移行期ポーランドにおける政治変動 [*]

 

「移行期ポーランドにおける政治変動と経済変動の相互依存」、

『立命館国際研究』、153号、2003.3, pp.157-180.

 

田 口 雅 弘

Masahiro TAGUCHI

岡山大学経済学部

(Faculty of Economics, Okayama University)

700-8530 岡山市津島中3-1-1

taguchi@cc.okayama-u.ac.jp

 

 

 

目  次

T 政治的変動の概要

U 移行期の諸段階

1.「連帯」政権の成立 (19891991)

2.中道政権の混乱(19911993

3.左翼の台頭 (19931997)

4.「連帯」勢力の結集 (19972001)

5.左翼の復権・右翼の台頭 (2001− )

 

T 政治的変動の概要

 

 1989年の非共産党政権樹立に始まったポーランドの体制転換は,200451日のEU加盟でひとつの節目を迎えようとしている。この間,精力的な経済安定化,市場経済化,構造改革によって,EUの法・価値体系であるアキ・コミュノテールのハードルをある程度クリアするまでに体制転換は進展した。また,1990年代中葉からは,47%の高いGDP成長率を維持し,経済を安定成長軌道に乗せることに成功したように見える。しかし一方で,この12年間に政権は9回交代し,政局は決して安定的とはいえない。本稿では,移行期ポーランドにおける政治変動を整理し,その特徴を明らかにしたい。

 

 ポーランド移行期の道のりは,別表に示したとおりである。1989年に非共産党政権が誕生し,体制転換が開始された。同年1229日の憲法が改正で,社会主義関連条項が削除されると共に国名が「ポーランド人民共和国(Polska Rzeczpospolita Ludowa: PRL)」から「ポーランド共和国(Rzeczpospolita Polska: RP)」に変更になって,社会主義ポーランドは正式に幕を閉じた。199011日からは,経済自由化を目指したいわゆる「バルツェロヴィチ・プラン(Plan Balcerowicza)」が施行され,実質的な体制転換が開始された。新しい国家体制の枠組みをめぐっては長い間論争が続き,新憲法が発布されるのはようやく1997年になってからである。

 

国際関係では,1991年にコメコンとワルシャワ条約機構が解体し,ポーランドはEC(EU)NATO加盟への道を歩み始める。1995年にはWTO1996年にはOECDに加盟し,国際社会への仲間入りを果たした。さらに,1999年にNATOに加盟し,2004年には念願のEUへの正式加盟が予定されている。

 

国内の政治は,この間大きく揺れ動いている。1990年の大統領選,1991年の総選挙をめぐって「連帯」系グループの中で対立が生じ,政権内で亀裂が生じた。公式に登録された政党・政治グループは200団体を超え,こうした分裂は国会内にも持ち込まれた。政権は半年から1年程度で次々と交代した。一方,左派は着々と連携を強め,1993年に国会で第1党となって政権を獲得したのに続き,1995年には大統領の椅子もその手に収めた。1997年の総選挙で,大同団結した旧「連帯」系グループが勝利を収める。しかし,2000年の大統領選挙で,左派で現職のクファシニェフスキ大統領が圧倒的強さを見せつけ,2001年の総選挙では再び左派が政権を奪取する。ポーランドの主要政治勢力の変遷は,図1に示したとおりである。


 

1 ポーランドの主要政治勢力地図

 

 

() 四角で囲んだ部分は選挙連合。(  )内は指導者。

(出所) 筆者作成。

 

 

ポーランド政界の対立軸は複雑である。一般的に「右派(右翼)」,「左派(左翼)」という表現は広く使われている。ただしポーランドでは,もともと社会主義時代において共産主義(社会主義)政党が政権党であったため,体制転換期には守旧派が「左派」,革新派が「右派」という対立軸が生まれた。革新系は,彼らが旧体制と決別していることを国民に印象づけるため,自らを進んで「右派」と呼んだ。彼らは,ポピュリスト政党,民族主義政党とは一線を画している。しかし,「右派」は脱社会主義(dekomunizacja),社会主義勢力排除で一致するものの,統一的なヴィジョンがあったわけではない。イデオロギー的・政策的立場よりも対抗勢力との駆け引きの中で離散集合を繰り返してきた。他方「左派」をみると,1990年代中葉以降ヨーロッパで社会民主主義政党が次々と政権を獲得する中で,ポーランドでも大統領,国会,政府を左派が掌握し,守旧派としてではなく,ヨーロッパで広く信認を得ている新たな潮流としての積極的な立場を獲得するに至った。このように,「左派」,「右派」といった対立軸は,移行期の政治変動の中でその性格を変化させてきたといえる。

 

もう一つの対立軸は市場経済の性格をめぐる対立である。共産党政権に変わって「連帯」系政権が積極的に推進したのは,強力な金融引き締め政策と自由市場経済化を中心とした「リベラル(自由主義的)」な新古典派的経済政策であった。当初,諸勢力の市場に対するイメージは必ずしも明確ではなかった。しかし,深刻な転換リセッションを経験する中で,諸勢力はリベラルな政策への反発を強めていった。市場の性格をめぐっては,あくまでも自由な市場と国家の市場からの退場を求める勢力,社会的市場経済を理想とする勢力,経済効率化より経済格差是正や社会福祉に力点を置く勢力,国家の市場への介入を求める勢力(たとえばポーランド農民党)など,その対立の幅は次第に広がっていった。2001年の総選挙では,基幹産業の再国有化を主張する右翼急進派の「自衛」が10%以上の得票率を獲得し,その代表が一時下院副議長を務めた。

世界観も政治諸勢力の大きな対立軸である。右派諸政党は,社会主義的価値観崩壊の後を埋める新しい価値観として,「保守的」カトリック教義を基礎に据えた(キリスト教国民連盟がその代表的政党)。しかし,「保守的」と呼ばれる(または自称する)諸政党の中には,単にカトリック教会の権威を利用しようとするだけの政党,逆にカトリック教会の権威主義に反発する政党もあり,その内容は多様である。また,保守派の中には,米国流保守(穏健的保守の世界観)と英国サッチャリズム的自由主義(ラジカルな経済的自由主義)の融合を基礎とした「リベラル保守系右派(prawica liberalno-konserwatywna)」という考え方を持つ政党もある(たとえば保守党,現実政策同盟)。したがって,「保守」=「キリスト教」というわけではない。一方で,概して左派は世俗的な世界観を持つ。しかし,左派の中でも,労働同盟のように国家の中立性を重視しながらもカトリックの歴史的・社会的意義を重視する政党もある。

 

「民主主義」も,ひとつの対立軸になっている。問題のひとつは,民主主義に対する温度差である。自由同盟が,民主主義は新しい市民社会を作る原動力であると考えているのに対し,ポーランド農民党は,民主化の意義は認めながらも,むしろ農村経済・社会の保護に主な関心を寄せる。キリスト教国民連盟は,カトリック的世界観が維持される限りにおいて民主主義を支持する。もう一つの問題は,民主化が政争の道具として利用されたことであった。たとえば,公的立場にある人物が旧体制下で秘密警察に協力していなかったことを立証する潔白証明(lustracja)は,政敵を引きずりおろす手段に利用された。また,議会民主主義を貫くのか大統領に強い主導権を与えるのかといった国家体制をめぐる対立は,新憲法制定が1997年にまでずれこむ大きな要因となったが,これもイデオロギー論争と言うよりは主導権抗争の色彩を強くにじませていた。

このように,ポーランド政治の対立軸は重層的であり,かつ右派・左派,保守・リベラルといった概念が独特の歴史的背景と意味を持っている。こうした様々な価値が,民主的政党政治の黎明期において,政治指導者たちの個性と結びついて複雑な政界地図を作り出しているといえる。


 表1は,上に挙げた対立軸をもとにグループ分けした諸政党の総選挙における得票数,得票率,獲得議席数である。この表からは,先に述べためまぐるしい政権交代と違った潮流が読みとれる。まず特徴的なのは,民主左翼連合を中心とした左派・社会民主主義系政党が,選挙を重ねるごとに着実に得票数を伸ばしてきていることである。これに反して,自由同盟を中心とした中道・リベラル政党は,徐々に得票数を落とし,2001年の総選挙で得票数・得票率を一気に下げている。1991年の総選挙で民主同盟と自由民主会議が合わせて99議席を得ていたが,2001年の総選挙では1議席も獲得できなかった。離散集合を繰り返し,政権を獲得したり失ったりしていた旧「連帯」系の右派諸政党は,全体としては3040%の支持を維持しており,2001年の総選挙ではじめて得票率が30%を切った。農民政党は,1993年に200万票を超える得票を得た以外は,100万票程度の手堅い得票を維持している。大きな躍進を遂げたのは,右翼政党で,2001年の総選挙で一気に200万票台を獲得し,91議席を手中に収めている。

 

こうした政治的変動と経済的変動の概要の整理から,次の点が指摘できる:

(1)      移行期における政権の不安定性は,小政党の乱立,諸政党の絶え間ない離散集合の結果であり,成熟していない政界の状況を反映している。

(2)      1993年の総選挙から,小政党の乱立を防ぐため,得票率5%(選挙連合は8%)以下の政党は議席を獲得できなくなるという制度を導入したが(なおドイツ少数民族党には2議席が特例として保証),このことにより政党の分散がある程度抑制されたものの,死票が増えて国民の投票行動と獲得議席数にずれが生じた。

(3)      移行期の政治・経済運営の困難さを反映してか,政権を担当した後の選挙で政権党が支持を落とすケースが多い。そうした中で,政権を担当して支持を伸ばしてきたのは唯一左翼民主連合である。

(4)      国民の投票行動を全般的にみると,めまぐるしい政権交代に比較してそれほど極端に支持政党を変化させておらず,むしろ長期的に一定の傾向を示しているといえる。

(5)      経済が転換ショックの困難を克服して高度成長を達成する過程で,内部分裂と対立を繰り返す中道勢力が支持を落とし,安定感のある左翼勢力が,そして経済格差や将来への不安の表れとして右翼勢力が支持を伸ばした。結果的に,体制転換の原動力となった「連帯」や自由市場化プログラムを支えてきた知識人を中心とした中道リベラル政党が国会下院から姿を消した。

 次に,移行期の各段階ごとに,その特徴を簡単に整理したい。

 

 

表1 体制転換以降の総選挙における下院の政党別得票・獲得議席の推移

 

 

1991

1993

1997

2001

 

政党

得票

(%)

議席

政党

得票

(%)

議席

政党

得票

(%)

議席

政党

得票

(%)

議席

1

 

 

KPN

PZZ

WAK

“S”

PC

PL

ChD

PChD

KKO

4,423,697

 

841,738

26,053

980,304

566,553

977,344

613,626

265,179

125,314

27,586

38.2

 

7.5

0.2

8.7

5.1

7.5

5.5

2.4

1,1

0.2

208

 

46

4

49

27

44

28

5

4

1

 

 

KPN

BBWR

Ojczy.

“S”

PC

PL

 

4,034,296

 

795,487

746,653

878,445

676,334

609,973

327,085

 

29.3

 

5.8

5.4

6.4

4.9

4.4

2.4

 

38

 

22

16

0

0

0

0

 

AWS

 

 

4,427,373

 

 

 

33.8

 

 

201

 

 

 

 

AWSP

PO

PiS

Alt.

3,671,359

 

729,207

1,651,099

1,236,787

54,266

28.2

 

5.6

12.7

9.5

0.4

109

 

0

65

44

0

2

 

 

UD

KLD

2,223,237

 

1,383,051

839,978

19.8

 

12.3

7.5

99

 

62

37

 

 

UD

KLD

2,011,535

 

1,460,957

550,578

14.6

 

10.6

4.0

74

 

74

0

UW

1,749,518

13.4

60

UW

404,074

3.1

0

3

 

 

SLD

SP

RDS

1,627,451

 

1,344,820

230,975

51,656

14.6

 

12.0

2.1

0.5

65

 

60

4

1

 

 

SLD

UP

3,820,173

 

2,815,169

1,005,004

27.7

 

20.4

7.3

212

 

171

41

 

 

SLD

UP

4,171,835

 

3,551,224

620,611

31.8

 

27.1

4.7

164

 

164

0

SLD-UP