クライス神父からの手紙

秋田ポーランド国際交流事業で来日して


ヒエロニム・クライス(O. Hieronim St. Kreis OSB)
ティニェツ、使徒聖ピョトル・聖パウロ‐ベネディクト大修道院修道士





 私が生け花に取り組み始めたのは1990年のことです。最初はヘンリク・リプシッツ駐日大使時代に東京のポーランド大使館で働いていたバルバラ・スウォムカさんの指導のもと、草月流の教科書で勉強しました。練習のため生けた花は、ティニェツの教会に飾るようにしていました。ベネディクト修道士である自分にとって日本を訪れることは夢のまた夢でした。潜在意識の中でさえあり得ないことでした。

 2003年11月3日〜12日の日本への旅は、10日間“目を開けたまま夢を見ている”ような状態でした。総勢9名。私のほかの8名はステファン・トンドルィク先生のもとで柔道の練習に励んでいるチャニェツ柔道クラブの面々でした。

 私たちの来日が実現したのは加藤智子さんのお陰です。彼女はポーランド南部チャニエツ村で青年海外協力隊員として活動していました。今回の事業を先頭にたって進めてきた(まれにみる献身的行為です)加藤智子さんには本当に感謝しています。そして彼女と一緒にこの秋田ポーランド国際交流事業を準備段階から支えてきたのは青年海外協力隊秋田県OB会のみなさんです。皆さん、どうもありがとうございました。

 私個人にとりまして、この来日で最も重要だったのは、生け花に関わる全てのことでした。

 秋田榮太楼旅館での根本柳月先生のご尽力の元、池坊、千家、小原、草月、龍生各派の名手たちとの出会いは私にとって稀有の体験となりました。この集まりの時にいただいた教科書はわたしの宝物です。そのときに、大阪市にある乙女印剣山の渇ェ伊工作所社長・岡武司(おか たけし)氏から剣山を贈っていただいたこと(いただくのは今回が初めてではない)もまた私にとって貴重なことでした。剣山はポーランドでは入手できない道具だからです。

 秋田市文化会館での生け花展は大きな印象を与えてくれました。11月7日と9日、私は多数の生け花流派の当今の探求成果を示す320余りの作品を鑑賞することができました。まさに愉悦に満ちた体験でした。

 滞在中には、日本の日常生活そして茶席のような特別な席における生け花の存在を知ることができました。



   秋の色に染まった秋田市金足の日本庭園『水心苑』訪問は格別に楽しいひと時でした。できることなら数日間留まっていたかったほどです。理想的な天気に恵まれました。雲はあったものの陽光に満ち、そのお陰でひとつ所に立ち止まったまま、苑内を自在に変化する光の踊りを追うことができました。

 秋田榮太楼旅館での裏千家淡交会永井社中のみなさんがご用意してくださった茶席は、無類のできごととして私の記憶に残るでしょう。ポーランドですでに数回、茶席に参加しましたが、それはいつも即興的な条件の下でした。しかしこちらは茶室という独特の場所、茶席の主人がかもし出す特別な雰囲気、そして錚々たる客人たち(その中にはかつて在ポーランド大使であられた兵藤長雄氏とご夫人のお姿がありました)、それらが特有の空気を作り出していました。そして驚いたことに、朝の起きがけに風邪気味で気分がすぐれなかったにも関わらず、二碗の茶がわたしを元気にさせてくれたのです。

 遊学舎のシンポジウムで私は、ポーランドに滞在する日本人たちとの個人的な関係で得たものを出席者と共有することができました。重要かつ不可欠な公的活動の他に私的なコンタクトを持つことは何にも変えがたい体験になるとわたしは考えています。人と人との出会いの中で自分の財産を個人的に分かち合うことは常に創造的探求への教示です。

 他のパネラーの発言を聞きながら、わたしは外国人が、そして日本人自身が日本の伝統を認識する形態には実に多種多様なものがあることを知りました。さらに新たな力と共に自らのアイデンティティの意味をも自覚しました。分かち合うためには、有するものがなければなりません。大事なのは継承した財産、伝統です。自分の中の何かを他に与えるためには、自分は常に何者かでなければなりません。贈り物を与えることは相手の幸せを念頭に入れた人間の自由な決断なのです。



   非常に良かったのは、本番のシンポジウム同様に田口雅弘教授が進行役を務めた打ち合わせでした。パネラーたちは発言予定の内容をお互いに共有し、聴衆にとってもっとも大事な情報を選び出しました。そのおかげでシンポジウムはスムーズに進行し、実質的で、聴衆にとって理解しやすいものとなりました。多くの成果が未来に向けて実を結ぶことを期待しています。私が関心を寄せる領域について言えば、生け花流派のどなたかが、ポーランドに公式支部を開設してくださることを待ちたいです。この分野でポーランド、日本双方にとっての利益がもたらされることを期待すべきです。



 シンポジウム終了後に榮太楼旅館において行われた交流会は、私にとって日本文化をより身近に実感する機会となりました。何よりもポーランド人と日本人がいかに共に愉しむかを目の当たりにすることができました。交流会の雰囲気は忘れることのできない素晴らしいものでした。実はポーランドを出るときは、日本人というのは非常に堅苦しい、他人との間に距離を置く人種だと思っていました。ところが来て見ると、非常にもてなしが好きで、心の温かい人たちだということがわかったのです。それは非常に嬉しい驚きでした。



 もうひとつ驚いたのは、秋田県および大曲市の地元トップの方たちが、表敬訪問をしに来たポーランドの小さなグループの私たちのために、わざわざ時間を割いてくださったことです。もちろん、魁新聞社の表敬訪問も忘れられません。私たちのために新聞に大きく載せてくださいました。そのためチャニエツの柔道クラブの子どもたちは、秋田の皆さんに柔道着のお礼を報告することが出来ました。ありがとうございました。

 角館訪問も印象深く忘れられません。弓道のデモンストレーション…そして地元博物館で見た桜の樹皮の多彩な工芸品。この工芸品は宿にも置いてあり、芸術的職人仕事のレベルの高さにいつも驚かされました。このような博物館の存在自体、多くを考えさせられます。ポーランドでは社会主義時代に職人仕事は荒廃しました。かろうじて生き延びたものでさえ多くの場合は展示したり、振興促進したりする段階には達していません。武家屋敷を訪れる時間がなかったのは非常に残念です。

 日本では本当に我が家にいるようなくつろぎを覚えました。それは通訳の三井レナータさんと石川グラジナさんの尽力によるものです。私は英語がだめなのでポーランド語で話しましたが、私の話したポーランド語は日本語となって聴衆に届き、一方彼らの発言はポーランド語に訳されて私に届きました。何と贅沢な状況でしょう。公的な仕事の時間はもちろんのこと、非公式な集まりの場でも通訳のお二人は素晴らしく、ポーランド人が持つユーモアのセンスを失っていないことを証明してくれました。

 秋田の宿泊先であった榮太楼旅館ならびに角館の花葉館では、細かいところの心配りをしてくださり、本当に感謝しています。生活習慣の少し違う私たちでしたが、順日本風でありながらでも、異文化の人間たちが快適に過ごすことの出来るようにとのご配慮は心に暖かいものを感じました。  また滞在中ずっとお世話になり、何かと手を差し伸べてくれた加藤智子さんにも深く感謝しています。彼女は案内人であると同時に私たちの利益の代表者でもありました。私たちの要求を、しかるべき人にしかるべく提起してくれました。頼りになる人でした。

 私たちが日本滞在という機会を得ることができたのは、名も知らぬ大勢の方たちのお陰です。その方たちのことはずっと忘れません。皆さんのご厚意に深く感謝いたします。ありがとうございました。

 私が住んでいるティニェツの大修道院にはホテルとしての機能はありません。しかしどなたか善良な日本の方がクラクフまで来られることがありましたら、どうぞつかの間でもティニェツにお寄りください。時間を見つけて名所をご案内したいと思っています。

ヒエロニム・クライス(2004.01.18)
(翻訳: 田村和子)



クライス神父の著書

   

秋田・ポーランド国際交流事業シンポジウムのお知らせ(2003.09.06)

Opactwo Benedyktynow Tyniec