スタニスワフ・フィリペック

Stanislaw Filipek




   東京での4年間にわたる商務参事官の任務を終え、1995年12月にポーランドに戻りました。帰国後、以前に博士号および教授資格学位を取得したポーランド科学アカデミー・物理化学研究所で仕事を始めました。現在、研究と並行して日ポ学術交流およびその他の領域における日ポ交流の活動をしたいと願っています。この活動では次の企画に参加させていただくことができました:
  1. 藤森夫妻のラスキ滞在のお手伝い。藤森夫妻はラスキで盲学校の子どもたちにボランティアでマッサージと針治療を教えられました。ラスキの盲学校始まって以来の盲人の専門家による針治療の実演でした。心からお礼申し上げます!!!
  2. 士幌町役場の代表団によるニエポウォミッツェ訪問のお手伝い。両町は協力関係を更に深めようとしています。さらなるご発展をお祈りいたします!
  3. 阪神大震災被災児童のためのポーランド夏旅行。この活動には多くのすばらしい人たちが参加しています。宮内さんは旅費を工面し、日本サイドで子どもたちの旅行をサポートして下さいました。私はポーランドサイドでお手伝いさせていただきました。「古いポーランドの首都を訪ねて」をテーマに各地をめぐりました。また、ワルシャワ近郊のツェレスティヌフでは、日本の子どもたちは、75年前に日本人によって救われたポーランド人たちと交流を深めました(注)。

 この場を借りて、絶え間ない援助、ご理解と暖かい心をさしむけて下さった日本の、そしてポーランドの友人・協力者の方々に心からお礼申し上げます。皆様のおかげで私も感動的な時を幾度も経験でき、私の仕事が少しでも皆様のお役に立てたと実感することができたのです。

(1996.9.25)


連絡先: Institute of Physical Chemistry of the Polish Academy of Sciences
     ul. Kasprzaka 44/52 Warszawa POLAND

注: 日露戦争後、シベリアで窮乏生活を余儀なくされていたポーランド人たちが、ロシアの内戦の泥沼化によって更なる飢えと寒さに苦しんでいた。そこで日赤が救援の手をさしのべ、1920年と1922年の2回にわたりポーランド人孤児を日本に船で移送し、手厚い保護の後、祖国へ送り返してあげた。現在でも何人かの人々が健在である。(参考文献: 松本照男「ポーランドのシベリア孤児たち」、『ポロニカ』、恒文社、1994年、No.5、pp.62-81)


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