋さんて衰退産業ではないだろうか。おおやけに宣伝と言うか公表も出来ないようだしね。だから、今のワルはどこに行くんだろう??? まして、最近の(ここ数年の)日本の事件を見ていると、ヤクザ屋さんの発砲事件とか抗争事件て少ないと思う。まず見かけない。まさか新聞で報道規制しているとか、人気が無いから書いていないと言う事でもないだろう。だけど、なんか理解不可能な事件は多い。無差別に刺し殺したり、子供が子供を殺したりすることとか…今の日本には 危機感と言うか 緊迫感が欠如しているからと言う事が 大きいと思う 島の外を見ているようで見ていないと言う事ではないだろうか? まあ、これだと言う答えなんて専門家がどれだけたくさん議論したって絶対に確かな事なんて出ては来ないのだけど、でも精神的なものは先天性のものと言うのか、遺伝とか起こるべきして起こると言うものでない限り、なにか興味というか、自分自身の身を守ると言うか、生きるために何かしないとと言う緊迫憾のある暮らしだと減ると思うんだ。居心地のいい環境では悪化させても解決はしないと私は思う。不景気と言われてもまだまだ日本は豊かでのんびりした国だと思う。ここクラコフのプランティや団地を散歩していると、アルミの空き缶を探すたくさんの浮浪者もどきを見かける…。この浮浪者もどきは、ひどく汚い格好でもなく、少し汚く見えるくらいで、まあ普通の建設業従事者の汚さと変わらないか、それより綺麗なくらいだ。だから、収入は無いかすごく少ないが、なんとか住む所はあると言う感じで暮らしているのだろう。さすがに冬はプランティでは見かけないが、団地のごみ置き場ではたくさん見ることが出来る。どんな物を探しているのかわからないが、鉄くずや銅製品なども探しているようで、古くなって交換した。湯沸し器や鉄パイプ、果ては道路の標識まで運んでいるのを見た事がある。いくら日本で浮浪者が増えたと言っても、ここまでではないだろう。本当に郊外の団地に行けば見かける事が出来る! ここでは一般人と浮浪者の境があいまいな感じがする。ちょうど中間の層があるからだ。日本では浮浪者と言う定義が簡単だと思う。家が無い−−ここから始まると思う。でもここでは、浮浪者と同じような暮らしをしているが、それでも住むところはあると言う層があるようだ…。簡単には追い出せない借家制度のせいだと思う。そんなだから、浮浪者もどきが普通に団地で見られる。そんな事から、日本よりここは生活に緊迫感があるのだと思う。だからかどうかわからないが、変な精神病患者が起こしたような事件はここではそれほど多くは聞かない…。

      




2000年2月1日 《そして2月1日になった》



 時間的には2月1日。でも、感覚的にはまだ1月31日。そう、今は1月31日の夜にの24時すぎと言う事…。31日にここから90キロメートルくらい離れた街ホジュフの地図を探したのですけど、見つからなかった…。明日は(まあ正確には今日なんだけど…)と書くからいけないんで、これから寝て起きたら違う本屋さんでこの地図を探すつもりです。どうしてこの街の地図が必要か? ちょっと行って見たくなってね! 地図が見つかっても見つからなくても、今週末には行って見るつもりなんです…。観光的な街では無いから、行ったからと言って何があると言うものでもありません。だから、帰ってもこれと言って書くことがあるとも思えないです!

わんちょ・クラクフ在住





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