それは、10月の2回目の日曜日だったろうか、R子さんの「どうしましょう−−!!」という悲鳴に近い声から始まった(と、私には思えた)。
彼女には、うちの2人の娘達のピアノを指導していただいている。その関係で毎週お目にかかるわけであるが、色々と情報交換できるのでとてもありがたい。ピアノの方は、ちっとも練習しない出来の悪い生徒達でなんともはや、彼女には申し訳ない。私事で済みませんが、この場をお借りしてお詫びします。
さて、それは12月7日のお料理講習会の講師をお願いしていたポーランド人女性の都合がつかなくなった、というものだった。開催日を少々ずらそうにも、忙しい方でしばらく日本にいないらしいというのだからどうしようもない。しかし、その時点で私はいっこうにあわてていなかった。まさか自分にもお鉢がまわってくるとは思ってもみなかったから。こういう時は、関西センターのお家芸、<困ったときのM.D.さん頼み>で片付くものだと信じて疑わなかった。
ところが、です。これまた、超人的に忙しいM.D.さんはその日関西にいないという。それからR子さんと、講師をお願いできそうなポーランド人女性を片っ端から当たった。しかし皆さんお忙しく、あるいは内気に奥床しく、色よいお返事はいただけない。女性である必要はないのだが、「ポーランド版男の手料理の達人」には3月の京都での講習会を既にお願いしてしまっている。予定の日はどんどん近づき、ご案内も出さなくてはならない。
ここまできてようやく、これはひょっとして自分達がするしかないのかな? ということに気付く。まだ、遅くはない。「やるっきゃない」のである。とはいえ、ポーランドに居たわずか10カ月間、知人の家庭料理に舌鼓を打ち、レストランで大満足する事はあっても自分でポーランドの料理をと意識して作った事など皆無である。まさかこんな事になるとは思わないから、作り方を聞く、という事もしなかった。大体、少々のことでは歯の立たないポーランド語である。主人を介してしかまともな会話の成り立たない私にとって、作り方を教えてもらうという発想はなかった。ポーランド語を教えてもらっていた日本語学科の大学生の彼女とは、授業料は私がもらう方が正解かな?という感じだったし(元々上手な彼女の日本語にはさらに磨きがかかった)、しかも彼女はベジタリアンだった。なまじ主人がしゃべれるので、私達に会うポーランド人は皆「立て板に水」状態で話しかける。彼らがいかに無口でないかは、皆さんご存知でしょう。私はといえば、理解する間もあるはずがなく、会話の中に時々わかる単語が出てくるのに喜ぶ程度のコミュニケーション参加であった。その単語もいちいち「変化」する。彼らに言わせると日本語も変化ばっかりなのだそうだが。何はともあれ、ポーランド語のシャワーは浴びた。音を拾うのだけは得意になった。でも意味不明。
話を戻そう。そういう訳で、舌は肥えたがレシピのストックの肥えなかった私の唯一の宝は、ワルシャワ滞在時のわが家の大家さんの書いて下さったケーキのレシピ。家族一人一人へのクリスマスプレゼントに添えて持って来てくれたお手製の4本ものパウンドケーキのレシピ。今思い出してもよだれが出そう(失礼)に美味しかった。こればっかりはあまりの感激で、是非にとお願いして書いてもらった。しかし直筆である。判読には少々時間がかかりそうである。草書のお習字とまでは言わないが(その内ちゃんと訳しておきます)。結局、あちらで仕入れたお料理雑誌と本から、私でも出来そうな物をピックアップして急場をしのぐこととした。R子さんと、大抵断らない気のいいHさんと、これまた<困ったときのTさん頼み>のTさんの愛妻Mさんと、そのMさんの大事な蔵書と、またまたここぞという時の頼りどころNさんご夫妻と、私と。日本人による、日本でも作れる、日本風アレンジもありうる、ポーランド料理講習会開催への運びと相成った。はたして可能なものなのか、メニューを決め案内を発送してからも各々自分の家族を実験台に試行錯誤を繰り返した。本に出ている材料とは質が違う。例えば小麦粉。日本で普通に小麦粉として使う薄力粉は、あちらではわざわざケーキ用と銘打って売られている。あちらの普通の小麦粉は、中力粉という感じである.ジャガイモの粉も使うのだが、何の為なのか? 日本でジャガイモの粉と言えば片栗粉のことだが、用途からすればここではコーンスターチを使用するべきである。コーンスターチとポーランドのジャガイモの粉の性質は同じなのだろうか? 砂糖の甘さも違うようだ。カップ1というのも200ccのことではない。本のレシピの通りに作ると私の担当したケーキはボロボロと崩れるような状態になってしまった。甘さも物足りない。日本語のケーキの本も数冊引っ張り出して参考にし、割合を計算し、バター・粉・砂糖の分量ともに変えてしまった。さらにあれやこれやと試作する。凝ったものを選んでしまったからでもあるのだが、講習会当日会場で皆さんと作ったケーキは、私にとっては実は7個目のケーキだったのである。長女はしばらくケーキは見たくないと言った。料理の方もご同様、一部はそのへんのスーパ一でも手に入る材料に替え、3度目の正直で当日に臨んだ。かくして、にわか講師は何とか当日を乗り切ったのである。他の皆さんも私ほどひどくはないだろうが、似たような感じだとうかがった。お仕事と大事な来客との合間に山のようにビゴスを作って下さったNさんといい、努力の未の達成感は結果に関わらず心地よい。また、レシピこそ書かなかったがあらゆる情報収集の達人、輸入物品を捜し出してくる達人Oさんの存在は大きい。彼女のおかげで、講習会はすごくポーランドっぽかったに違いない。
そして私達はR子さんの発案で、近くのメンバーだけですが、年末には集まって反省会までしたのです。まじめ過ぎるという誤解のないように弁解しておくが、もちろんVODKA・料理付きで。手順のこと・メニューの組み合わせのこと・今後につなげていくこと・・・等々話し合った。メニューを考えて試行錯誤していた頃、私は某大手新聞でマレーシア料理講習会の記事を見た。参加費3000円、定員30名、会場・三宮・・・云々。ひょっとして関西センターでも出来ないかなと考えた。自分達が楽しむだけでなく、ポーランドの素晴らしさを知らない人々にもお料理を通してポーランドに関心を持ってもらえるのでは、と。いつの日か、出来ることを夢見たい。もちろんその時は私達はアシスタントに徹し、講師の方はエレガントなPolka(Polakでも可。この場合何と形容すれば喜んでもらえるのか)にお願いします、ぜひ。
最後になりますが、講習会のこの日男性陣が大活躍したことは、是非とも記録しておきたいと思います。毎回男性も必ず何人か参加するのだが、この日の彼らはすごかった。レモンを絞り、卵を泡立て、ピエロギの皮だって牛肉のロールだって何だって作っちやう。Oさんの指導の下、テーブルセッティングをしフラワーアレンジメントをしてくれたのだって、男性陣なのであった。そして、デザートをパクつきながらなかなかお尻のあがらない女性達を率先して後片づけをしてくれたのも彼達だった。これぞポーランド風なのだろうか? 日本の男も進化した? 何でも出来る貴男達って、とても素敵です!
(ふじい ともこ 『WISLA 関西版』第18号、1998年3月14日号より)

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