
ワイダ映画のユダヤ人
―『聖週間』に見るワイダの問題意識―
置村公男
アンジェイ・ワイダ監督の『聖週間』を観た。『鷲の指輪』以来二年ぶりの作品である。前作についてはこの『ヴィスワ』紙上で筆者は酷評をしてきた。「主人公が饒舌すぎる」「映像に深みや余韻がない」「人物描写が表層的」等々。ワイダはもはや過去の遺物、歴史上の人物になってしまったか、そのような思いも筆者にはあった。特に昨年11月の神戸100年映画祭で彼のトークを聴いて、時代と彼とのズレを筆者は感じた。その事も『ヴィスワ』紙上で書かせていただいた。
しかし、今度の『聖週間』は前評判が非常によい。昨年10月12日放送のNHK「知への旅 アンジェイ・ワイダ〜光と影の演出家〜映像証言の戦後史」はワイダへのインタビューが中心であったが、ワイダの映画作りのモチーフや『聖週間』の製作の様子がよく伝わってきて、期待感を抱かせた。今年に入り、『聖週間』の東京・岩波ホールでの公開に先立って『ニューズウィーク(日本版)』『週間金曜日』『キネマ旬報』など各紙とも好意的な映画評を掲載した。(ポーランド語勉強会に参加された会員にはコピーをお配りした)。私の知る限り否定的意見は、一足早く留学中にポーランドでご覧になった武井摩利会員の「『聖週間』を観ると、ワイダは映画の手法は流石だと思うが、問題意識を見つけられずにいるのでは?と思ってしまいます」という意見ぐらいであった。
日本での前評判のよさと武井会員の意見の落差は何であろうか。『聖週間』を観て筆者はすぐに『コルチャック先生』を思い出した。『コルチャック先生』もポーランドでは不評を買い、興業的にも失敗であった。二つの映画に共通するのは勿論、ユダヤ人というテーマである。『聖週間』に限って正確に言えば「ホロコーストをポーランド人はどのように見ていたか」である。両作品ともポーランド人にとって痛い問題をついている。即ち、ユダヤ人の隣人でありながら、ただ傍観するだけのポーランド人を描いている。『聖週間』は更に踏み込んで、ナチスに敵愾心を抱きつつもホロコーストに対して沈黙の賛同者となったポーランド人への批判をワイダは中心的テーマに据えている。ホロコーストに痛痒を感じるどころか、内心「ナチスは邪魔者(ユダヤ人)を我々(ポーランド人)に代わって始末してくれた」という意識すらあったポーランド人。ワイダは『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』のいわゆる抵抗三部作以来、祖国の独立をテーマにしてきた。しかし祖国は冷戦後、国名を社会主義時代の「ポーランド人民共和国」から戦前の「ポーランド共和国」へと戻すなどヨーロッパへの回帰を強めている。そのような時代の変化の中でワイダが取り上げた古くて新しいテーマが「ユダヤ人とポーランド人」であった。
ポーランド人の対ユダヤ人感情に関して興味深いデータがある。ヨーロッパの民族問題について世論調査を各国で行った。表1は各国国民が否定的感情を抱いている民族がパーセンテージで示されている(1)。ポーランド(資料はドイツ語なのでPolenと表されている。)ではウクライナ人、ドイツ人、ユダヤ人が高い数値となっている。ポーランドにおけるウクライナ人やドイツ人をはじめ、各国で名前の挙がっている民族は国内の少数民族であったり、隣接する民族であったりする。即ち「目の前にいる敵」であり、従って紛争や対立が生じ、否定的感情を有するようになる。ポーランドの場合でも、ウクライナとはルヴフを中心とした西ウクライナ(東ガリツィア)問題がある。ドイツとはシロンスク(シュレジェン)問題がある。ところがユダヤ人は「目の前にいる敵」ではないのに高い値となって現れている。
戦後ポーランドのユダヤ人人口は戦前の1%程度に激減した。虐殺、追放、或いはポーランドを嫌ってユダヤ人がパレスティナに移住した結果である。第二次世界大戦まで2000年近くポーランドを含むヨーロッパに存在した反ユダヤ主義は目の前にいる敵であり隣人であるユダヤ人に対する反発であった。しかし、今日データで示されたポーランドの反ユダヤ感情は「ユダヤ人なき状態での反ユダヤ主義」である。もはやポーランド人の潜在意識に反ユダヤ主義が刷り込まれているとしか言いようがない。
そのようなタブーに敢えて挑戦したのがワイダの『コルチャック先生』であり『聖週間』であった。特に『聖週間』では「ホロコーストへの沈黙の賛同者」となった自らへの問いかけ、自己批判をより一層明確にした。自民族の歴史に対して一方的に独立や抵抗をテーマに描くだけでなく、謙虚に暗黒面にも目を向けるワイダの真摯な姿勢に日本の知識人も賛辞を送ったのであろう。一方、ポーランド国内での両作品に対する見方が日本と異なるのは既述のポーランド人のユダヤ人に関する感情を思えば当然の事である。推測するに武井会員もそのようなポーランドの雰囲気に影響されていたのではなかろうか。
両作品以外にもワイダ作品にはユダヤ人がしばしば登場し、重要な役どころをなしている。ワイダがユダヤ人問題を描く理由は二つ考えられる。その一つが『愛の記録』の中に見る事が出来る。もう一つの理由は『婚礼』や『約束の土地』の中に表れている。
『愛の記録』は第二次世界大戦勃発直前のポーランド共和国のヴィルノ(現リトアニア共和国首都ヴィリニュス)を舞台に高校生くらいの若い男女の悲恋を描いている。1995年のポロニクム夏期講座に参加した時に午後のポーランド文化の授業で筆者は初めて観た。何よりも印象に残ったのはヴィルノの様子で(市街地と郊外)、多くのユダヤ人が通りを往き交う様であり、郊外で軍事教練を行っている軍隊(騎兵隊)の姿であった。戦前のヴィルノは「北のイェルサレム」と呼ばれ、1938年には人口の48%がユダヤ人であった。『愛の記録』に関してワイダはこう述べている。
「私自身もコンヴィツキ(原作者:筆者註)と同じ地方で似たような環境の中で育ったものですから、原作を読んだ時に、これは私の世界だ、私の幼年時代だと思い・・・(中略)・・・リトアニアは私には意味のある土地です。」(2)
ポーランド東北部のスヴァウキで生まれ、軍人を父に持つワイダの原風景が『愛の記録』にはある。ユダヤ人とポーランド国軍である。別掲の表2からも分かる通り(3)、ポーランド人の国軍に対する信頼感は高く、1981年に戒厳令を布告したヤルゼルスキも元軍人ゆえ統一労働党幹部にしては珍しく国民から人気があった。ワイダ映画は軍の活動を通して祖国の独立を描いてきたと言う事も出来る。それが抵抗三部作である。ワイダの原風景のもう一つがユダヤ人である。なぜワイダは他のポーランド人のように反ユダヤ感情を以てユダヤ人を描いたりしなかったのであろうか。答は『婚礼』や『約束の土地』で示されている。
19世紀ポーランド産業革命期のウッジを舞台にした『約束の土地』はドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人の三青年の夢と挫折を描いた映画である。映画の中でワイダはドイツ人マックスを通して反ユダヤ感情を持つ典型的ヨーロッパ=キリスト教徒を描く一方で、ユダヤ人のモリツには「俺は家柄より金さ」「(工場の資金を)出すのはユダヤ人の仕事」という科白を与えている。そして主人公のポーランド人カロルの科白を借りてワイダはポーランドの伝統への反発を表している。「伝統は綿布の生産を助けてくれない」という科白は当時のポーランドの実業主義(praca organiczna)や西欧的近代化志向を体現している。一方で1830年の「11月蜂起」や1863年の「1月蜂起」の相次ぐ失敗を嘆きつつ、伝統にしがみつくポーランドの上層階級、保守層、インテリへの批判でもある。実はカロル自身が他ならぬポーランドの上層階級に属すインテリである。彼の名がカロル=フォン=ボロヴェツキという「フォン」がつく点からも彼がシュラフタの末裔である事が分かる。即ち、カロルの伝統批判とはそのような自らへの批判であった。『聖週間』でワイダが取り上げたテーマもそのような自己批判であり、ワイダ自身の内なる反ユダヤ主義への批判であった。『鷲の指輪』のように、問題を外に転嫁するのでもなく、声高に饒舌に訴えるのでもなく、静かにあくまでも抑制的に自らの内に問いかけ、葛藤する(そして何も出来ない)『聖週間』の主人公ヤンに筆者は共感を覚えた。勿論、ワイダの映画製作に対するそのような姿勢にも共鳴した。『約束の土地』で表された同じような関係が、農民の娘と結婚するインテリ、その婚礼に現れるユダヤ人を通して『婚礼』でも描かれている。因みに両作品ともポーランド人インテリ(シュラフタ末裔)はダニエル=オルブリフスキ(『デカローグ』の第3話にも出演)というワイダお気に入りの俳優が演じている。
ワイダとのインタビューで岩波ホール支配人高野悦子はこう述べている。
「(『愛の記録』の)最後に二人の若い恋人が突然死んでいくと思われるシーンがあります。私はそこに祖国が喪失していくというイメージをだぶらせ、非常に胸をうたれました。」(4)
これに対してワイダはこう答えている。
「最後のシーンについては少し別の解釈をしています。若い二人が愛の夢から醒めて戦争という現実に出会うわけです。私が作った作品『世代』から『鉄の男』までのあらゆる時代をあの若者達はもう一度体験するであろうという思いを以てあの最後のシーンを撮ったのです。」(5)
「胡蝶の夢」ではないが、筆者には『世代』から『鷲の指輪』までの時代を体験したポーランド人青年が再び目覚めて、自問しているように思えてならない。若者は夢をみ始めた1939年に戻り、89年までの半世紀の間、即ち戦中から社会主義時代にかけて祖国の独立を声高に訴えてきた自分がみた夢は何であったのか、静かに振り返っているのが『聖週間』である。『鷲の指輪』で主人公マルチンは祖国の喪失(ワルシャワ蜂起の失敗)に涙を流し、熱く訴えた。筆者はそのように被害者の面のみを強調するポーランド人よりも、加害者としての自らに目を向け、静かに問いかけるポーランド人に共感してしまうのである。最近、松川克彦先生の『ヨーロッパ1939』(昭和堂)という本を読んだせいかもしれない。
註
- Klaus von Beyme,“Die politische Kultur Osteuropas im Wandel”,Politische Kultur in Ost und West-Deutscland(Berlin,1994), p.202.
- アンジェイ・ワイダ、高野悦子『ワイダの世界』(岩波ブックレットNo.107、1988年)、26頁. なお、ワイダの科白は1980年時点のインタビューなので当時の最新作『鉄の男』までと言っている。
- Beyme,op.cit.,p198.
- ワイダ、前掲書、26頁.
- ワイダ、前掲書、28頁.
(『WISLA』第17号 1997年9月3日発行)