前々から中村年延氏に「ワイダの『パン・タデウシュ物語』が公開されたら、ご一緒させて下さい。」とお願いしていた。映画観賞後のお喋りも映画ファンにとっては楽しみの一つである。ましてや、話し相手が映画のテーマや背景に精通した方ならば、色々と興味深いお話を伺うこともできよう。中村氏ほど『パン・タデウシュ物語』の同行者としてうってつけの方はいない。日本ポーランド協会関西センター会員にしてポーランド史研究会会員、ミツキェヴィッチがご専門とくれば、冒頭のようなお願いを氏にしたのもご理解いただけるであろう。せっかくならばということで、日ポ協会やポ史研の有志にお声をかけることにした。
しかし、残念ながら関西での『パン・タデウシュ物語』公開は当初予定より大幅に遅れた上に、2週間の期間限定となった。土日の昼間時間帯での観劇会実施は叶わず、6月2日(土)午後6時30分からの上映会へのご参集をメールで呼びかけた。当日、会場のガーデンシネマにお集まりになったのは中村氏や私を含め7人であった。そのうちの6人で終映後、茶話会を催す。中村氏からのお話は以下の2点であった。
- 原作にはない最後の場面について。婚礼の祝宴でもって原作は終わるが、その後の場面の描き方がワイダ流のミツキェヴィッチ解釈を表している。その解釈はいたってオーソドックな解釈であること。
- ミツキェヴィッチとユダヤ人問題について。ミツキェヴィッチとユダヤ人との関連について、彼の経歴を紹介しながら、ご説明戴いた。
参加者側からも質問があったが、終映時刻が遅かったこともあり、3〜40分で中村氏はお帰りになった。私個人としても、もっとお話をお伺いしたかったのだが…。

以下は私個人の映画の感想である。とはいえ、藤井和夫先生のご意見と重なる部分も多い。第一に、映像美を指摘することができる。ワイダ作品で田園を舞台とした文芸ものといえば、『白樺の林』『婚礼』がある。両作品の映像は言わば、少し紗をかけたような感じ(茫洋とした画面)であったが、『パン・タデウシュ物語』の映像は非常にクリアーで色鮮やかであった。何も予備知識なく、画像だけを見ればイギリスのガーデニングを思わせるような画面である。また、主人公ヤツェクの臨終場面の陰鬱な画面との対比は非常に印象深い。ワイダ自身が「マンガ」開設5周年式典で同作品を「愉快な映像」と評したり、ポーランド語勉強会に来られたポーランド人が異口同音に映像美に言及されたのも頷ける出来映えであった。
第二に、ワイダ作品にしては珍しい喜劇である点を指摘したい。勿論、悲喜劇と表した方が正確であるが、全編に漂う滑稽味はワイダ映画では珍しいと言える。この点でもイギリスの上質なコメディ、例えばシェークスピア演劇を彷彿とさせるものがある。
最後に難点を指摘するならば、ポーランド史に明るくない方には背景理解が難しいことである。ナポレオン戦争当時の時代背景・リトアニア地域における国家としてのロシア・ポーランドの関係や同地域における民族事情(ロシア人・ポーランド人・ユダヤ人)が分かっていないと理解しにくい。昨年末、「ニュース23」のお正月映画紹介特集を見た。キャスターの筑紫哲也は『パン・タデウシュ物語』をイチオシ作品に挙げていたが、共演者のおすぎは「内容が難しくて一般受けしない」という内容のコメントであった。
それでもなお、祖国の独立と自由は普遍性を有すテーマとして観る人に訴えかけるものがある。ただ、そこにポーランドの特殊事情(歴史や地政学上の問題)が絡んできて、ポーランドに関心のない人(ポーランド素人)には分かりにくくなっている。ポーランド人や、映画を共同制作したフランスの人であれば、分かることも一般の日本人にはなかなか理解できない。ポーランド事情通の我々ならば、素人の方とは異なり、より深い理解と見方が出来るはずである。
藤井先生は映画のラストシーンを観て、この後、待ちうけている更なる苦難の歴史を思い、涙で袖をぬらしたそうである(真偽の程は定かではない?)。この映画は、観る者の民度や異文化理解度(特にポーランド)を図る試金石になっている。東京の岩波ホールに比べ、関西での上映期間が短いのは、もしかすると我々の「ポーランド・オタク」度が見くびられたからかもしれない。正にこの映画は我々が「ポーランド・オタク」であるか否か、そして「ポーランド・オタク」であれば、どの程度の「ポーランド・オタク」かを図るリトマス試験紙であると言えよう。
あなたは、この映画を観て泣けましたか?

(画像は映画のパンフレットより)
(日ポ協会関西センター『WISLA』第25号 2001年6月30日発行)