「文学の帝王」マルセル・ライヒ=ラニツキ
阿部津津子
「私は半分ポーランド人、半分ドイツ人の、完全なユダヤ人です」(マルセル・ライヒ=ラニツキ)
村上春樹の最近のエッセイ集「村上ラヂオ」はもうお読みになっただろうか?本書106ページから始まる「かなり問題がある」という章の中に、こんな一節がある。
- 先日ドイツの新聞社から手紙が来た。人気のあるテレビの公開文芸批評番組で僕のドイツ語訳「国境の南、太陽の西」が取り上げられ、レフラー女史という高名な文芸批評家が「こんなものはこの番組から追放してしまうべきだ。これは文学ではない。文学的ファースト・フードに過ぎない」と述べた。それに対して80歳になる司会者が立ち上がって熱く弁護した(してくれた)。結局レフラー女史は頭に来て、ふん、こんな不愉快な番組になんか金輪際出演するものですかと、12年間つとめたレギュラー・コメンテーターの座をさっさと降りてしまった。それについてムラカミさんはどう考えますか、という質問の手紙だった。(「村上ラヂオ」から引用)
御存知の方も多いと思うが、この「番組」とは、ZDF(ドイツ第二テレビ)で2ヶ月に一回放映される「文学四重奏」(Literarisches Quartett)で、「80歳になる司会者」とは、文学の帝王とも、法王とも称され、ドイツ最高の文芸批評家として不動の名声を誇るマルセル・ライヒ=ラニツキである。村上春樹の「国境の南、太陽の西」がとりあげられたのは2000年6月30日の放送。詳しくはZDFのホームページを御参照いただきたい(http://www.zdf.de/programm/30061/index.html)。「国境の南、太陽の西」はドイツでは「Gefaehliche Geliebte」(危険な恋人)というタイトルで、Dumont出版社から刊行された(ISBN: 3770147812)。
マルセル・ライヒ=ラニツキは1920年ポーランド中部の都市ヴロツワヴェクの生まれ。少年期に家族とともにベルリンに移住し、学校時代を過ごすが、ユダヤ系であったため1938年にワルシャワ・ゲットーに強制移送される。戦後はポーランドで共産主義者となるが挫折。1958年にドイツに戻り、まもなく文芸批評家としての地位を確立する。マルセル・ライヒ=ラニツキの劇的な経歴は、ベストセラーとなった自伝「我が人生」("Mein Leben", dtv社, ISBN: 3-423-12830-5)に詳しい。本文中ライヒ=ラニツキは1990年のヴィリー・ブラントとの会見を次のように述懐している。氏の人間性に打たれる一節である。
ヴィリー・ブラントは私に、どこでワルシャワ・ゲットーを生き延びたのですかと尋ねた。私はできる限り簡略に答えた。妻のトシャと私は1942年の9月、ドイツ兵の手によって、他の何万人ものユダヤ人とともに、今日ユダヤ人・ゲットーの記念碑が建っている、あの「ワルシャワ広場」に連れてこられたのです。トレブリンカ絶滅収容所行きの列車に乗り込まされる直前の父母の姿をそこで見たのが最後となりました、と。私がこの短い報告を終えた時、誰かの目から涙が流れた。それがヴィリー・ブラントであったのか、私であったのかはもう定かに覚えていない。しかし、はっきりと覚えていることがある。1970年にワルシャワ・ゲットー記念碑の前に跪くドイツ首相の写真を見た時に思ったことだ。その時私はこう思ったのだった。1958年にドイツに戻り、ドイツ連邦共和国に留まる決心をしたことはやはり間違っていなかった。この決心はやはり正しかったのだ、と。(「我が人生」より引用)
1988年3月から13年にわたって、文化番組としては異例の高視聴率を維持し続けてきたこの「文学四重奏」も、今年(2001年)12月14日の放送が最終回となる。ライヒ=ラニツキ自身が番組降板を申し入れたためだ。ドイツの全国紙「ウェルト」2001年8月16日号に掲載されたライヒ=ラニツキのインタビューの部分訳を下記に記す。
ウェルト(以下Q): ZDFは、「文学四重奏」は2001年12月14日の放送が最終回となると発表しました。リューディガー・シュテファンスキとペーター・スロタディイクによる「哲学四重奏」があなたの番組を引き継ぐそうですが、この決定についてどうお考えですか。
マルセル・ライヒ=ラニツキ(以下A): 2002年いっぱいも「文学四重奏」の放送を続けたいというのがZDFの要望でしたが、残念ながら私はこのご要望に応えることができませんでした。放送内容の高レベルを維持するという任務は、私にとってもう大きな負担になってきていました。ZDFは一回の放送で扱う書籍を5冊から4冊に減らしましょうと言ってくれたのですが、多少ましになるとはいえ、これでは足りませんでした。私は「文学四重奏」を止めることにしました。理由は以下の二点です。第一に、放送では年間30冊の本をとりあげるわけですが、30冊の本について議論するためには、おびただしい冊数の本を読まなければならないことは言うまでもないでしょう。しかしこれが私にとっては、大分以前から疲れるし、面倒で、退屈なことになってしまっていました。今日もてはやされているものでも、一年も経てば忘れ去られてしまう類の本があります。こういうものも含めて、私はもう興味がない本を大量に読む気がしないのです。第二に、私は自らの高齢に際し、まだ何か新しいことをやってみたいと思いました。そこで「文学四重奏」を12月で終わりにしたいと願い出たのです。「四重奏」の残りのメンバー、イリス・ラディシュとヘルムート・カラセクは大変残念がりましたが、私の願いを聞き入れてくれました。
Q: 「文学四重奏」の13年間の放送を振り返って、どう総括されますか?
A: 総括するのはまだ早いでしょう。放送は12月まで続くのですから。しかしこれだけは少なくとも現時点で言えると思うことがあります。「文学四重奏」には弱点も欠陥もありましたが、それにもかかわらず、この番組は、ドイツ語圏の国々における文学生活に対し非常に大きな、かつ全体としては肯定的な貢献を果たしたということです。
Q: ZDFで今後どういうご活躍を予定されていますか?
A: 実は、新しいシリーズを放送しようと思っています。一ヶ月に一度、30分の番組で、私一人が担当する、全く新しいタイプのテレビ番組です。私は今後、五重奏も、三重奏も、二重奏もやらない、と以前申しましたね。この番組は私が一人だけで受け持つことになるのです。「マルセル・ライヒ=ラニツキ独奏」というタイトルで「論戦的コメンタール」というサブタイトルを付けてみてはどうでしょうか。この番組は夏休みを除いて月一回のペースで年間を通して放送される予定です。もちろん文学と文学生活を中心に据えますが、関連する他の分野、演劇や映画、オペラなども扱いたいと思っています。いずれもアクチュアルな話題をお届けしたいと思っています。
(2001.07.17)