「シュテルン」論争


阿部津津子




 2001年4月23日に発売されたドイツの週刊誌「シュテルン」の増刊号「キャンパスとキャリア」(http://www.stern.de/campus-karriere/start/index.php参照)紙上で、フランクフルト・オーデルの町とヴィアドリナ大学が大きく紹介された。そこでは、町と大学の簡単な歴史などとともに、黒人学生がこの町に来てまもなく「クソッタレのニガー!」と罵声を浴びせられたこと、中国人学生がこの町に来たその日に町中で暴行を受け、町を去ったこと、ポーランド人学生が一回目は後ろから頭をバットで殴られ大怪我を負い、病院から退院後は、再び極右政党「NPD」のメンバーにピストルを鼻先に突き付けられたという事件などが紹介されている。また、大学構内では、講義の際にポーランド人学生が教室の前に、ドイツ人学生が後ろに座る傾向があり、両民族間の融和が進んでいないとも書かれている。他方では、シュヴァン学長、法学部のマルティーニ教授の反暴力に対する尽力が紹介されている。しかし、この記事が読者に伝えるフランクフルト・オーデルに対する決定的に劣悪なイメージをめぐり、ヴィアドリナ大学の教授と学生たちが不快感を表明した。以下に地元紙「メルキシェ・オーデル」新聞の記事、学生が「シュテルン」編集部に送った公開質問状、「シュテルン」誌からの回答をご紹介します。(阿部津々子)



「フランクフルト・オーデルは危険な町」とのステレオタイプがまた
−「シュテルン」誌のリポートにヴィアドリナ大学の学生と研究者たちが不快感を表明。


記者:ディートリヒ・シュレーダー



 ハンブルクに本社を置く週刊誌「シュテルン」は、最新の増刊号「キャンパスとキャリア」紙上で、8ページにわたってフランクフルト・オーデルのヴィアドリナ欧州大学を紹介した。そこでは、当大学が1800人以上の外国人学生を擁し、外国人学生の比率がドイツ全土の大学で最も高いことが紹介されている。また掲載されている写真では、ポーランド人とアフリカ人の学生がカメラに向かって楽しげに微笑みかけている。

 しかし、ヴィアドリナ大学でこのレポートを見て喜んだ者は一人もいなかった。なぜなら、紙上では「町に対抗する大学」というタイトルのもとに、国際性豊かなヴィアドリナ大学と、灰色の団地群からなり、外国人学生がおちおち道も歩けないというフランクフルト・オーデルの町とのコントラストが強調されたからである。高層ビル「オーダートゥルム」は「町の見苦しいシンボル」に過ぎず、国境橋を渡っての通学も、「対岸のポーランドの市場で安い野菜を買って帰るドイツ人女性たちのせいで、行列待ちを強いられるため、学生にとっては拷問にも等しい」と書かれている。また、「早くこの町を出て行きたい」というのが多くの学生たちの夢だ、とある。

 国際共同住居のメンバーとしてこの記事に登場した、シュレジエン出身のドイツ人学生ウルシュラ・リッソンさんと、ポーランド人の学友カミル・マイフジャク君は、この記事について、抗議の公開質問状をシュテンルン編集部に送った(下記参照)。

 ウルシュラさんとカミル君は、シュテルン誌の記者にヴィアドリナ大学の問題点をオープンに語ったつもりだったが、刷り上った特集の中に自分たちの記事を見つけた時、この記事もまた過去にフランクフルト・オーデルについて書かれたものと変わらず、記者が自分たちに、学生がフランクフルト・オーデルの町での生活に問題があるかのような証言をさせたことに気づき、失望した。ヴィドリナの学生たちによる反右翼行動については全く触れられていなかった。この反右翼学生行動は真っ先に言及されてしかるべきであった。なぜなら、カミル君自身が、数年前、フランクフルト・オーデルの極右の若者に2度にわたって暴行を受け、裁判で犯人の処罰を要求して係争を起こしたという、反右翼反暴力行動の実例があったからである。

 1年半前からヴィアドリナの学長を務めるゲジーネ・シュヴァン教授は、最近、フランクフルト・オーデル市長と共同で「フレンドリー・フランクフルト」を推進する公開文書を作成したのであるが、この「シュテルン」誌のレポートに対し「フェアな報道とは言えない」と遺憾の念を表明した。「大学のいい面も紹介されているとはいえ、フランクフルト・オーデルが危険な町であるとのステレオタイプがレポートの全文を貫いています」とシュヴァン学長。

 外国人学生顧問を務める、法学部のディーター・マルティーニ教授は、自ら「シュテルン」誌の記者に、肌の色の異なる学生たちのために、町外れの学生寮ではなく、大学の建物のすぐ横にある学生寮に部屋を取ったことや、東ドイツに関するテレビ報道を見て心配したアフリカ人学生の両親が、我が子の身の上を案じてフランクフルト・オーデルに駆けつけたところ、このアフリカ人の学生自身がフランクフルト・オーデルにも親切な人はいると両親を落ち着かせ、両親を帰途に就かせたことなどを語った。しかし、「フレンドリー・フランクフルトのために尽力している人たちは皆、この記事に苦々しい衝撃を受けました」とマルティーニ教授は語る。

 マルティーニ教授は1994年以来フランクフルト・オーデルに在住。この間、教授は「ヴェッシー(西ドイツ人)」と呼ばれることに拒絶反応を示すようになったのだが、なぜフランクフルト・オーデルがいつも否定的な調子で報道されるのかについて、興味深い解説を加えている。つまり、フランクフルト・オーデルは、「西ドイツ人を不安に陥れる要素を持っている」のである。小さくて東の端っこにある、このニセモノのフランクフルトについて、人々は不安げにこう訊くのだ。「もうそこはポーランドになってしまってやしませんか」と。また、フランクフルト・オーデルはジャーナリスト達にとって便利な町でもある。なぜならフランクフルト・オーデルは、実際にはドイツの首都ベルリンから地理的に遠くないのにもかかわらず、西ドイツ人の頭の中では非常に遠い町のままであるからだ。

 社会学のデトレフ・ポラック教授によれば、フランクフルト・オーデルに対する、「灰色の団地から成り」「外国人学生が到着したその日から嫌な体験をする」というステレオタイプがこれほど長期にわたって報道され続けることは、ほとんど学問的センセーションと言っていいそうである。こうなれば、ジャーナリスト達はお互いの記事を引用し合っているとしか考えられない、とポラック教授は言う。

 一方、「シュテルン」誌に掲載されたこの記事が、目下大学探しをしている若者たちにどういう影響を与えるかという点については、シュヴァン学長と「シュテルン」誌編集委員は、ほぼ意見の一致を見た。「ミュンヘンやハンブルクより、フランクフルト・オーデルで勉強したほうが面白そうだと思う学生も少なくないことでしょう」とシュヴァン学長。もしそうであれば、この記事にも利点があったということになるのだが。



「シュテルン」誌に対する公開質問状
「東は右翼と決め付けないで」


 ヴィアドリナ大学のルシュラ・リッソンさんと、カミル・マイフジャク君が、「シュテンルン」誌並びにその他のメディア宛てに作成した公開質問状の文面を以下に紹介します:

 非常に残念ながら、私たちは、ジャーナリスト達が、一面的で事実とは乖離した著述の仕方から未だに開放されていないということを再認識するに至りました。従来通りの論調を模して繰り返したり、表面的でステレオタイプにとらわれた調査結果をこの記事に記載することは無意味であるように思われます。

 「シュテルン」誌の記者にインタビューを受けた当事者として、フランクフルト・オーデルの市民として、また学生として、私たちは、メディアがフランクフルト・オーデルに対してとる否定的報道という一斉行動の永久に虜になることに対して、抗議する義務を感じています。

 私たち学生のところに、ジャーナリスト達がどっと押しかけてき、彼らは私たちがフランクフルト・オーデルの町と問題を持っているかのように証言させようとしました。彼らジャーナリスト達はその後この記事をメディアに売ったわけですが、そこでは私たち学生に対し永遠の犠牲者の烙印を押すことにのみ力が注がれています。外国人排斥の動きと人種主義の台頭はドイツ全体の問題ではないのでしょうか。私たちは、旧西ドイツ連邦諸州がネオファシズム台頭に対する自らの社会的責任を免れようとする目的のために、「東は右翼」という標語のアイコンに仕立て上げられたくはありません。

 私たちは、将来、バックグランドがよりよく調査され、それにより一面性から離れ、もっと別の問題点へと発展できるようになることを希望します。その時には、フランクフルト・オーデル市民とともに活動する学生たちの姿が念頭に置かれなければならないと思います。(2001年4月27日付「メルキシェ・オーデル新聞」より)



「シュテルン」誌からの回答


記者:ニコラ・セルマイル



 私たちは、「ヴィアドリナ大学」について一面的な報道を行なったとは考えておりません。私たちは「ヴィアドリナ大学」を小さいながら、革新的で国際性豊かな大学であると記述しました。私は事前に何週間もかかって調査をし、フランクフルト・オーデルには1週間滞在して、町の像を掴もうとしました。私はその際、町と大学を単に「描写」しようとしたのではなく、国際性を強調する大学が、どのような困難・課題と向き合っているのかを記述しようとしました。この困難を記録することが焦点なのではなくて、外国人学生の安全性を確保するため、大学が、例えば外国人の学生に対し無料で携帯電話を配給したり、大学のすぐ近くに学生寮をとったりしているという事実が、この記事の焦点となっているのです。そして問題とすべきは、暴力が、ドイツの他の大学に対しても存在しているということなのです(記事に添付したDAADの調査結果「危ない学生生活」を参照)(訳注1)。フランクフルト・オーデルでの学生生活が、いろんな局面でハイデルベルクやミュンヘンより面白いということには疑念を差し挟む余地がありません。また記事には肯定的なできごとも記載されています(例えば国際パーティーや出会いの会「一日で2つの国に行こう」など)。フランクフルト・オーデルの人々は、東西ドイツの歩みやヨーロッパ連合の東方拡大といったテーマに付いて、より多く考えようとしていることでしょう。しかし他方では、多くの学生たちがこの町に来た当初、極右青年たちの姿を目にし震え上がったという事実にも触れておかなければなりません。また、この記事は、数多く存在する反極右の行動とオープンな雰囲気を作り出そうとする試みのいくつかの例を紹介しております。この記事は、否定的な局面だけを報道しているのではないということをここに申し上げます。(AStA「アクチュアル」2001年5月号掲載)

(訳注1)「キャンパスとキャリア」140ページに掲載されているDAAD(ドイツ学術交流会)の調査「危ない学生生活」の内容は以下の通り: 新連邦諸州(旧東ドイツ)の大学で、外国人大学はどの程度安心して学生生活を送れるのだろうか?DAADが、新連邦諸州の各大学の外国人学生課並びに国際コースと協力して実施したアンケートの結果は次のようになっている:大学職員のうち30.5%は、その町での学生生活に危険性があると感じている。スキンヘッズが闊歩しているため、外国人学生は町の決まった地区しか安心して歩けない。1999年秋から2000年秋までに6名の外国人学生が極右から暴行を受けた。そのうち3名の学生がドイツを去った。8.3%の大学で外国人の学生の学籍申請率が低下した。外国人学生に対する暴行が報じられたことがその原因の一つである。アンケートに答えた新連邦諸州の大学のうち47%が、外国人学生を暴力から守るための対策を講じている。例えば、外国人学生に対し決め細やかな対応をしたり、大学のすぐ側に部屋を用意したり、「ホットライン」をつないでいる町もある。

(2001.07.17)