
アンジェイ=ワイダ・トークに参加して
置村 公男
1996年11月1日、「神戸100年映画祭」の初日、
10数年このかた敬愛し続けてきたアンジェイ=ワイダをこの目で見た。控え室におしかけての記念撮影も含めて感動の連続であった事は言うまでもない。しかし・・・。何か違うものを感じた事も事実である。岩波ホール支配人高野悦子の質問に対してワイダはこう答えた。「1989年の民主化後、当局の検閲が無くなった事によって映画は作り易くなった。」検閲が無くなり、自由に映画を作る事が出来るようになってからのワイダの映画は、例えば『鷲の指輪』のように主人公を饒舌にさせた結果、映画に余韻や映像の深みというものが無くなった。その事を高野悦子に婉曲的に指摘されての反論である。ワイダはこうも言った。「昔の検閲はシナリオだけであり、映像はチェックされなかった。だから映像で様々な表現が出来た。」なるほどモノクロではあるが、『灰とダイヤモンド』『地下水道』は映像的に美しかった訳である。 ワイダは更に続けた。「1989年以後、製作資金を集める苦労よりも、誰に向かって映画を作るのかが問題である。」ワイダだからこそ言える贅沢な悩みかもしれぬ。ワイダは現在のポーランド映画観客の中心である若者をこう評した。「彼らはテレビとアメリカ文化、アメリカ映画に親しんでいる。」ポーランド派の旗手として全世界に知られた彼は、以前から外国資本で映画を作っていた。対外的な面での資金繰りは、好転する事があっても悪化する事はない。加えて国内的な資金調達にも恵まれている。政治家として、ポーランド国内での社会的地位や名声があるからである。そのような「特権階級」ワイダに対して、市場経済の中で「カネ、カネ、カネ、・・・。」と競争に明け暮れる庶民、特に若者は共感を持てないでいるのではなかろうか?
「アメリカ映画に席巻された結果、ポーランド映画であっても使われているのは英語だけという映画もある。それは観客が本当に望んでいる事なのであろうか?私はポーランド人の為の、ポーランド語で作られた、ポーランドの問題を扱った『国民映画』を作りたい。」ワイダの発言を通訳されている方の言葉をここでは書き記しているが、頻繁に「国民映画」というキーワードが登場した。ワイダの発言を聞いていると、“film narodowy”という語は最後に1、2回でてきた程度であったが、通訳者は意訳したのか、さかんに「国民映画」という語を用いていた。それはさておき、ワイダの言う「ポーランド人の為の」映画、「ポーランド問題を扱った」映画とは一体何であろうか?それは彼が青春時代を過ごした「戦争時代を後世に語り継ぐ事」(ワイダ)である。彼はそれを「生き残ったものが死者に対して送るレクイェムであり、責務でもある。」とも語った。戦中、戦争直後の悲劇を明らかにする事は時として統一労働者党(共産党)への批判となって現れる。50年代、60年代のポーランドは、政治の時代であり、多くのポーランド人が先述のワイダの問題意識と共鳴できた。だからワイダとワイダ映画はポーランド人から支持された。89年以降はどうであろうか?学校の歴史教育においても以前は重視されていた戦中や戦後の歴史の授業時間が削られている。既に指摘した通り、拝金主義が横行している。ビジネス・チャンスという事で海外からの投資、特にかつて本国ポーランドを棄てて亡命した在米ポーランド人からの投資が増えた。若者が物質文明の象徴であるアメリカ映画に憧れるのも時代の趨勢かもしれぬ。もはやワイダの問題意識は若者と共鳴できなくなっている。1995年秋から約1年間、ポーランドに留学されていた武井摩利会員から今年いただいた年賀状にこんな事が書いてあった。「ワイダの新作『聖週間』を見ると映画製作技術は、さすがにワイダは上手いなと感心します。しかし、彼は映画製作の問題意識を持てずにいるのではないでしょうか?」
実は私も「神戸100年映画祭」に際して、二つの体験から武井会員の指摘に納得してしまったのである。「映画祭」では各国の巨匠や今「旬(しゅん)」の監督が来神して、インタビューを受けた。その中で台湾のエドワード=ヤン監督が「今の台湾、台北を表現できるなら、ハリウッドだろうが、どこへでも行きます。」国際派のヤンは民族派(?)のワイダとの考えの違いを際立たせていた。もう一点は、ワイダのトークの前に見た『灰とダイヤモンド』である。以前、「ヴィスワ」紙上でも私が何故ポーランドに関わるようになったか寄稿した事がある。その一因が『灰とダイヤモンド』を見ての感動であった。当時の私の置かれていた状況、精神状態が主人公マチェックと二重写しになって見えたのである。ところが、今回、あろう事か私は上映中についウトウトしてしまったのである。ハッとした時には、マチェックが仲間の名を呼びながら一本一本ろうそくに火を灯すあの名場面が終わった直後であった。私は大いにショックを受けた。『灰とダイヤモンド』上映中にウトウトしてしまった自分に。やはり私の中の何かが、この映画を初めて見たあの頃とは変わってしまったのであろう。ワイダとポーランドの若者との意識のズレとは、もしかしたらこんな事かもしれないなと思った次第である。
ところで、この日は、昼過ぎから『灰とダイヤモンド』『コルチャック先生』の上映があり、夕方からトークがあった。私はこの日は本来、大学に行く日であったが、大学祭で休講であったので開場直後から会場に居座っていた。会場に何やら見覚えのある顔があるなと思っていたら、六甲高校の(私の世界史の授業を選択している)高3生徒であった。『灰とダイヤモンド』終映後、トイレに立った彼の背中をポンと叩いた。振り返った彼の顔が一瞬青ざめたのを私は見逃さなかった。「先生、何でこんなトコに居るんですか?」「おまえこそ、なんでこんなトコにおるんや!」「僕、今日は風邪ひいてる事になってるんです。」「担任の先生には黙っといてやるから、今日の映画の感想を歴史的背景を踏まえてレポートに書け!」翌日、「感動した」と書いたレポートを彼は持ってきた。
追伸: 『ヴィスワ』前号でお知らせした『デカローグ』全10巻を六甲学院宗教部で買いました。そのうち日ポ協会で借りて上映会をやりましょう!
(『WISLA』第16号 1997年4月3日発行)