歴史教育とポーランド


佐々木聡




 私は今年で15年目を迎えた京都府立高校の教員です。私とポーランドとの関係はあまり深いものではありません。私にはポーランドを訪れた経験がなく、またポーランド語も話せません。「何で日ポ協会に入ってるの?」とよく尋ねられますが、私とポーランドとの関係は実にひょんなきっかけから生まれました。

 大学時代、歴史を専攻していた私は卒論のテーマを何にしようかと悩んでいました。ゼミの教授に尋ねられたとき、私は「チェコスロヴァキアの現代史でいいですか」と咄嗟に答えました。その時、私の胸には“活字の記憶”がありました。ひとつは1968年のプラハの春が弾圧されたことを伝える新聞の大きな活字、いまひとつは高校の世界史の教科書の最後のほうに習わずにおかれていた小さな活字(ポズナニ事件、ブダペスト動乱など)でした。教授は「チェコスロヴァキアの研究者はほとんどいないが、ポーランドの研究者なら心当たりもあるのだが…」。当然、私はポーランドの現代史をテーマとすることにしました。私とポーランドとの関係はこれだけのものなのです。

 その後、京都府の教員となった私は、1987年に世界史のテーマ学習として「ポーランド史入門」と称する授業を行ないました。テーマ学習を実施したのは、同僚の教員と「教科書を履修は終わってしまったけど、これから何しようか?」と話し合っているうちに、それぞれが2時間連続で得意ネタをやろうということになったからです。私は、『世界の歴史教科書』シリーズ(帝国書院刊)をもとに、ポーランド分割と独ソ不可侵条約を西ドイツおよびソ連(ともに当時)の教科書がどのように記述しているのかを比較することを授業の主眼としました。これに、ポーランド紹介の導入部と当時のポーランド情勢を説明した終結部をつけて、なんとか「ポーランド史入門」に仕立てあげることができました。授業があれば当然テストがあります。その結果を見て、私は大いに自己満足にひたることができました。

 実は、このテーマ学習が勉強になったのは私自身です。その後、「西ドイツ=ポーランド教科書勧告と西ドイツの歴史教育(上・中・下)」という論文が『教育』という雑誌に掲載されているのを知りました。当時、日本では文部省検定のたびにマスコミが教科書問題が取り上げていた時期でした。その時期、西ドイツ(当時)とポーランドとは教科書の記述内容についての激烈な論議を行なっていたのです。教科書の記述内容が子どもに与える影響力をいくぶん理解していた私は、この論議に大きな意義と希望を感じました(この教科書勧告については、昨年、NHK教育テレビで放映されました)。識者が論じるように、この勧告には、1985年の西ドイツ(当時)大統領ヴァイツゼッカーの敗戦40周年演説、さらには1981年の法王ヨハネ=パウロ2世の広島平和アピールの影響が反映しています。前者の「過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります」ということばは有名ですが、これは「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」という後者の一節を敷衍したものだと私は思います。また、このアピールを発したヨハネ=パウロ2世は、その念頭に原爆による惨禍とオシフェンチムなどの強制収容所の悲劇とを重ね合わせていたのではないかと思います。

 前述の論文はその冒頭で「西ドイツ=ポーランド関係は、日本=朝鮮関係に似たところがある。ポーランドと朝鮮は、文化的に密接な関係にあるそれぞれの隣国に長いあいだ支配され、とくに第二次大戦中、甚大な民族的損失を蒙った」と述べています。日本と韓国との教科書協議は一進一退のようです。しかし、現場の教員からみると、ここ数年で日本=朝鮮(韓国)関係についての教科書の記述はずいぶん変わってきています。たとえば、朝鮮(韓国)の地名や人名は多くの教科書で(原語に近い)カタカナ表記がされるようになり、第二次大戦中の民族的損失については必ず教えるべき歴史事項として認識されつつあります。私にとってポーランドとは何か。歴史教育者の端くれである私は、ある出版社の面接で若い編集者から投げかけられた問いを思い出します「あなたがポーランドについて研究したことを今の日本社会にどのように生かせますか?」。その時はごまかしの回答を述べてお茶を濁しましたが、こう答えるべきだっだのかもしれません。「日本とポーランドとは鏡の反対側、つまり線対称の位置にありました。ポーランドは朝鮮(韓国)になぞらえることができ、日本はドイツになぞらえることができたからです。また、戦後にポーランドがソ連の影響下に、日本がアメリカの影響下に置かれたことは、この対称性を浮かび上がらせるものでした。冷戦後のポーランドの変化はこの対称軸を大きくずらす作用をしました。しかし、日本も戦後の歩みのなかでさまざまなねじれを飲み込んできているのです。つまり、私にとってのポーランドは、日本のあり方を映し出す鏡のような存在であり続けるのです。」また、歴史教育に携わる私にとってのポーランドは、日本と朝鮮(韓国)との今後のあり方を読み解く大切な鏡でもあるのです。

(『WISLA』第19号 1998年10月14日発行)