
六甲学院で『デカローグ』上映される!
置村公男
今年1月『キネマ旬報』紙上で、キエシロフスキの『デカローグ』が東京で上映される事を知った。「関西では半年後くらいかな? 日本橋の国名小劇場あたりでやるのかな?」と期待が膨らむ。2月後半〜3月前半に十三の第七芸術劇場でやると聞くや、早速、前売り券を買った。1回に2話連続で3〜4日毎にプログラムを変えるらしい。年度末で忙しいから、流石に5回も足を運ぶ事はないと思って、とりあえず2回券(2500円)を買った。何話から観ても支障はないという事なので、9話・10話を観に行った。私の予想はもろくも崩れ、以後、私は4回もこの映画館に足を運ぶ事になる。
『ふたりのベロニカ』『トリコロール』で有名なキエシロフスキがヨーロッパで認められるきっかけになったのが、『デカローグ』である。十戒を題材に、現代のワルシャワ市民に起こった出来事が哀感を込めて描かれている。この映画の何が私を虜にしたのであろうか? ある日、私と同様に世界史教師をしている知人と7話・8話を観た後、彼女が話してくれた事がその答えとなっている。『デカローグ』は「神とは何か?」「愛とは何か?」等々、それぞれ重いテーマを扱っているが、元々はテレビ用に作られたので1話50分余りでまとめられている。つまり、必ず話の最後で「落としてくれる」「(分かり易い)落ちをつけてくれる。」のである。このテーマの分かり易さの最大の要因が脚本である。キエシロフスキが自作において、自らも脚本作りに加わるという事はよく知られている。時にはシニカルに、また、時には真摯に語られるセリフには含蓄があり、人生の機微と重みを感じずにはいられない。勿論、映像と音楽の美しさがその効果を高めている。
1988年制作というのもポイントである。資本主義の波に呑まれる前の「古き良き」ワルシャワの市民生活が描かれている。88年と言えば私が初めてポーランドを訪れた年である。あの時の情景が懐かしく思い出される。
という訳で、私は「デカローグ」に魅了されてしまった。そして映画ファンの性(さが)で、素晴らしい映画と出会うと、とにかくその感動を誰かに伝えたくてたまらなくなる。10話全てを観終えた翌日、私は勤務校=六甲中学・高校(以下、単に六甲と記す。)の職員休憩室で映画好きの同僚に『デカローグ』の話をしていた。その直後、私は我が目を疑った。前日の夕刊の隅っこに小さくキエシロフスキの死亡記事が載っていたのである。
映画を観る時、私は他の映画ファンとは異なるある視点で観ている。それは「学校の映画鑑賞会で上映する作品としてふさわしいか否か」という視点である。六甲は中高一貫の男子校で、そこで私は映画鑑賞会を担当している。レンタルビデオが繁盛しているこの御時勢で、そこら辺の映画館やビデオでいつでも観る事の出来る娯楽映画はやりたくないと考えている。勿論、娯楽映画を否定する気は毛頭ない。寧ろ、素晴らしい映画とは娯楽性と社会性・テーマ性とがある映画だと私は思う。裏事情を明かせば、映画会社は映画公開後わずか1〜2年でフィルムをビデオ用に残すだけで処分してしまうのである。従って、私が「観せたい」と思うような古典的名画を上映する事はほとんど不可能なのである。つまり、@最近5年以内の映画で、A学校教育の一貫としてふさわしい社会的テーマ・メッセージ(この辺がいかにも社会科教師という感じだが・・・)が盛り込まれ、Bそこら辺のロードショー映画館でいつでも観る事が出来る作品でもなく、且つC映画としての娯楽性がある(中学・高校生が観て面白いと感じる)映画を選ばねばならないのである(これはかぐや姫の要求に答えるよりも難しい!)。
かねがね、「ポーランド映画を六甲でやりたい」とは思っていたが、これと言った作品が無かった。中学一年生も観るので、彼らの精神年齢も考慮せねばならない。ワイダの古典的名作はフィルム入手が困難だし、キエシロフスキの作品は象徴的で中学生に理解を求めるのは酷である。ところが、『デカローグ』の第1話は小学生の少年が「神ってなに?」という疑問を抱き、科学者で合理主義者の父がその質問に答えられず、敬虔なクリスチャンの叔母がヒントを与えるという話である。「小学生の主人公と同じ視点で観て貰えたら」と私は狙いを定め、第10話が唯一の喜劇でもあるので、「この二つの話なら六甲でもやれる」という確信を得る。
因に第1話「ある運命に関する物語(あなたは私以外の何者をも神としてはならない。)」で主人公の少年に「神って何?」と問われた叔母は彼をしっかと抱きしめ、「何を感じる?」と問返す。少年は“Kocham ci ”と答える。翻訳(映画の字幕・パンフレットのシナリオ採録・文庫本)では「おばさんが好き」「愛している」「暖かい」となっている。「う〜ん、なるほど」と感心してしまう。第8話「ある過去」に関する物語(あなたは隣人に偽証してはならない)ではこんな会話がある。
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「・・・何人にも善の部分があるのよ。状況によって善か悪が顔を出すのよ・・・」(中略)
- 「誰にでもある内部の声よ。」
- 「神という言葉を使わないんですね?」
六甲はイエズス会を経営母体とするカトリックの学校で、校長は神父が務めている。神父や信者の教員から成る宗教教育を担当する部署(宗教部)がある。観たいときにビデオを借りて観る事が出来る。言わばビデオを買って貰うためのデモンストレーションとして映画会を催したというのがここだけの話である。
映画会の前に私は解説をしたが、ざわついて殆ど生徒は聞いてくれない。6時間の授業の後で疲れているのである。「寝たり、雑談するんじゃないかな?」私にとって大事なお気に入りの映画だけに「ないがしろにして欲しくない。やっぱり、映画会でやんない方がよかったかな?」という相反する気持ちも生まれてきた。上映中、私は生徒の座席を殆ど観る事が出来なかった。
ところが、上映中に結構、笑いが起こっているではないか(特に第10話)! 上映後の反応も上々で「第1話は分かり難かったけど、第10話は面白かった」こんな声を何人かの生徒から聞いた。中学生は「何かよう分からんかった」と思っていたようだが、中には変わり者もいて、「第1話よかった、感動したわぁ!」なんて嬉しい事を言ってくれる中学生もいる。「やったぁ〜!」思いもかけない喜びに内心私はほくそえんだ。東京・大阪のミニシアターで1カ月ほど上映されただけの映画である。つまり、日本で『デカローグ』を観た人は多くはない。そんな中、1200人弱の六甲の中学高校生がみて、感動してくれた。この日ほどこの職業に生きがいを感じた事はない。
校内に掲示した『デカローグ』のポスターが数枚残っています。ガビョウの後が何か所かありますが、もしご希望の方がいらしたら、送料実費でお分けします。ご連絡下さい。そして、もし宗教部の先生がビデオ全10巻を買ってくれたら、日ポ協会でもビデオを借り出して『デカローグ』上映会をやりましょう! 但し、全10巻で5万円以上するそうで、財政難の六甲ではちょっと見通しは厳しいようです。
映画会の夜、私はささやかな幸せに、アパートで一人祝杯をあげていた。勿論、酒は UBR WKAで・・・。
(『WISLA』第15号、1996年7月13日発行)