ポーランド関連映画特集

「戦場のピアニスト」はユダヤ人なのだろうか? ポーランド人なのだろうか?


佐々木聡




 私が『戦場のピアニスト』を観に行ったのは4月1日の「映画の日」の最終回だった。終演が日付変更線を越えるという深夜にもかかわらず、意外に観客の年齢層が高かった。もしかしたら『灰とダイヤモンド』をロードショーで観たんじゃないかと思わせるような紳士の姿を目に、日本にはポーランドという国に「甘酸っぱい感傷」を重ね合わせている人たちが確実にいるんだなと実感した。私の職場でも重々しい口調でこの映画の感想を述べ合う姿が見られ、観る前は「ヤバイ、聞いちゃいけない」と仕事に集中するようにしていたのだが、周りのほとんどが観賞した暁には始終仕事に頭を突っこんでなきゃいけない苦境に陥る。結局、まんまとテレビ朝日のマーケティング戦略にのせられたわけだ。

 前半は主にユダヤ人の苦悶を描いているのだが、誠に失礼な言い方ながら旧知のもののように感じられた。『シンドラーのリスト』や『ショアー』などの映画を通じて既知感があり、どこかで見覚えがあるような気がするのだ。ラジオ局で始まる場面は『コルチャック先生』に似ているし、シュピルマンのどこか浮世離れした生活ぶりは『ライフ・イズ・ビューティフル』を想起させるし、貨車で連行される場面は最近『ぼくの神さま』で観たなという感じ。私の中にステレオタイプな受難像が出来あがってしまっていることを自省したいが、一方、「本来、直視するに耐えないような受難」を「戦争にはありがちなもの」としてクールに扱ってしまう姿勢を醸熟しているのではないかという危惧も感じる。逆に、開戦当初のワルシャワ市民の妙に伸びやかな姿が新鮮だ。1939年9月にドイツ軍のポーランド侵攻が始まった時、シュピルマン一家はラジオで英仏がドイツに宣戦したことを知り、ほっと安心する。これが当時のポーランド市民の一般的な受け取め方であったようだ。実際には英仏は侵攻をただ見過ごすだけであったので「奇妙な戦争」と呼ばれるのだが、このことはユダヤ人だけではなくポーランドという国が国際社会から見殺しにされたことを意味する。実はこの時点でポーランド人の運命はユダヤ人とともにあったのであるが、多くのポーランド人はこの事情に気づかずにいたのだ。

 後半はピアニストシュピルマンがポーランド人の支援者に匿われる物語が主である。ここでは、ユダヤ人ゲットーの内側をわが身に重ね合わせたポーランド人の生きざまが十分に描かれている。ゲットーから逃げ出したシュピルマンを支援した芸術家ヤニナは1943年5月のゲットー蜂起の失敗を見届けて「今度はポーランド人の番だ」とつぶやく。翌年8月のワルシャワ蜂起はすでにこの時点で計画されていたことを匂わせる場面だ。ポランスキーはシュピルマンをナチス本部の真向かいの部屋に住まわせ、彼をワルシャワ蜂起に立ち合わせている。ここにおいてシュピルマンは、ワルシャワという町でユダヤ人の蜂起とポーランド人の蜂起とが同心円上に重なりあっていた構造を示す証言者を演じることになる。蜂起が失敗した後のワルシャワの廃墟が非常に美しい。この映画の中はで最も記憶に残るシーンであり、テレビCMでも印象的に使われていた堂々たるセットである。近代以来、幾度と蜂起を繰り返してきたポーランド人のヒロイズムがここに凝縮しているのだろうか。同時に、ナチスの将校が廃墟に現れる場面はドイツ人好みの滅びの舞台だ。いかにも耽美的なこの場面でポランスキーは、ポーランド人が抱くドイツ文化への親近感をも示したかったのではないか。シュピルマンがピアニストであることはこの場面で最も有効である。ピアノ芸術を愛するメンタリティを共有する存在としてシュピルマンとナチス将校の人間性が浮き彫りにされるからであり、あえてユダヤ人を見過ごすという意外な判断はドイツ人の美学として描かれている。ソ連軍がポーランド国旗を先頭に進んでくるが、シュペルマンは「撃つな、ポーランド人だ」と声高に叫ぶ。「ユダヤ人だ」と言わずに「ポーランド人だ」と言った方が安全だと判断したのであろうが、そこには蜂起したポーランド人との連帯感もあったはずだ。それに引き換え、「解放者」たるロシア人の姿が妙に粗野に描かれているのは『灰とダイヤモンド』以来のポーランド映画の伝統的な表現であり、いまだに「解放」の事情にこだわるポーランド人の姿なのかもしれない。

 私は、この映画にポランスキーが立脚する多重的な帰属性が反映されていると感じる。それはユダヤ人であること(小円)とポーランド人であること(大円)が同心円をなし、その左右に文化的な親近感があるドイツ、同じスラブの血を分かつロシアが円として近接しているというイメージである。特に小円と大円の関係は第二次大戦前のポーランド社会の特質であり、現在のポーランドは国境変更などにより多民族性が薄められている。

 最初は、ユダヤ人警察が彼だけを見逃し、彼の家族を含む多くのユダヤ人の受難を別に逃げおおせたシュピルマンの運命を受け入れることができなかった。それが事実なのだからしかたないが、ポランスキーは彼を音楽という普遍的な価値を象徴する存在として描いている。最後の場面でシュピルマンはまたラジオ局で演奏しているが、生き延びた彼の演奏そのものが平和へのメッセージとして人々に響くのだ。

 日本人がポーランドという国に自らに重ね合わせるのは、いまだに「解放」の事情にこだわるという類似性があるからなのだろうか。冷戦時代には線対称の関係にあった両国であったが、一方の軸であったソヴィエト連邦が崩壊して10年以上が経過した。来年のEU加盟を前に、ポーランドは日本にとってもはやノスタルジーを感じる存在ではなく、同じ土俵に立つ主権国家の一つとなった。その際、ボーダーレスといわれる国際化社会において、同心円状の多層社会をデザインするのか、従来型の「国民国家」を志向するのかによって、両国の歩みはそれぞれに異なってくるのであろう。

(日ポ協会関西センター『WISLA』第30号 2003年9月31日発行)