ソポト語学学校体験記
神尾信光
僕は現在クラクフで留学生活を送っている。日本を発ちポーランドの生活が始まったのは昨年('97年)の6月29日からである。あれから既に9ヶ月以上が経った事になる。最初のポーランド生活はワルシャワで始まったものの7月5日にはソポトの語学学校のサマースクールに参加するためソポトへ向かった。ソポトの語学学校はこれまで余り日本人には知られていないスポットだったと思う。よってこの学校の様子を断片的にでも紹介し、これによってソポトの雰囲気が伝えることが出来たら幸甚である。しかし、何分記憶が曖昧な為、自分の日記を頼りに僕の個人的なソポト語学学校体験記を記したい。以下、時系列に記述する。
5日 早朝にワルシャワ中央駅からソポト行の列車に乗る。二等車だった。朝食も列車内のワゴンでとった。ポーランド人の酔っ払いに話し掛けられる。この男はグダインスクまで5時間余りずっと僕に向かってしゃべり続け、こっちがずっと分かっていると勘違いし、僕は分っている振りをするので精一杯だった。二等車は人も多いので疲れた。正午過ぎにソポト到着(5時間くらい)。ホ−ムステイ先はアパートの三階で、離婚した女性とその子供二人、そして一つのブロックを他の世帯と共同で暮らしている”典型的な”ポーランド人の家となった。以前西側の国で経験したホームステイとは違って、食事も洗濯も自分でやることになる(値段は1日20ズウォティ)。まったくポーランド人の生活は一言で言えば質素そのものだった。僕もここでは十分のお金を用意していなかったのでこの生活様式にすっかり適応してしまった。さっそく着いたその日に荷物を部屋に置いて列車でマルボルクに一泊旅行に出かけた。ホテルは日本のガイドプックにも載っていたZbyszkoホテルに泊まる。値段をあまり気にしなければ城の隣にあるHOTEL ZAMEKをお勧めしたい。
夜一人で夕食をホテルの下のレストランでとっていたらまた酔っぱらい風の男が話し掛けてきた。こっちに来てから酔っ払いばかりに話し掛けられてる。ポーランドは本当に酔っ払いが多いと思った。
6日 朝、ZAMEKを見学。そして午後にはここを離れた。ソポト行の列車の中でチケットが有効で無かった為、車掌から罰金を取られた。きっとこの罰金は彼の懐に直接入ったと思われる(外人だと分ると容赦しないので注意)。ソポトの中心街を歩く。大勢の金持ちそうなポーランド人(実はドイツ人)が休暇をここで過ごしていた。町並みは南仏にいるかの錯覚を受ける。こんな所に日本人が歩いているのが予ほど珍しいのかみんなからじろじろ見られた(特に子供は性質が悪いので注意)。
7日 学校初日。授業は8時半から。生徒は全員で30人位。5クラス中僕は一番上のクラスに入ったが僕がその中でダントツー番下手だった。クラスの構成はアメリカ人3人、ドイツ人、スイス人、ルクセンブルク人と日本人の7名。全体でもアジア系は唯一僕だけだった。このクラスより下は恐らくポーランド語がほとんど出来なかったのではないだろうか。覚えている限り自分のクラス以外の人とはいつも英語で会話していた気がする(むこうもこっちができないと思って気を使っていたのかもしれないが)。自分のクラスの人たちとは出来るだけポーランド語だけで会話をするよう努力した。ここの学校のカリキュラムは毎日同じ先生が8時半から途中休憩を挟んで1時15分まで授業を行う。特に厳密なカリキュラムはなかったが前半文法、後半会話という構成だった。その後は毎日、映画鑑賞、コンサート、遠足等のプログラムが用意されている。食事はクラクフに留学していたドイツ人とこれから留学予定のアメリカ人と僕の3人でよく−緒に近くの学生寮内の安い食堂でとっていた(2〜3ズウォティだったと思う)。この時期の夜は10時でも未だ明るかった。気候も暑かった日本と違って蒸し暑くなくクーラーなど無くても快適に過ごせる。しかし、夜は急激に寒くなる事があるので注意。
8日 授業の中身は僕にとってはきつかった。毎回会話のテーマが前もって決められているので前日に話す内容を考えなくてはならない。しかし、文法がまだ頭に入っておらず今考えると格変化をまったく気にしないひどい会話をしていたと思う。授業後は毎日学校の何かしらの催し物がありできるだけ参加していた。ホームステイ先の女将(ホストマザーと呼ぶべきか)が友達を集めて夕食に招待してもらった。僕がポーランド人とのコンタクトが無いと文句を言っていたので気を使ってくれたのだろう。
9日 今日はグダインスクへ学校のみんなで遠足(ここからグダインスクまでは電車で2ズウォティ、20分位で到着)。グダインスタでは英語ガイドに市中引き回しにされ、疲れた。しかし、街並みはさすが綺麗で、連帯の発祥地「グダインスク造船所」に来た時は感動した。夜はソポトの中心地を散歩した。ペンチでボーッとしていると一人の日本人(ドイツの楽団で働いている人)に話し掛けられ夜飲みに行った。
10日 授業は天気と自国の紹介。時間切れで日本の紹介は明月に延期。昨日知合った日本人の人とまたグダインスクヘ行った。「緑の門」の下で4重奏をしていたポーランド人の音楽に感勤してしまった。スラブ系の静かな情熱が音を聞いているだけで伝わってきて心を打たれた。またそれに加えビオラを弾いていた女性が見とれてしまう程美しかった。Dluga通り(グダインスクのメイン通り)のJuntarというホテルは経済的でロケーションが最高、お勧めである。
11日 授業で30分間日本の紹介。めちゃくちゃな僕のポーランド語をみんな辛抱強く聞いてくれた。大きな問題は動詞の活用だった。街を歩いていると中国人の人が話し掛けてきた。この街の中国系ホテルを経営しているそうだ。彼に食事をご馳走になる。夕方は学校のみんなでオリーバの教会へ行く。そこで国際オルガンフェスティバルが開催されていた。夜はクラスの人達と飲みに行った。余談ながら駅のホームで僕は Nie Smiecic(散らかすな)を Nie Smierc(死ぬな)と間違え大爆笑された。この日はウォッカが相当まわり泥酔してしまった(ウォッカは飲みやすいがアルコール度が高いので飲み過ぎに注意)。
12日 ホームステイ先の隣の部屋にも学校の生徒が泊まっている。ドイツ人の女性で何時も愛想がよく、僕がいつも寝坊するので彼女は僕の部屋を親切にも毎朝ノックしてくれた。今日は土曜日でグディニアへの遠足だったのだが雨と寝坊(起してくれたのに)で取りやめ、午後一人でヴェステルプラッテ(第二次世界大戦が勃発した所)に船でいった。ソポトの良いところは各町まで船を使っていけるところにある。その後グダインスクの国立美術館(ここには有名な「最後の裁判」がある・・)へ行った。街を歩いていると本当に子供にはめちゃくちゃな中国語で話し掛けられるし、老人には韓国人やベトナム人に間違えられる。彼らにはアジア人はみんな同じだと思っているらしい。ポーランド料理は日本人には少々くどいところがある。もちろんここには日本料理などないがソポトにあるベトナム料理屋は気に入ったので何度もその後通った。店の人達とも話しが色々出来るようになった。夜、フィリピン人らの船員らに話し掛けられ飲みに行った。ベラルーシ人の女性に声を掛けられた(恐らくその筋の商売だりたのだろう)。ペラルーシの事を聞こうと思ったが通じない。あまりの自分の語学カの無さにあきれてしまった。
13日 昼ソポトから出るヘル行の船に乗り遅れ、まず電車でグディニアに行った。タクシーの運転手に市内を案内してもらった。特に注目に値するところはなかった(水族館があまりにもセコイので懐かし気持になってしまったが)。夕方近かったがさらにHelへ向かうことにした。ヘルについたときは既に船も電車もなくホテルを探したがどこもシーズン中で満員。結局バルト海からの夕日を眺めながら一夜を過ごした。途中夏とはいえ夜中は寒く、駅の待合室で始発の電車を待った。辺りは僕以外誰もいなかった。
14日 4時20分の始発に乗り朝の授業に出席。テーマは哲学について。家に帰って直ぐっすりと寝た。脱線すると、ソポトで一泊するならやはり値は少し張ってもGRAND HOTELを絶対お勧めする。料金もこのレベルにしては安いと思う。ここからきっとすばらしいパルト海が一望できると思う(泊まってないのであまり余計なことは書かない)。
15日 昨日の疲れで授業をサボってしまったので授業内容は省略。クラスの生徒は本当に真面目にポーランド語に取り組んでいてバカンス気分なのは僕だけだったかもしれない。午後からまたグダインスクへ行った。大通りの映画館で「Angielski Pacjent」をポーランド語字幕で見た。とてもいい勉強になった。ここの館の上にカサブランカというイングリッシュクラブがある。そこで日本人の音楽留学生らやスウェーデン人らと知合った。終電に乗り何事もなく帰るはずだったが、スティ先の玄関は何と内鍵が掛けられておりドアが開かずベルを何度押しても返答なし。困った挙げ句、今日知合った日本人の音楽留学生の所に連絡をして泊めてもらった。
16日 学校。午後はクラスのみんなでブルーノ・シュルツの展覧会に行き、そこで映画「Sanatorium pod klepsydra」を観る。ポーランド語字幕だけで内容はついていけなかったが、なんとも奇妙な映画だった。
17日 学校が終わって、買物をして、洗濯をして、料理を作って、とすっかり専業主婦化していた。ポーランドではこの日、ブロツワフの地域で洪水があり、大きな被害を被ったらしい。しかしこっちには何も影響なし。お金の話をすると、僕はソポトに来る前、銀行でお金が下ろせず資金不足のままこちもに来てしまった。しかし、こっちにきて学費、宿泊費、食事代以外ほとんど使うものが無かった。物価も驚くほど安くはないが、レストランの食事代などはワルシャワの半分で済んだ(因みにワルシャワは日本並に高い)。
18日 授業では日本の伝統について話をした。真面目に話しても仕方が無いと思い、日本のキリスト教行事(クリスマス・イブとバレンタインディ等)と漫画について話をした。これが生徒にとてもうけた。ソポト滞在中、TVやラジオなどのメディアから隔離されており、新聞も読めず、まったく余計な情報が入らず、日本では味わう事の無いまったく自由な時間を過ごせたと思う。
19日 土曜日。トルンヘ出かけた。電車内でポーランド人の若者とおしゃべり。ポーランド人の若い人はこっちがポーランド語で話しをしても英語で返してくる。どうやら英語が話したいらしい。こういうことはその後何度もあった。概してポーランド人には珍しがってよくじろじろ見られたが、差別的な扱いは特に受けていないし、むしろ好意的で親切。そしておまけに女性がとても綺麗。トルンの町並みは中世の佇まいで綺麗な町。ホテルはZajazd Staropolski(100ズウォティ)に泊まった。観光は中心街周辺を簡単に散歩した程度。
20日 朝コペルニクスの家の美術館へ足を運ぶ(無料だった)。午前中にはトルンを去った。途中ビドゴシチに停車。ここで昼食をとりタクシーの運転手に頼んで少し観光をしてもらった。しかしこの運転手いわくこの街には見る価値のあるものが何も無いそうだ。運転手に30ズウォティを払うと彼は今日は仕事は終わりと言い出し僕にコーヒーを奢ってくれ電車の出発まで話し相手になってくれた。夕方ソポト到着。
21日 この時期あたりから授業中しゃべれる量も理解度も増してきた。クラスの雰囲気も良いし、楽しい。授業外でもポーランド語だけになってきた。ここで過ごしていると経済感覚がポーランド人に益々近づいてきた。ちょっと高い買物に躊躇するようになってくる。ここの学校の生徒のポーランド語を学ぶ主な理由は尋ねた限り、1.両親がポーランド系、2.彼氏又は彼女がポーランド人、3.ポーランドで働いている、4.スラブ学を大学で専攻している、であった。
22日 授業はグダインスク大学の先生がポーランドの政治について講義。午後は隣の部屋のドイツ人女性とおしゃべり。彼女は戦前シロンスク地帯に住んでおり戦後の領土の変更によって強制的に追い出され今はハノーバーに住んでいるとのこと。しかし今でもこの地帯を自分の土地だと思っている。彼女はそこに住むためポーランド語勉強している。これほどポーランド語が難しいとは思わなかったと愚痴をこぼしていた(この記述で分かる通り彼女は実はかなりの年配者なのである)。
23日 クラスで映画「約束の土地」を観た。そして今月が僕にとって1週間早いソポト語学学校最終日。ワルシャワのサマースクールに参加するためである。校長からDYPLOMを貰い生徒達とも別れの挨拶、住所の交換等。グダインスクで知合った人達とも会う。偶然、こちらにたまたま来ていた日本の海外青年協力隊の人達らとも出会う。女性に囲まれた一日。夜、荷物をまとめた。
24日 実はホストファミリーは出稼ぎに出てしまい彼らの顔を見たのは最初の一週間のみ。結局別れの挨拶は出来ず同居人に伝言を残す。ソポトを離れた。偶然、前述の中国人と一緒の電車になった。また、同室にBialystokのおばさんと子供がいて楽しく会話が出来た。やはり一等車の方がポーランド人と仲良くなる可能性が高いと思った。ワルシャワに到着。ワルシャワが大都会に思えた。またタクシーの料金が法外に高く思え乗れなくなってしまった。食事もソポトの癖でついBal mlecznyに入ってしまう。どの店員もこっちが挨拶をしてもただ無言、なんて愛想が無いんだと思った。ワルシャワのアパートに戻り、ソポト滞在中ずっと伸ばしていた髭をここにきてようやく剃った。夜トラムに乗っているとポーランド人が話し掛けてきて、日本人かと聞かれそうだと応えると日本語を流暢に話し始めた。日本の大学に長く留学していたらしい。彼が後日ワルシャワ滞在中、ポーランド語教えてくれることになる。
ここまでが僕のソポト滞在中の日記の概要である。感想もできるだけ当時の記録のまま記した。ソポトにいる間、Elblag、Fromborkにも足を伸ばすことも可能である。残念ながらソポトの1タームを修了させずにワルシャワに帰ってしまったのでその後のソポトの様子はお伝えできない。簡単にワルシャワとソポトのサマースクールを比較するとワルシャワのサマースクールの生徒数が300名以上に対しソポトは30名程度。人数が多い方がいろんな人と友達になれて楽しいが、授業の密度を考えれば圧倒的にソポトの方が授業中しゃべる量は多い。生徒もワルシャワがバカンス気分に対して、ソポトは比較的に皆真面目に授業に取り組んでいた。ソポトは小さい街なので人と簡単に知合いになれるのは大きな利点だと思う。治安面でも個人的な経験だけで云うのは申し訳ないが盗難・障害等の危険な目にはまったく会わなかった(しかし、ソポトのモンテカシノ通りのNIGHT CLUBの類はマフィアが集まっているので注意)。またグダインスクは何度いっても価値のある街だと思う。補足として、ソポト長期滞在経験者からの情報によると、シーズンオフはさらに生徒が激減、学校全体で5名位の時もあるそうである(夜間コースもある)。以上大変個人的且独断的な体験記で大変申し訳ないが、この記録によってソポト留学予定者がなんらかのソポトの大枠なイメージをもって頂けたら幸いである。
(かみお のぶみつ 1998年4月30日)
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