ポーランド関連映画特集

『戦場のピアニスト』の位置


森本等





 「敗者は映像を持たない」(*1)と大島渚は言った。東京大空襲、沖縄決戦を日本人がカメラにおさめたことはなかったし、アウシュヴィッツの内部をユダヤ人が撮影したフィルムは存在しない。死の危険にさらされている者には、状況を記録しておこうなどという考える余裕はない。映像は常に勝者、権力者のためのものであるとも言えるだろう。マイノリティー、例えばロマは映像を持っているだろうか。従軍慰安婦、731部隊の人体実験の被害者は映像を持っているだろうか。「アウシュヴィッツの灰がハリウッドで黄金に化ける」(*2)とハンス・ユルゲン・ジーバーベルクは皮肉った。ハリウッドは主にユダヤ人による産業であるということは周知の事実である。『戦場のピアニスト』も、富も名声も手に入れたポランスキーが撮ったという点で、この種の批判を受けるかもしれない。ヴワディスワフ・シュピルマンやロマン・ポランスキーは戦後、“勝者”になったかもしれないが、戦争中は迫害されていた。戦争中の出来事を証言する為にシュピルマンは戦後まもなく手記を出版したが、ポランスキーは戦争時の体験については1984年に自伝で語るまではほとんど言及せず、1981年に初めて戦争についての映画を撮りたいと話した。ポランスキーにとっては自分のトラウマ的記憶を語れるようになるのに何十年もの時間が必要であったということだ。『戦場のピアニスト』を撮るに際して自分の好きなように映像を作ることが出きる立場にいること、「映画史を通してユダヤ人の受難の物語は、作品の素材として常に特権的な位置をあてがわれてきた。」(*2)という側面は否定できないのだが、『戦場のピアニスト』を考える場合に重要なのポランスキーが戦争についての映画を撮りたいと話すことができるようになるまでに戦後三十数年かかり、実現されるまでにはさらに二十年待たねばならなかったということではないだろうか。

 ホロコーストついては、歴史、記憶、想起、証言、忘却、隠蔽、真実、修正主義、正当化、反省、責任、表象不可能性などの観点からすでに幾度も論じられてきた。人は歴史を馴化、都合の悪いものは忘れるか隠そうとするものだが、それではいけないというのが一般的な論調だ。イェドヴァブネ問題の浮上もその一環である。歴史は語り継いでいかなければならないのだが、ホロコーストの問題においては、語るというところで躓いてしまう。トラウマとは物語にならない記憶のことである。「トラウマ記憶に苦しむ状態から回復するためには、この記憶は物語へともたらされなければならない。しかし、物語らずにはいられないのに、物語ることは困難である。」(*3)語られずにいる物語がホロコーストには潜んでいるということだ。では、「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」(ウィトゲンシュテイン)のだろうか。「語ることは不可能だ。そして、語らずにいることも不可能」*3なのである。語れるようになってもその物語は不完全であることが多いだろう。その余白の部分はいかにして埋められうるのだろうか。映画を見るとき我々は描かれているものを目にするのだが、描かれていないもの、描かれてこなかったものについても注意を払うべきである。

 ホロコーストについての映画『ショアー』(1985)の作者クロード・ランズマンはこう語った。「ある絶対の恐怖が伝達不可能である以上、自分の周囲に踏み越すことのできない限界を炎の輪のように作り出す。この限界を踏み越えようとすることは、最も重大な侵犯行為を犯すことにほかならない。フィクションとは一つの侵犯行為である。」(*4)ホロコーストについて事実をねじ曲げるようなフィクションを作るということは死者に対する冒涜的行為である。しかし、ドキュメンタリーをもってしてもホロコーストを表象できないだろう。フィルムはないのだから。また、フィルムが存在していても我々はそれを見ることができるだろうか。「もしもそんなフィルムを見つけたら、私はそれを人に見せないばかりか、破棄してしまうことだろう。」(*4)とランズマンは言う。厳密に言えばホロコーストとは、表象不可能なものであり、かつ鑑賞不可能なものかもしれない。しかし、我々は過去を知らねばならない。

 『シンドラーのリスト』『ライフ・イズ・ビューティフル』『この素晴らしき世界』などホロコーストを扱う映画が最近増えてきた。ここでは『シンドラーのリスト』のみを取りあげ、他の作者がそれぞれどのような立場からホロコーストを描いているのかについては追究しない。ランズマンの指摘する通り、この映画がユダヤ人を助けるドイツ人個人を通してしか描かれていないというのが非難されるべき点である。『シンドラーのリスト』は「アウシュヴィッツから救出されたユダヤ人たちが最後にイスラエルに移住し、今ではそこの墓に安らかに眠るというハッピーエンド」(*2)によって締めくくられている。ホロコーストを生き延びたユダヤ人がイスラエルに行ったことを示すことにより、スピルバーグは政治の問題にすり違えている。また、ランズマンに言わせると、スピルバーグは「現実の事件を知らないままに悲劇を物語として再構築することの過ち」(*4)を犯している。尤もポランスキーは『シンドラーのリスト』について惜しみない賛辞を送っているのだが。

 表象不可能性という問題に立ちかえってみたい。ホロコーストを語るということは如何にして可能なのだろうか。過去の映像を挿入せず、歴史の証人にトラウマ的記憶を何とか物語らせようとし、その表情を記録するという手段をランズマンは『ショアー』において用いた。一つの解決策である。映画における他の手段は史実に忠実な脚本に基づくフィクションと限りなく現実らしいフィクションである。『戦場のピアニスト』に属している。『戦場のピアニスト』は、戦争を生き延びたシュピルマンの回想録を読んだポランスキーが、自らの体験と重ね合わせて描いた物語である。それゆえ、結局はポランスキーとシュピルマンの記憶に集約してしまうという謗りは免れない。しかし、実際に迫害される側として戦争を経験した個人を主人公としている点で『シンドラーのリスト』とは明らかに異なるし、ある経験が物語られる時、ミクロのレヴェルではやはり個人にたどりつく。シュピルマンがピアニストという特権的な立場にあることをさしひいても、ホロコーストを生き延びた人々との共通の苦しみを味わっているだろう。ポランスキーは主人公にほとんど話させなかった。無言の表情は時に言葉より雄弁である。ポランスキーは収容所にいたわけではないので、収容所内部の様子を知ってはいないし、生還者が死者達の代弁者になることは可能だろうか。ホロコーストによって死んだ人々の記憶についてはこの映画では表現されていないし、ポランスキーもシュピルマンもそのことは念頭においていないのではないか。『戦場のピアニスト』はポランスキーが自分のトラウマを成仏させるべく作った映画と見ることもできる。

 『ショアー』のようなドキュメンタリー映画は撮影者の侵入する権利のない当事者の心の領域にまで入り込んでしまうという危険性と隣り合わせである。フィクションのほうが、ドキュメンタリーよりも制限なく自由に描けるのかもしれない。実はポランスキーは戦争の悲惨さの描写を第一としたかったわけではなかった。戦争終結時の解放感の素晴らしさ、生きる喜びを実感した瞬間だと言っている。映画の中で、戦争終結時のシーンは最後のほんの一部分であるのだが、そこへ至るまでに描写しなければならなかったことが多かった。やはり、戦争中の経験も物語りたかったのである。そちらに重点がおかれているようだ。

 言及されていないものを探ってみることも重要である。『戦場のピアニスト』の中でポランスキーが描かなかったものは母親や家族への感情である。隠れ家で何も語らないシュピルマンが、家族のことを考えていたということはありうるのだが、自伝やインタビューで家族のことが心配だったと語っていたポランスキーがシュピルマンには何も語らせてはいない。様々な推測はできるが、ここではただ母親について語られていないことを記しておきたい。

 ホロコーストについての映画を如何に“正しく”描くかという問題は解決しようのない難問である。『戦場のピアニスト』のラストはハッピーエンドではなかった。シュピルマンの表情はただ嬉しそうなだけではなかったはずだ。あのラストを見て、“ハリウッド的”だと思う観客もいるだろうが、そもそもどんな結末を考えてみても、皆を納得させられるものは生まれないだろう。ポランスキーは自分の体験を語らずにはいられなかった。ホロコーストという問題自体がそのような性質を持っているのだから。『戦場のピアニスト』は終戦後五十年以上の年を経て、戦争を生き延びたポランスキーが自らも経験したホロコーストについて書いたシュピルマンの回想録を、自分の体験と重ね合わせながら描いた、ホロコーストの物語である。

参考文献
*1 大島渚『体験的戦後映像論』、朝日新聞社、1975年。
*2 四方田犬彦『映画と表象不可能性』、産業図書、2003年。
*3 宮本久雄、岡部雄三編『「語りえぬもの」からの問いかけ』、講談社、2002年。
*4 鵜飼哲・高橋哲哉編『ショアーの衝撃』、未来社、1995年。
*尚、ポランスキーがいかなる過程を経て『戦場のピアニスト』を撮るにいたったかについては、以下のサイト上の拙稿「ロマン・ポランスキー『戦場のピアニスト』への道程」を参照されたい。 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/sekiguchi/teksty/

(日ポ協会関西センター『WISLA』第30号 2003年9月31日発行)