TOP写真館(2005年4月)
悲しみの教皇逝去


(撮影:今村昭典 Krakow, 2005.04.08)


COPYRIGHT 2005 by Akinori Imamura





ポーランドの人と、ヨハネ・パウロ二世について話す時は、大体以下の3点(小生の理解による)について、熱っぽく聞かされます。
  1. 世界中から尊敬される教皇を、同国から出したことに関する、ポ−ランド人としての誇り(教皇の出身地でもあるクラクフの住民には、特にこの感情が強いよう に感じる)。
  2. 彼個人への親愛(ポーランド訪問の度に、多くの人に親しく語りかけ、一緒に歌い、冗談もよく口にしていた由)。
  3. 共産政権からの脱却に代表される、ポーランドに対する支援への感謝。

 ポーランドは基本的にカソリックの国であるが、若年層を主体に「無宗教に近い」人が半数近い、とも言われている。その中にあって、ヨハネ・パウロ二世は、宗教の枠を超えて、ポーランド全国民の敬愛を受けてきた感じ。それだけに、逝去に対する当地の人々の落胆も大きいようで、「心の支え」の一つを失った印象すら受けます。当地テレビ(クラクフでは、4チャネルある)の全ては、危篤が伝えられた3月31日夜から、逝去の4月2日を経て、4月4日までの、まる4日間 ならびに、葬儀のあった4月8日は、他の番組は一切ありません。その間、病状報告・足跡・ポーランド訪問時のビデオならびに、葬儀・追悼ミサ・コンサートの中継放送など、全ての番組がヨハネ・パウロ2世に関するものでした。









4月8日、ロ−マ・バチカンでの葬儀の模様が、クラクフの通称「三角広場」の大スクリーンに、テレビ放映された。それを観るために集まった人々( 約20万人?・・・小生概算)









同じく、教皇がクラクフ訪問時に「定宿」としていた館の前に集まった人々。







館の横庭・道路脇に備えられたキャンドル。 前期「三角広場」及 び、カソリック教会の前など、数多く見られた。





2002年8月のクラクフ訪問時、「三角広場」を目指して行進する人達。 地方から参画の人は、村/集落/町単位でバスに乗り、クラクフ郊外の駐車場から、約4−5Kmの道を徒歩で会場に入った(クラクフ市内は、車が全面的に乗り入れ禁止となった為)




2002年8月のクラクフ訪問時、教皇ミサが行われた「三角広場」に集まった人々。 本写真ではその一部しか撮れていないが、あの大きな広場が、立錐の余地もないほどの人で埋まった。この日クラクフには合計約50万人が集まったと言われている。




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