藤井和夫
ただ今から、日本ポーランド協会関西センター主催のシンポジウム「ポーランドの貴族とその社会」を始めさせていただきます。「ポーランドの貴族とその社会」というのは、おそらく日本ではあまり馴染みのないテーマだと思います。ご承知のように、ポーランドは今日非常にすごいスピードで社会が変わっています。1989年に旧共産党の体制が崩壊してから市場経済を導入し日々いろんな変化がおきており、2004年頃を目標にEUに正式加盟しようとしてその準備も着々と進んでいるのが現状です。今日お話していただく講師の皆さんは割合若い頃にポーランドに留学されていますが、その留学の頃と比べても現在のポーランドの社会は本当に驚くほどの変化があるんです。けれども、日本ではどうしてもポーランドと言いますと旧社会主義時代のイメージが強いものですから、その歴史というのも、このテーマの貴族ですとかあるいは封建時代の文化や社会というと、いまだにもうひとつピンと来ないところがあるんですね。そういう意味で日本ではなかなかポーランドの貴族やその社会を知る機会が少ないと思いまして、今回そんなちょっと変わったテーマでお話してみたいと思っているわけです。お話しいただく3人の方たちはそれぞれポーランドの歴史を専門にされている方ですが、今日はできるだけ一般的なわかりやすい話をしてくださいとお願いしてあります。私の方で最初にポーランドの歴史と貴族というものについて導入のようなお話をさせていただきます。
そうした流れの中で実はシュラフタが非常に力をつけていくんですね。と言いますのは、ポーランドの国王は、貴族であるシュラフタの力を借りなければ、自分ひとりでドイツ騎士団を打ち破ることはできません。そこで、いろんな形でシュラフタたちと妥協し特権を与えながら、彼らから税金を取ったり、兵を出させたり、ということをやっていくわけです。たとえば年表に1374年の「コシツェの特権」というのがありますけど、これは租税をシュラフタに対して軽くするということを国王が認めます。そのあとリトアニアとの連合がありましてグルンヴァルトでドイツ軍を破りますけれど、1422年には「人身保護律」、つまりシュラフタは裁判によらなければ国王にも拘束されないという、イギリスで17世紀頃ようやく確立できた権利をポーランドのシュラフタは1422年にすでに獲得してるわけです。それからドイツの騎士団との争いはまだずっと続きますので、1454年には「ニェシャヴァの特権」といいまして、シュラフタたちが当時形成していた地方の議会の承認なくしては国王は課税や兵員の動員をかけられない、つまりシュラフタたちの議会のOKが出なければ国王は戦争ができない、そういう特権を貴族が獲得するわけですね。それから1505年、最終的に「ニヒル・ノヴィ」と呼ばれますけども、国王がいろんな法令や政令を出すときに、全部シュラフタの議会が承認しなければ実行できない、つまり法令そのものを国王が出す力を奪ってしまうという特権をシュラフタは手に入れます。| 966 | ピアスト朝ミェシュコ1世、キリスト教に改宗 | <962 神聖ローマ帝国成立> |
| 990頃 | ミェシュコ1世、ほぼ現在の国土統一 | |
| 1138 | 小侯国への分裂開始 | < 1096-1099 第1回十字軍遠征> |
| 1226 | マゾフシェ候、ドイツ騎士団を誘致 | |
| 1241 | モンゴルによる最初のポーランド侵入 | < 1241 ワールシュタットの戦い> |
| 1320 | ヴワディスワフ1世の治世、分国時代終了 | |
| 14世紀半ば | カジミェシュ法典(シュラフタ身分の認定) | |
| 1364 | クラクフ・アカデミア創立(1400年改組) | <1337-1453 百年戦争> |
| 1374 | シュラフタ、コシツェの特権獲得(税負担軽減) | |
| 1386 | リトアニア大公国と連合、ヤギェウォ王朝開始 | <1400頃〜イタリア・ルネサンス> |
| 1410 | グルンヴァルトの戦い、ドイツ騎士団を破る | |
| 1422 | シュラフタ、「人身保護律」獲得 | |
| 1454 | シュラフタ、ニェシャヴァの特権獲得(課税と動員に地方議会の同意必要) | |
| 1496 | ピョトルクフの特権(都市民の農地獲得制限) | <1492 コロンブス、アメリカ着> |
| 1505 | ラドムの特権(ニヒル・ノヴィ、法律制定に議会同意必要) | |
| 1511 | 農民の移動全面禁止(農奴制確立) | <1517 ルター、宗教改革> |
| 1525 | ドイツ騎士団世俗化(プロイセン公国) | |
| 1535頃 | 「法の執行」運動 | |
| 1543 | コペルニクス地動説発表 | |
| 1569 | 「ルブリンの合同」(王国とリトアニアの結合強化) | |
| 1572 | ヤギェウォ王朝断絶 | |
| 1573 | 貴族による国王自由選挙開始(ヘンリク条項) | |
| 1596 | ジグムント3世、クラクフからワルシャワに遷都 | <1618-48 30年戦争> |
| 1648 | ウクライナでコサックの反乱(フミェルニツキの乱) | |
| 1652 | 最初の「自由拒否権」行使 | |
| 1654 | ロシアとスウェーデンの侵攻(「大洪水」) | |
| 1665 | ルボミルスキの反乱(-66) | |
| 1672 | トルコ、ポーランドに侵入 | <1689 イギリス「権利章典」> |
| 1683 | ヤン・ソビエスキ、ウィーンのトルコ軍撃破 | <1700-21 北方戦争> |
| 1715 | タルノグルト連盟成立(シュラフタの国王に対する軍事的抵抗) | |
| 1733 | ポーランド継承戦争(-35) | <1740-48 オーストリア継承戦争> |
| 1740 | コナルスキ、貴族学院設立 | <1756-63 七年戦争> |
| 1768 | 「バール連盟」結成(-72シュラフタの対ロシア戦争) | |
| 1772 | 第1次ポーランド分割 <1772 『百科全書』完成> | |
| 1791 | 四年国会、「五月三日の憲法」採択 <1789 フランス革命> | |
| 1793 | 第2次ポーランド分割 | |
| 1794 | コシチューシコ蜂起 | |
| 1795 | 第3次ポーランド分割、国家消滅 | |
| 1807 | ナポレオンによりワルシャワ公国建国 | <1804 ナポレオン法典公布> |
| 1815 | ウィーン会議でポーランド王国成立 | |
| 1830 | 11月蜂起(-31、反ロシア) | |
| 1831 | ポーランド王国廃止、ロシア帝国に併合 <1833 ドイツ関税同盟成立> | |
| 1846 | クラクフ蜂起、ガリツィアの虐殺 | |
| 1848 | ヴィエルコポルスカ蜂起(「諸国民の春」) | <1848 二月革命、三月革命> |
| 1863 | 1月蜂起(-64、反ロシア)ロシア領で農奴解放 | <1914-18 第1次世界大戦> |
| 1918 | ポーランド共和国成立(独立回復) | <1917 ロシア革命> |
| 1939 | ドイツ、ポーランド侵攻 | <1939-45 第2次世界大戦> |
| 1945 | 国民統一政府成立 | |
| 1948 | 統一労働者党成立 | |
| 1978 | ヨハネ・パウロ2世推戴 | |
| 1980 | 全国でストライキ。グダンスク協定成立。ギエレク失脚。「連帯」発足 | |
| 1981 | ヤルゼルスキ戒厳令布告 | |
| 1982 | 連帯非合法化 | |
| 1983 | 戒厳令解除。ワレサ、ノーベル平和賞授賞 | |
| 1989 | 円卓会議。自由選挙。ヤルゼルスキ大統領選出、マゾヴィエツキ内閣 | |
| 1990 | ワレサ大統領就任 | |
| 1995 | クファシニェフスキ大統領就任 | |
| 2000 | クファシニェフスキ大統領再選 |

(日ポ協会関西センター『WISLA』第29号 2003年3月31日発行)