
ポーランド・シネマサロン
―映画とポーランドについての四方山話(よもやまばなし)―
置村公男
その5:『ある党員の履歴書』を観る
2000年6月に出張で上京した。東京は(サブ)カルチャーの情報量が関西より多い。今回も予め『ぴあ』を買い、予習をした上での出張であった。私が狙いをつけたのは下北沢の小劇場である。以前、よみうりテレビの情報番組「大阪ほんわかテレビ」(日曜午後10時30分〜)で紹介されてから、注目していた劇場である。その劇場でキェシロフスキの『ある党員の履歴書』を上映していたからである。
ワイダが政治的メッセージ性の高い映画を作るのに対して、キェシロフスキは内省的な映画を作るというイメージが私にはあった。しかし、キェシロフスキの生涯で二度、政治と深く関わった時期があったという。一つは1968年の三月事件(三月事件については『ヴィスワ』20号、拙稿「‘98夏・ポーランド3部作+1:スキンヘッドの背景にあるもの」を参照)との関わりである。あと一つが1970年代半ば、『ある党員の履歴書』を作った頃である。共産党(ポーランド統一労働者党)の非民主性を告発する本作は実際に、党をパージされた人々によって作られている。党の訴追委員会にかけられる主人公の党員のほか、訴追委員会の委員達も実際には党から追放されたメンバーである。後の作品同様、ドキュメンタリー・フィルムを思わせる映像はキェシロフスキの本領発揮と言うところである。実際に、ある委員会を取材して(委員会の模様をビデオに収めて)、この映画を作ったということで実に生々しい映像となっている。45分の小品ながらさすがの出来映えであった。
このような作品が今ごろに改めて公開されるというのも、前号でも紹介したようにポーランド映画事情に変化の兆しが現れてきた証拠であろう。
参考文献:クシシュトフ・キェシロフスキ(和久木みさ子訳)『キェシロフスキの世界』河出書房新社、1996年。
その6:ワイダ新作情報
2000年11月、私は映画祭の「はしご」をした。よく通う神戸や大阪の映画館に加え、宝塚映画祭・神戸100年映画祭・大阪ヨーロッパ映画祭・国立民族学博物館の「進化する映像」展・「ゴダールの『映画史』」などで1か月に見た映画の本数は40本となった。
その中で、神戸100年映画祭での大竹洋子氏(東京国際映画祭女性映画週間ディレクター)のお話を紹介したい。彼女は1999年11月、日本美術技術文化センター(マンガ)開設5周年式典に出席した時にワイダ本人から近況を聞いたそうである。ポイントは三点である。第一に、マンガ5周年記念式典では、ワイダ本人が日本で撮った写真も展示されていたということ。特にワイダのお気に入りは姫路城の写真である。1996年11月に第1回神戸100年映画祭で来神した折に、忙しいスケジュールの合間を縫って、ワイダ本人の強い希望により訪れた姫路城を撮った写真である。ワイダは戦災に遭わなかった姫路城(姫路の街自体は空襲を受けている。)を同じく戦災に遭わなかったクラクフの古い街並と重ね合わせているのかもしれない。姫路出身で、ポーランドからの客人を姫路城に案内したこともある私としても非常に嬉しいニュースであった。
第二に、ワイダの新作映画『パン・タデウシュ』について。19世紀ポーランド・ロマン主義を代表する詩人アダム・ミツキェヴィチの作品を忠実に映画化したものである。ワイダはこの作品を「楽天的な映像」と表現したそうである。この言葉の意味を先日(2000年11月24日)のポーランド語勉強会に特別参加されたご夫妻(ご主人が関西学院大学客員教授として短期来日)が説明してくれた。つまり、ポーランド東北部の田園地帯の映像が非常に美しいのである。ミツキェヴィチと言えば、現在のリトアニア地域の出身で、「リトアニア、我が故郷よ」の言葉は有名である。そしてワイダ自身もリトアニアに深い愛着と郷愁を抱いている。しかし、リトアニアは現在、ポーランドとは別の国になっているので、原作の舞台であるリトアニアではなく、ポーランド東北部の田舎での撮影となったのであろう。リトアニアへのワイダの思いは拙稿「ワイダ映画のユダヤ人」(『ヴィスワ』第17号)でも引用したアンジェイ・ワイダ、高野悦子『ワイダの世界』(岩波ブックレット107、1988年)を参照されたい。『パン・タデウシュ』は岩波ホールで12月16日より公開となる。関西では新世紀早々の公開となるのであろうか。楽しみである。
最後にワイダの次回作について。1999年11月14日のシンポジウム「移行期ポーランドの光と影」(日ポ協会主催)でパネリストとして講演されたワルシャワ在住の松本照男氏は『パン・タデウシュ』は「ワイダの遺言」という旨のお話をされた。しかし巨匠は老いても、彼の創作意欲は衰えを知らない。ワイダ次回作のテーマは「カティンの森」である。「カティンの森」事件についてはロベルト・グリンスキ監督も映画化を試みている(『ヴィスワ』20号、拙稿「‘98夏・ポーランド3部作+1:スキンヘッドの背景にあるもの」を参照)。騎兵隊として第二次世界大戦に出征し、不帰となったワイダの父親も、もしかすると「カティンの森」事件の犠牲者の一人かもしれない。同事件が相次いで映画の題材となるということは、ポーランドにおいてタブーとされてきた現代史の暗部についても見直しが始まったことを示している。何年後になるか分からないが、両監督の作品を観比べてみたいものである。
(日ポ協会関西センター『WISLA』第24号 2000年12月発行)