ポーランド関連映画特集
物語ではなく記録としての歴史映画 〜『戦場のピアニスト』私論〜
置村公男
1.あなたは泣けましたか?
「『戦場のピアニスト』の感想を会員から募る」という今回の編集企画を藤井朋子会員から提案されたのは今年の3月であった。折しも軍靴の音が高まりつつある頃で「時宜を得ている」と思ったこと、映画を見終わった後のある疑問などが重なり、私は藤井会員の提案を受け入れた。ある疑問とは『ヴィスワ』ポーランド旅行特集号のある会員の記事(1)である。その中に同氏のワルシャワで行われた『戦場のピアニスト』試写会の感想があった。「握りしめたタオルのハンカチはグショグショ」という文がある。私は『戦場のピアニスト』を見終わった後に胸を締め付けられる思い、そして怒りや憤りに近い思いを抱きつつも、目頭が熱くなることはなかった。因みに私は近時とみに涙腺が緩くなってきているとの自覚がある。満員の映画館の中で私の周りからも鼻をすする音がよく聞こえてきた。なぜ彼らは泣くのか、どの箇所で泣けるのか、私には分からなかった。そんな折、藤井会員から届いた提案メールの末文には「私は泣けませんでした」とあった。
2.ポランスキーの試み
私が泣けなかった一つの要因としては事前に森本等氏の論文を読むなど多くの予備知識を得ていたことと世界史教員としての授業実践の経験が大きかったと思う。森本氏は論文「ロマン・ポランスキー『戦場のピアニスト』への道程」の中で次のような指摘をされていた。ポランスキーが自身の収容所体験を踏まえつつも、どっぷりとその世界に浸る独りよがりの映画になることを避けるために敢えてワルシャワの収容所体験(ポランスキーはクラクフの収容所を体験)を書いたヴワディスワフ・シュピルマンの原作に着目した。しかも前述の(波線部の)意図ゆえに原作を部分的に改編しながらの映画化を試みた。即ち自身の体験を「つかず離れず」の距離感を維持しながら客観的に描こうとしたのである。
更に「ニューズウィーク日本版」の映画評(2)がこの論を補足強化した。「個人の回想録を映画化すると往々にして、脚色が多すぎて事実がゆがめられていると批判されるものだ。だがロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』に、そんな批判はあてはまらない。」同誌はポーランドでの冷めた映画評として「高校生がユダヤ人大虐殺について学ぶためのお勉強映画」という皮肉を紹介している。また、私の知人によると、ポーランド人の中には「あそこまで凄惨な場面ばかり映像化しなくてもよいのでは?」と不快感を露わにする人もいたそうである。
しかし、ポランスキーの野心的な試み、即ち歴史に対する真摯な姿勢を、映画ファンの中でも歴史の教育・研究に携わる者として私は大いに評価したい。彼は主人公シュピルマンに英雄的な振る舞いや複雑な感情を台詞として語らせることをさせなかった。それを「お勉強映画」と断じるのは余りに皮相的な見方であろう。「ニューズウィーク日本版」記事の副題にあるように現実を淡々と描こうとしたのである。無論、映画であるから、そこには虚構も入る。原作の回想録とは違う点も多々ある。だが、それは前述の(波線部の)意図・狙いによるものである。
3.歴史の見直しと記憶の再生
以前、『ヴィスワ』に日本の自由主義史観へのポーランドにおける警戒心や私自身の批判 (3) を書いたことがある。自由主義史観研究会による従来の歴史教育や教科書への批判として「自国の歴史の暗部ばかり教えないで子供が国民としての誇りを持てるよう感動的な事柄を教えるべきだ」というものがある。もっともな面もあり、私も教材として杉原千畝や山崎豊子の『大地の子』を用いることもある。しかし、それのみを強調して自国史の暗部から目を背けるのは「臭いものに蓋をする」ことになると私は思う。ポランスキーが主人公の人物描写を主人公自身の所作や台詞ではなく、彼の身の回りで起こった出来事を淡々と列挙することによって描こうとしたのは、正に彼のバランス的な歴史感覚によるものであろう。
歴史叙述の方法としては古代ギリシア以来、ヘロドトスのような物語的記述とトゥキディデスのような客観的・史料批判的な記述とがあると言われる。勿論、歴史は語り手や編者の史観が反映される。英語で歴史を意味するhistoryという語にはhis storyが語源であるという説もある。また、フランス語のhistoireやドイツ語のGeschichteには物語・小説という意味もある。一方でそれらの語には事件・出来事という意味もある。ポランスキーが原作の回想録の脚色や物語的要素の付加をせずに、主人公の身の回りで起こったことを淡々と描く事件史・出来事史、敢えて言えば主人公の生きた記録として描いている点に、ポランスキーの歴史に対する見識を見た思いがした。彼の事実としての記録へのこだわりは末節にまで及んでいる。私が彼の歴史への真摯な姿勢を評価する所以である。
では、なぜ物語的で主観的な歴史叙述が排除され、事実を淡々と記録のごとく描写する歴史叙述が注目されるのか。その要因として歴任認識の外交問題化を指摘することができる。日韓・日中など日本とアジア諸国、独ポ・独仏などドイツとヨーロッパ諸国並びにイスラエルとの間に存する歴史認識や教科書の問題はそれぞれの戦後史の中で大きな位置を占めていた。自国中心的な独りよがりの歴史認識では周辺諸国との友好関係を維持できないのが現状である。特にヨーロッパ現代史は第二次世界大戦におけるユダヤ人迫害(ホロコースト)抜きには語ることはできない。同時に、その問題を取り上げることは中世以来続く反ユダヤ主義の問題とも通底する。ここ数年、日本でもホロコーストをテーマにした多くの映画が公開されている。『ヴィスワ』今号の森本氏の特別寄稿でも何本か紹介されている。映画をご覧にならない方には馴染みのない作品もあるので若干の補足説明をしておきたい。近作とはいえないが『ショアー』(1985年)はクロード・ランズマンによる収容者生還者の証言から成るドキュメンタリー映画である。9時間30分に及ぶ超度級の長尺で(因みに私が劇場で見た最長記録はソ連版『戦争と平和』で、8時間に及ぶ超長尺である)、ビデオに録画したまま私はまだ全編を見終えていない。それどころかドイツ現代史を専攻する友人にそのビデオを2〜3年貸したままの状態が続いている。因みに「ショアーSHOAH」とはヘブライ語で絶滅を意味し、イスラエルではホロコーストと同義語で用いられる。ヤン・フジェベイク監督の『この素晴らしき世界』(2000年)はチェコ映画で、原題の“MUSIEM SI POMAHAT”は「我々は皆助け合わねばならない」という意味である。ユダヤ人を匿った夫婦に起こる顛末を面白おかしく描いた佳作である。森本氏の特別寄稿では紹介されていないホロコーストを描いた、或いはそれを背景とする最新映画としては『バディニョールおじさん』『銀幕のメモワール』(共に本年度日本で公開されたフランス映画)や『名もなきアフリカの地で』(本年度公開のドイツ映画)などがある。
ホロコーストの問題はヨーロッパの人々にとっては触れられたくない過去の傷である。忘却の彼方に捨て去りたい事柄である。最近の歴史学では「記憶」というキーワードがちょっとした流行になっている。国民による歴史の共有、記念碑設置や祭典実施による記憶の記録化が注目される一方で、自国史・自民族史の暗部、即ち臭いものに意図的に蓋をするという記憶の消去にも注目が集まっている。意図的な忘却か或いは風化かは別にして、忘れられようとしている記憶の再生と記録という努力も同時に行われている。森本氏が特別寄稿の中で指摘されたイェドヴァブネ事件がそうである。昨年(2002年)9月にNHKスペシャルで放映された「沈黙の村」をご記憶の方も多いと思う。事のあらましはこうである。第二次大戦中、ポーランドの農村イェドヴァブネで起こったユダヤ人虐殺が最近の調査でナチスの仕業ではなく、ポーランド人村民によるものだと発表された。その調査やマスコミ取材に関して村人は一切口をつぐんでいるので「沈黙の村」と呼ばれるに至ったのである。アンジェイ・ワイダの映画『聖週間』に関して、ワイダがホロコーストを傍観したポーランド人を沈黙の賛同者として批判しているという記事を私は『ヴィスワ』で書いた(4)。実は傍観者ではなく、実行者であったということでこの発表はポーランド内外に大きな波紋を呼んだ。因みにこの事件を調査したポーランドの政府機関名が国民記憶院であったことは実に象徴的である。
一方、被迫害民族として最もメジャーな存在であるユダヤ人のその地位が最近、相対的に低下してきた。それは最近の民族紛争や国際テロの多発により、国際社会から忘れられていた弱小民族にも注目が集まるようになったからである。例えば、ユーゴスラヴィアのボスニア人(イスラム教徒)やコソヴォのアルバニア人、アフガン人やクルド人である。昨年(2002年)1月に東京で行われたアフガニスタン復興支援国際会議でカルザイ・アフガニスタン暫定政権議長(当時)が、アフガニスタンを「国際社会から忘れられた存在」と呼んだことは記憶に新しい。そのような中、国際社会の注目度が相対的に低下したユダヤ人の問題、或いはパレスティナ紛争の記憶を風化させないための努力がアメリカのユダヤ人ロビーを始め世界各地のユダヤ人によって行われてきた。その成果が、最近のホロコースト映画の隆盛となって現われたのであろう。
4.反「国民映画」としての『戦場のピアニスト』、音楽映画としての『戦場のピアニスト』
論点が『戦場のピアニスト』そのものから相当逸脱したので、元に戻そうと思う。
私はこの映画を高く評価しているが、不満がないわけではない。最大の要因は台詞の言語である。ポランスキーはポーランド人映画監督とはいえ、1970年代より活躍の場を西側(フランスやアメリカ)に移している。今回の映画も世界的な市場、特にアメリカを意識して英語で台詞が語られている。ワイダがしばしば口にする「国民映画」はポーランドにまつわる素材(歴史や文学作品)をポーランド語で映画化したものである。ホロコーストというポーランドだけでなく、ヨーロッパや世界全体に該当するテーマを伝えるために、世界で最も使われている言語=英語で台詞を語らせたこの映画を、「国民映画」と対極にあるという意味で、私は敢えて「反『国民映画』」と呼ぶことにした。ただ、台詞言語の是非(英語であるかポーランド語やイディッシュ語であるか)は問題ではない。ポランスキーが伝えようとしたメッセージが重要なのだとも思う。
しかし、ナチス将校に大部分の場面で英語の台詞を語らせておきながら、場面によってはドイツ語を解さないポーランド人やポーランド語を介さないドイツ人とを対比させるために部分的にドイツ語の台詞をしゃべらせたのはいただけない。そのようなことを気にするのであれば、徹底的にポーランド語・イディッシュ語・ドイツ語の差異にこだわるべきである。
また、音楽映画としての側面は私には全く理解できない。私にその問題について論じる資格がない。パンフレットにも、それぞれの場面で使われた曲目と、その意図が音楽評論家黒田恭一氏によって書かれている。音楽に関して全く無知の私が1点だけ疑問に感じた場面がある。主人公がナチス将校に見つかり、ピアノを演奏する場面である。廃屋に隠れていた主人公を発見した将校が“Wer sind Sie?(あなたは誰ですか?)”と敬称の2人称Sie(ポーランド語ならばtyではなく、panが使われていると考えればよい)で問う場面である。みすぼらしい姿の主人公になぜ敬称の2人称を使うのか。音楽を愛する将校は彼が音楽家シュピルマンと気づいたからではないか。それしか敬称の2人称を使う理由は考えられない。では当時、それ程シュピルマンの名声はドイツ人にも聞こえていたのか?その疑問を知人の会員に投げかけてみたが、必ずしもそうではないようである。この2点、言語へのこだわりと音楽面での時代考証に関しては、ポランスキーといえども細部にまで神経を使っていないのではないかと私は思うのである。皆さんはどのようにお考えであろうか?
5.それでも涙が・・・
本年度総会後の懇親会席上で(当然、酒が入っている)ある会員と例の問題について議論した。彼女から「同じピアニストとして、ピアノを弾けない状態というのは想像するだけでも悲しくなる」という言葉を聞き、私は納得すると同時に共感できた。その時、私の脳裏を同僚のある言葉がよぎった。
彼は国語科教員でいつもユニークな映画評を開陳してくれた。彼にこの作品の感想を聞いてみた。彼は「泣ける映画である」と答えた。前述の森本氏の論文やニューズウィークの映画評を説明した後の彼の答も「それでも涙が出てくる」であった。彼は、出来事を淡々とありのままに積み上げているからこそ、その中に胸を締め付けられる事実、ある家族にとっての悲劇が潜んでいると言う。例えば、主人公一家が貨車で収容所送りにされる場面で、幼い子供の泣き声が背景に聞こえてくる。「その家族は親子が引き離され、子供を始めとする家族には悲惨な運命が待っている」と考えただけで涙が出てくるというのである。私はハッと思い出した。『パン・タデウシュ物語』での藤井和夫会員の感想である。映画の最後、その後のポーランドの過酷な運命を思い、思わず涙ぐんだというあの指摘(5)である。「なるほど!」とこの説明には流石の私も大いに得心した次第である。
森本氏の論文同様、今回、映画を見るに際して私自身も知らず知らずのうちに映画を客観的に捉えて見ていたのかもしれない。教材として授業でよく取り上げるテーマでもあり、私はこの問題についてmind(mind controlの訳語が「洗脳」であるようにmindとは頭を意味する)で考え、同僚や知人の会員のようにheartで感じることが少なかったのかもしれない。淡々とした事実の積み上げや記録の中に「お勉強映画」を超える歴史映画としての感動があると理解できたのである。
(1) 石井玲子「初体験レポート、ピアニスト」『ヴィスワ』28号所収。
(2) 「歴史の教科書を超えるリアリズム 映画 現実を淡々と描く『戦場のピアニスト』」 『ニューズウィーク日本版』2003年2月12日号所収。
(3) 拙稿「98年夏・ポーランド三部作+1、+1: スキンヘッドの背景にあるもの」『ヴィスワ』20号所収。
(4) 拙稿「ワイダ映画のユダヤ人―『聖週間』に見るワイダの問題意識―」『ヴィスワ』17号所収。
(5) 拙稿「あなたは映画を観て泣けますか〜『パン・タウシュ物語』を観る会報告記〜」『ヴィスワ』25号所収。
<編集者注>
毎日新聞(2003年7月17日朝刊)に次の内容の特集記事が掲載されていることを置村氏からお知らせいただきました。
『イラク戦争後、アメリカのブッシュ政権が世界的な同盟関係の見直しを進める中<新しい欧州>の代表格ポーランドの存在感が増している。(<古い欧州>と米国の関係修復が進まない中、ポーランドは一段と米国の国際戦略への関与を深め、戦後イラクの治安維持でも破格の大役を果たす。)』
(日ポ協会関西センター『WISLA』第30号 2003年9月31日発行)